ストーカー2
「そういえばこの間、長谷先輩が言ってたことを実践しましたよ」
「僕が言ってたこと?」
心配事が解消した高木くんは心底安心したのか、僕に向ける表情が心なしか柔らかい。
切り出された話の詳細が気になりつつも、店内に目を配った。
幸いにも他に客は居なかったので、このまま話を続けられそうだ。
僕の聞き返しに、高木くんは頷いた。
「はい。この間、目の前で鞄の飾りを落とした人がいて、仕方なく拾って声をかけたんですけど、その人がΩだったんですよ。それだけでも最悪なのに、そいつ俺を見て怯え始めたんです。――腹立ちますよね」
淡々と語った後に吐露した感情は、同意を求めるというよりは、自分のΩ嫌いを再認識しているような口ぶりだった。
その人のことを思い出しているのか、不機嫌そうに青筋を立てる高木くんを、僕は苦笑しながら窘める。
「そうやって嫌悪感を態度に出してたから、怯えたのかもよ? 声をかけるときは優しく声をかけなきゃ、その人が驚くのも無理ないよ」
「どうして拾ってやったのに、こっちが気を遣わなきゃならないんですか」
顔を顰め、うんざりしたようにため息をつかれる。
僕としては、高木くんの刺々しい態度が原因で、相手に彼の親切心が伝わらないのを勿体ないと思っているのだが――。
僕の思いをよそに、高木くんは話を戻した。
「で、苛立ちが収まらなくて、衝動的に拾った物を地面に転がしてやろうかと思ったんですけど、その時――なんか、長谷先輩に言われた言葉が脳裏に過って、先輩の顔を思い出したら、本当に気が抜けて……目の前のΩがどうでもよくなったんですよね」
追想するように瞼を伏せた高木くんは、穏やかにふっと笑った。
その話を聞いて、ようやく合点がいった。
前に高木くんに、誰かを傷つけそうになったときは僕を思い出したらいいと助言したことを、実行してくれたらしい。
砕けた表情から察するに、どうやらいい感じに気が抜けてくれたみたいだ。
冷淡さを感じさせる高木くんが、僅かに温和な雰囲気を纏っている気がして、僕は和んで頬が緩んだ。
「効いたんだ?」
「効きましたね」
高木くんは可笑しそうに小さく笑い、肯定した。
「それならちゃんと手渡してあげたんだね」
「いえ。投げ渡しました」
「投げ……次からはもう少し丁寧に渡そうね」
「嫌な思いしたんですから、いいんですよそれくらい」
「でも折角、高木くんの良いところを知ってもらうチャンスだったのに」
「別に好かれたくて拾ったわけじゃないんで。それから――「おい」
不機嫌な声に遮られて、高木くんは首を後ろに向けた。
僕も一緒になって声の主を覗き込んで確認すれば、藤山くんがしかめっ面で仁王立ちし、高木くんを見上げていた。
「客が待ってる」
藤山くんはつっけんどんに言い放つと、片手に持っているお菓子の袋を強調するように見せつけ、空いてる手で自身を指し示した。
高木くんは顔だけ振り返っていたが、無言のまま僕に背を向けて藤山くんと向かい合った。
ピリッとした不穏な空気を感じ取り、一抹の不安がよぎる。
二人は見つめ合ったまま沈黙し、高木くんから口火を切った。
「なんでお前、ここにいんの?」
「買い物しに来たんだよ。お前こそ、ここに何の用だよ?」
「会計済ませてんだから、見れば分かるだろ」
「じゃあ早く帰れよ。颯太の仕事の邪魔すんな」
会話の端々に棘があり、ギスギスとした雰囲気を漂わせている。
見兼ねたバイトの先輩が愛想笑いを作り「お客様、こちらのレジにどうぞ」と藤山くんに声をかける。
しかし、二人は微動だにせず、目を向けることすらしなかった。
「ほら、隣のレジが空いてるってよ」
「俺はここのレジがいいんだよ。それにお前はもう会計終わってるじゃん」
「……」
高木くんは暫しの間のあと、黙ったまま横にずれた。
藤山くんは高木くんから目を離さずに、足を進めるとカウンターに商品を置いた。
高木くんもその場から動かずに、藤山くんを睨んでいて気まずい空気の中、僕はレジに商品を通す。
「――まさかお前、長谷先輩がいる間ずっと居座ってるのか?」
「ずっとは居座ってない。短い日は三十分だけいる」
首を横に振り、三本の指を立てる藤山くんを、高木くんは冷ややかな瞳で見下ろすと、親指で彼を指さして僕に顔を向けた。
「このストーカー、業務の邪魔ですよね? 警察に通報しときましょうか?」
「藤山くんはストーカーじゃなくてお客様だから! 買い物しに来てるだけだから!」
切って捨てるような冷たい口調に、僕は慌てて誤解だと主張し、高木くんを宥めた。
その後、高木くんは購入したカップにアイスコーヒーを淹れると僕の傍にやってきた。
「それじゃあ俺、帰るんで」
「うん。買い物してくれてありがとうね。今から用事があったんじゃない? 急いでたのに引き留めちゃって、悪かったね」
「用事なんてないです。いつも目的のものだけ買って帰るだけなんで、そう見えただけですね。それに俺、引き留められた覚え、ないんですけど」
ぶっきらぼうに返事をし、顔を逸らされる。
確かに話しかけてきたのは高木くんからだったかもしれないが、元をたどれば――
「だけど僕がここで働いてなかったら、高木くん帰ってたでしょ?」
問いかければ、高木くんは僕の顔色を窺うように視線を戻すと「……それは、そうですね」と呟いて手に持っているコーヒーに目を落とした。
「早く帰れよ」
高木くんの行動を監視するように彼の背後について回っていた藤山くんが、ぶすっとした顔で口を挟んだ。
高木くんはうっとおしそうに顔を顰めて蔑むように見下ろすと、やれやれとため息をついて、踵を返した。
「こいつがウザいんで帰ります」
「うん。また来てね」
高木くんの背中に声をかけ、手を振ると彼の歩みかけた足が一瞬止まったが、振り返ることなく店をあとにした。
厳しい表情で入り口を見つめている藤山くんを、カウンター越しに優しい声で諭す。
「藤山くんもお客様だけど、高木くんもお客様だから、揉めるようなことはしないでね」
「……分かった」
藤山くんは不服そうに唇を尖らせながらも渋々と頷いた。
高木くんには一応帰る間際に、また来てくれるように声をかけてみたが、あの様子だと違うコンビニに行きそうだ。
僕のせいで常連客を逃してしまったと思うと、落ち込むが、こればかりは本人の意思なので仕方がない。
しかし、そんな心配は杞憂だったようで、次のバイトの日にも高木くんはコーヒーを買いに来てくれた。
「また来てくれたんだね」
「……前にも言いましたけど、家近いんで」
「この前のことで気を悪くしたと思ったから、安心したよ」
「……」
ほっと安堵すれば、高木くんは真意を測るような真剣な瞳で僕をじっと見つめた。
「俺が来て、嬉しいですか?」
「うん。嬉しいよ」
当たり前の質問に僕は喜びを隠さずに笑って頷いた。
僕の答えを意外に思ったのか、高木くんは口を小さく開けて呆けた後、顔を隠すように俯いた。
「また、来ます……」
「うん。ありがとう」
ボソリと呟いた言葉は素直なのに、どこか不器用さが混じっている響きをしていた。
それからも藤山くんと高木くんはコンビニを利用しに度々現れた。
高木くんは本当にコーヒーを気に入っているようで、ほぼ毎日と言っていいほど買いに来ていた。
藤山くんと出会しては互いに嫌そうにしているが、初日みたいな衝突はなくなり、睨みの牽制だけになっている。
そして今日は藤山くんは用事があるようで、わざわざメッセージを送ってきてくれた。僕が心配しないように配慮してくれたのだろう。
いつものようにコーヒーを買いに来た高木くんは、注意深く店内をキョロキョロと見回しながら商品を取りに行くと、僕のレジへと向かってきた。
「アイツ、今日は帰ったんですか?」
「ううん。今日は来てないよ。用事があるんだって」
「ふーん。いないと静かでいいですね」
「最近の藤山君は大人しくしてるでしょ?」
「アイツの存在自体が五月蝿いんですよ」
高木くんは、歯に衣着せず一刀両断するように言い切った。
うーん。険悪には見えるけど、何かをきっかけに関係が丸くなりそうな気もするんだけど……。
Ωに関わりたくないと言った割には、藤山くんを無視することなく言い返しているので、苦手ではなさそうだ。
しかし、存在自体を否定されると、仲を取り持つのは難しいのかもしれない。
僕は、取り敢えず高木くんの不満を逸らすために、目についた疑問を口にした。
「そういえば、最初に来たときはイヤホンしてたのに、最近は全然してないね」
「あれはナンパ避けですよ。声掛けられてもイヤホンしてたらスルーできるんで」
「へぇ。そうだったんだ。……あれ? それならしてたほうがいいんじゃないの?」
最近、高木くん目当ての女性客が増えている。
決まった時間に現れるので、とても分かりやすく、商品棚の陰から女性たちが色めき立って様子を窺っているから、いつ声を掛けられてもおかしくないだろう。
僕の質問に、高木くんは難色を示すように目元が少し鋭くなった。
「……先輩は人と話す時、イヤホンしながら話すんですか?」
「あー……話さないね。でも、コンビニに入ってくる時には、もう外してるよね?」
「……先輩が声をかけてくるから、外してるんですよ」
「え? 僕?」
独り言をぼやくように唐突に名指しされて、素っ頓狂な声を上げる。
心当たりがなく疑問符を浮かべていると、高木くんは言い淀むように、黙りこくった。
それから整った眉を少しだけ歪め、口元を拳の甲で覆い隠し、視線を横に逸らして小さな声でぎこちなく答えた。
「――い、いらっしゃいませ、って」
僕は呆気に取られる。
業務の一環でしかない挨拶まで話し掛けられている判定にするなんて、律儀すぎる。
きっと高木くんは真面目な子なのだろうと解釈して「そっか。それなら僕から毎回声かけてるね」と相槌を打った。
すると高木くんの頬に赤みを差したのを視認した。
その姿が気まずそうにも見えて、思考を巡らせるとある考えに辿り着く。
今のが高木くんの渾身のボケだったと考えると、僕にスルーされたことを恥じているのかもしれない。
お笑いに疎くて悪いことをしたな、と思いつつ一応確認する。
「……もしかして、ツッコミ待ちの冗談だった?」
「冗談じゃないですけど」
「でも顔が赤いから、照れてるんじゃない?」
「……暑いからですよ。クーラー効いてないですよ、この店」
「そうかな?」
「そうですよ。今、汗凄いですよ俺」
そう言って高木くんは火照っている顔の下の汗を手の甲で拭った。
空調の設定を変えることはないのだが、いつもは涼しい顔をしている彼がそう感じているならそうなのだろう。
暑いのなら店内のチルドコーナーの近くで涼んでいくよう促したが、高木くんは僕と目を合わせずに「い、いえ……帰ります」と断るとそそくさと帰っていった。
後ろ姿を見送った後に、そもそも店内が暑いのなら、僕の提案は焼け石に水だったかもしれないと思い直した。
隣のレジにいた女性の先輩がそろそろと僕の隣に寄ってきて、ひそひそ話をするように口の端に手の甲を添えて話し始めた。
「あの人、ああ言ってたけど、長谷くんがいない時はわざわざイヤホン着け直してるけどね。こっちの声が聞き取れるのなら別に着けててもいいけどさー。長谷くんの時の態度を知ってるから、無愛想さが腹立たしくなるよ」
彼女はぶつぶつと不平を零したあと「顔だけはいいんだけどねー」と残念そうにぼやきながら僕のもとを離れた。
どうやら会話に聞き耳を立てていたようだ。
なるほど。高木くんは僕が先輩だから気を遣って、イヤホンを外していたのか。
先輩面しないでと言われたこともあったが、一言一句聞き漏らそうとしない従順さを見るに、どうやら先輩として認めてもらえたようだ。




