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20.夏休み


夏休みに入った。

α棟とβ棟は七月までは講習が行われるので、夏休みが始まったという意識はほとんどなかったが、Ω棟は講習がないので、藤山くんと会える機会はなくなってしまった。


分かりきっていたことだったが、これまでは当たり前のように会えていたはずなのに、会えなくなるときはこんなにもあっけないのだと、少し感傷に似た思いに耽っては、胸に僅かな隙間が生まれたような寂しさを覚えてしまう。


冷静に考えてみれば、今までが気軽に会いすぎていただけの、ただの幸運だったと理解できるが、一ヶ月と二週間弱の間、一度も顔が見られないのは今まで満たされていた分、物足りなさがある。


せめて、遠目でもいいから姿を確認できたらなぁ……。


そんな思いが働いた結果、去年もしていたコンビニバイトを今年は実家の近くではなく、駅近くの店舗に決めてしまった。


流石に藤山くんの家の近くだと不審に思われかねないので、離れた店を選びはしたが、思い切り過ぎたかもしれない。


とはいえ、夏休みの間に一日でも見かけることができたら御の字くらいな気持ちなので、この行動はストーカーまではいかない……はず。


そんなこんなで、バイトの日以外は会えることを諦めてしまっていたが、夏休みの初日に登校すると金色の髪を靡かせた男子生徒の後ろ姿が視界に入り、自ずと目が見開いた。


「え? もしかして、藤山くん?」


いないと思っていたはずの藤山くんが制服姿で目の前を歩いているので、驚きと興奮で彼が振り返る素振りを見せる前に駆け寄った。


「どうしたの? 学校になにか用事があったの?」


会えないと思っていた反動で喜びが溢れ、つい矢継ぎ早に尋ねてしまう。

振り返った藤山くんは目を丸くすると、ゆっくりと目の力を抜いていく。


恥ずかしそうに頬をピンク色に染めて、そわそわした様子でポケットに突っ込んでいた手を出すと、自身を指さしてじっと僕の目を見つめた。


「自主的に講習受けに来た」


初耳だったが、Ω棟でも希望者には講習を実施しているらしい。

今まで藤山くんの授業態度は聞いたことがなかったが、自ら進んで勉強に取り組もうとする勤勉さに感心した。


「そうなの? 参加しなくてもいいのに、偉いねぇ」


笑顔で褒めると藤山くんは口角を上げて、ニヤニヤしながら得意げにふんと鼻を鳴らした。

藤山くんの講習は、僕たちとは違い午前中までで終わるとのことだった。


期間は同じだったので、午前中だけでも校内に藤山くんがいると思うと心が軽やかに弾みだし、口元が緩む。

そのまま流れるように一緒に登校することになって、僕はふと浮かんだ疑問を口にした。


「そういえば藤山くんの進路って聞いたことがなかったね。まだ一年生だから考えてないかもしれないけど、高校を卒業したらどうするの?」

「……」


急な質問に藤山くんはぽかんと呆気にとられた後、口を噤んで悩ましげに目を細めて宙を睨んだ。

数秒経ってから、はにかんで僕を見上げると人差し指を僕に向けた。


「同じとこ受ける」

「え!? 僕と同じ大学目指してるの!?」


藤山くんは頬を染めて純朴そうにコクリと頷いた。

高校を卒業したら離れ離れだと思っていたが、まさか同じ大学を目指しているとは考えもしなかった。


なんだか嬉しいサプライズが続いて、夢を見ているような気持ちになって、益々声色が明るくなっていく。


「そうだったんだ! お互い、頑張ろうね!」

「うん!」


穏やかに笑って、励まし合った。

別れてからも感動に似た思いが心を躍らせて、頬が緩みきってしまいそうになる。


教室に入ってからもその感情は続いていて、ついつい誰かに藤山くんの頑張りを知って貰いたくなり、謙介と理央に挨拶を交わしてから、打ち明けた。


「実はさっき藤山くんと会ったんだけど、自主的に講習を受けに来たんだって。休んでもいいのに偉いよねぇ」


僕が嬉しさを隠すことなく笑顔で報告すると、謙介と理央はきょとんとした顔を互いに見合わせた。

二人とも予期せぬ話だから虚を突かれたのだと捉えようとした僕に、謙介がキリッとした顔を向けてきた。


「颯汰。惚気ているところ悪いが、藤山は赤点補習だぞ」

「え? だって、さっき自主的に講習受けるって本人が言ってたよ?」

「Ω棟は赤点補習しかしてないし、強制参加だぞ」

「……つまり、藤山くんは自主的に赤点を取ったってこと?」

「颯汰によく見られたくて見栄張ったんじゃない?」


僕が訝しげに首を傾げれば、理央が苦笑しながら答えた。

え? 藤山くん赤点補習だったの? そんなに気が滅入っている感じには見えなかったけどな……?

それに――。


「でも僕と同じ大学を受けるって言ってたよ」

「颯汰の受ける大学って、どの学部も偏差値60以上じゃなかったっけ?」

「Ωのテストで赤点取ってるようじゃ無理だな」

「き、きっと今から頑張るんだよ!」


まだ高校一年生だし、夏休みに挽回していくんだよ、きっと。……うん!

心の中で僕は言い聞かせて、力強く納得した。


後に他の友だちから教えてもらったが、藤山くんは赤点常習犯だったようだ。

それでも、人の可能性は無限大なのだから、次の定期考査では藤山くんの成績は上がっているはずだと前向きに期待を抱いた。


そんな僕の気持ちに応えるように、藤山くんから『颯汰の講習が終わるまで教室で自習して待ってる』とタイミングよくメッセージが送られてきた。

僕は証拠を示すように画面を二人に見せつけた。


「ほら、藤山くん補習が終わった後も勉強するんだって。きっと今回赤点を取ったことが、やる気に繋がったんだよ……!」

「いや。文面読む限り、颯汰と帰りたいだけだろ」

「一緒に帰るためだけに、五時間近く待とうとする根気強さは凄いと思うけどね」


まともに相手にされなかった。

僕は二人に向けていたスマホを正面に戻して、メッセージに目を落とした。


――僕と帰りたいだけ、か。

もしもそうだとしたら、大学の件も藤山くんの本意ではないのかもしれない。


講習が終わって、藤山くんにメッセージを送ったが音沙汰がなかった。

帰ったのかと思って昇降口で藤山くんの靴を確認したが、残っていたのでまだ校内にいるようだ。


藤山くんは教室にいると書いていたので、今の時間ならΩ棟には誰もいないはずだから、入っても大丈夫だろう。


外はまだ明るいが、廊下の灯りは消えていてΩ棟の校舎は他の棟と比べて静まり返っていた。

教室に着き窓から覗き込めば、机に伏せている金髪の男子生徒の白シャツの背中が見えた。


(……寝てる)


音を立てないようにそうっと扉を開けた。

時間で管理されていたクーラーは止まっていて、涼しさが少し残っている室内は次第に暑さを取り戻しつつあった。


藤山くんの傍まで近づき見下ろせば、気持ちよさそうに寝息を立てていた。

握っていたであろうスマホに手を乗せて、机に片頬を預けている。

閉じられている目元は睫毛が長く整っているのに、口唇は小さく開かれていて、アンバランスな寝顔にあどけなさを感じて可愛く映る。


机に向かってさらりと流れている前髪は普段隠れている額を露わにさせていて、惹きつけられるように手を伸ばし、指先が触れる直前で止めた。


(僕と帰りたいだけ、か)


考えてみれば、昼で終わったであろう補習の後、予定になかった昼食を買いに行って、ずっとここで待っていてくれてたのだろう。


僕が初めから待たなくていいよ、と断っていれば藤山くんは家でゆっくり過ごせていたのに。

こんな体勢で寝かせてしまったのは、遠慮をしなかった僕のせいだ。


きっと体が痛いだろうと案じていれば、藤山くんの瞼がゆっくりと持ち上がった。

完全に覚醒していないのか、ぼうっとした顔つきで上体を起こすと僕を見上げた。


「……寝てた」

「疲れたんだね」

「ん」


まだ眠そうに瞼を閉じて頷いた。

それから藤山くんは、うとうとしながら大きな欠伸をして、片手でスマホを操作し、帰る準備が出来ていた鞄を握った。


その気怠げな姿に、僕を喜ばせるために無理をして残っていてくれてたのだと確信した。

思えば、大学の件だってすぐには答えてはいなかった。


多分今朝、僕が藤山くんに会えたことを大袈裟に喜んだから、もっと喜ばせようとして言ってくれたのだろう。

その為に無理をしているのなら、それは僕の本意ではない。


「遅くなってごめんね。こんな時間まで、待っていてくれてありがとう」

「ん。明日も一緒に帰る」

「もしかして、僕と一緒に帰るためだけに残ろうとしてる?」

「……」

「もしそうだとしたら、僕のことは気にせず明日からは終わったらすぐ帰ってね。夏休みなんだから、家でゆっくり過ごしたほうがいいよ」

「家だとゲームするから、学校の方が勉強に集中できる」


そういえば、友達から藤山くんはゲームが好きだと聞いていた。

そういう理由があるのなら、誘惑の多い家よりも学校の方がいいのかもしれない。

が、気を遣った建前の可能性も捨てきれないので、僕は納得したふりをして、彼が気を負わないようにやんわりと逃げ道を用意した。


「そっか。無理して待ってなくても良いからね」

「無理してない。帰りたかったら帰ってる」


藤山くんは首を横に振って、迷いのない口調で自分の意見を主張した。

その言葉を聞いて、僕は静かに考えを改めた。

僕のために無理して待ってくれているだなんて、自惚れもいいところだった。

僕と帰りたいと思ってくれたのは、藤山くんの気分だったということだ。


「……そうだよね」


反省し、肩を落とせば藤山くんは少し考える素振りを見せてから、どこか誇らしげな表情で胸を張って口を開いた。


「俺が好きで残ってる。颯汰の為に無理してない」


藤山くんにとって大切なことだったのか、再び断言された。

まるで僕が自信過剰であったことを咎めるように、念押しされた気分だ。とても恥ずかしい。


他にも大学の件を深掘りしようとも思ったが、本気で目指しているのなら、藤山くんのやる気を削いでしまうかもしれないので、そちらは様子見することにした。

それから帰路につき、藤山くんから話を切り出された。


「前に颯汰の家でもてなされたから、今度は俺がおもてなしする。夏休みに俺ん家に遊びに来て」


今からもてなすことを楽しみにしているのか、輝かんばかりの笑顔で誘ってくるので、伝染するように口元が綻ぶ。


「おもてなしってほどのことはしてないけど、折角誘ってくれたから遊びに行こうかな」


久しぶりに藤山くんのお父さんと話をするのも楽しそうだ。

僕はスマホを取り出し、予定を確認した。


「土日はバイトを入れてるから、八月でもいいかな?」


予定が合うかは分からないが、1日くらいなら合わせられるだろう。

すると藤山くんは笑顔を引っ込め、呆けた顔をした。


「どこでバイトするの?」

「駅の近くのコンビニだよ」


当然、場所選びの不純な動機は本人には明かさない。

まあ、こうして会えたのだから、今考えてみればそんな小細工なんてしなくても良かったのかもしれない。


「ふーん……」


藤山くんは噛み締めるように相槌を打った。




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