15.謝罪
高木くんの教室に赴いて、近くにいた子に声を掛けて呼び出すと、怪訝な表情で僕たちのもとに足を運んできた。
会いに来た理由を手短に告げれば、高木くんは深い溜め息を吐き呆れ眼を向けると、気怠げに肩をドア枠にもたれ掛かけた。
「何の用かと思えば、そんなことでわざわざ謝罪に来るなんて……律儀というか、融通が利かないというか……。品行方正にしか生きられないんですか?」
「疑って悪いことをしたなって、思ってさ。高木くんも本音は、気分が悪かっただろう?」
「別に。俺がやったことを考えれば、疑うのは当然じゃないですか。そもそも、加害者を疑わない方が能天気でしょ。それに、俺は前もって言った筈ですよ? 湿布は藤山の為じゃなくて長谷先輩の為に買ってきたって。だから、藤山に謝罪される謂れはないんですよ」
「それでも高木くんの親切心を欺いたんだから、謝罪はしとかないと。藤山くんも悪かったと思ってるから高木くんのところに来たんだよ」
僕は横に退き、背後にいた藤山くんと対面させた。
一転して線を引くように無言で見据える高木くんを前にして、藤山くんは眉間を僅かに歪ませて見上げていたが、力が入っていた肩を落とすと弱々しく言葉を発した。
「嘘ついて、悪かった……」
僕が小声で「湿布のお礼は?」と促すと藤山くんはバツが悪そうに高木くんから視線を逸らすと、肩を揺らしもじもじしながら唇を尖らせ、ぎこちなく言葉を紡いだ。
「……湿布、買ってきてくれて……ありがとう。ちゃんと、お金は返す……」
それを無表情で黙って眺めていた高木くんは、ふっと口元を緩めて、肩を竦めるとせせら笑い揶揄った。
「まるで子どもと保護者ですね。俺、今まで運命の番って恋愛的な意味合いかと思ってましたけど、どうやら違うみたいですね」
藤山くんは高木くんの物言いにカチンときたのか、一歩踏み出し険しい顔つきで声を張り上げた。
「子どもと保護者じゃない! 颯汰と俺は深いところで繋がってて、一蓮托生な関係なんだよ!」
耳にした台詞に僕は驚いたが、藤山くんの真剣で堂々とした姿が瞳に映ると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
恐らく藤山くんは、運命の番の精神的な繋がりのことを言っているのだろう。
今感じている胸の温かさも、藤山くんと共有していると思うと、多幸感が柔らかに体を満たしてくれているようで、心地が良い。
藤山くんの訴えに、高木くんは小馬鹿にしたように顎を上げて鼻で笑った。
「一蓮托生? 保護者同伴の間違いだろ?」
「俺は子供じゃない! 俺と颯太は対等な運命の番なんだよ!」
「……」
高木くんは何も言い返すことなく、感情を鎮めて口を閉じ、観察するようにじっと藤山くんを見つめた。藤山くんも負けじと睨み返している。
間に割って入ったほうがいいのか決めかねていると、高木くんは僕を一瞥した後、もたれているドア枠に視線を移し、少し不貞腐れた態度で言葉を零した。
「――子供じゃないって言うのなら、キスしたことあるのかよ?」
「ない! そういうのは、大人になってからだ!」
「大人になってからって、子供じゃん」
「子供じゃない! 子供っていう方が子供だ!」
目の前で二人は子供みたいな応酬をし始めた。
キスという単語と、僕との約束を赤裸々に大きな声で断言する藤山くんに、羞恥を覚えて顔が熱くなる。
あたりを見回せば、騒々しさに高木くんのクラスの子たちや、廊下にいた子たちが何事かとこちらに注目している。
傍から見れば声を抑え、冷静沈着な姿勢に徹している高木くんより、声量が大きく、噛みついている藤山くんのほうが、一方的に騒いでいるように見えるだろう。
この言い合いに勝ち負けは関係ないが、皆の視線を一身に浴びている藤山くんの形勢が不利なのは明らかだった。
当初の目的とは関係のない話になってしまったので、これ以上煩くして迷惑にならないように撤退することにした。
「藤山くん、謝罪も済んだことだし戻ろうか。高木くんもそれでいいよね?」
「はい。とっとと連れて帰ってください。前にも言ったように、Ωと接触するのは懲り懲りなんですよ」
「因みに、赦してないよね?」
「赦すも何も最初から怒ってないですし、なんなら終始呆れてますよ」
高木くんは息を吐き、億劫そうに天井を仰ぎ見て片手で後頭部を撫で下ろしていた。
面倒事に巻き込まれたと思っているようだ。
「なんだか、自己満足に付き合わせてしまっただけになっちゃったね」
「おままごとみたいで笑えたんで、いいですよ」
申し訳なく伝えれば、涼しい顔でサラリと返された。きっと笑いと言っても冷笑の意だろう。
すかさず藤山くんが「おままごとじゃない!」と突っかかるので、僕は後ろから両肩を掴んで優しく宥めた。
「まあまあ。高木くんの冗談だよ。藤山くんは少し感情が昂ぶってるから、外の空気でも吸いに行こうね」
歯ぎしりをして威嚇していた藤山くんは、高木くんに気に食わなそうにフンッと鼻を鳴らすと、体の向きを変えて廊下を歩き始めた。
手から離れた、藤山くんを追うために足を踏み出した。
「――キスしないなんて、見た目通り硬派なんですね」
不意に後ろから掛けられた言葉に、どきりと胸が跳ねて反射で振り向く。
高木くんは何食わぬ顔をしていたが、僕の目を射止めている瞳は、返事を待つ一途さを帯びていた。
口調にからかいはなく、ただ見たままを告げた感想に聞こえたので、僕は誤解がないように真実を教えた。
「藤山くんとはそういう関係じゃないから」
「……付き合ってないんですか?」
高木くんの表情が珍しく崩れ、瞠目して少し意外そうに声を上げられる。
そこまで驚くことではないと思うけどな。
そんな自虐的なツッコミを心の中でいれながら、僕は苦笑いを浮かべて、口には出さずに頷いて答えた。
「ふーん」
若干食い気味で訊かれて関心があるようにも感じたが、返ってきた相槌は興味がなさそうで、顔を逸らされた。
「それじゃあ、またね」
僕は穏やかに笑って手を振って、踵を返した。
返事は返ってこなかったが、気にすることなく藤山くんを追いかけ中庭に戻った。
足を踏み鳴らして、憤慨していた藤山くんはベンチに腰掛けると、両ひざに拳を置いて固く握りしめ、項垂れて悔しそうに嘆いた。
「俺は子供じゃない……」
僕は隣に腰掛けて、藤山くんの様子を黙って横目で窺う。
二人は二度も仲直りをしたはずなのに、性格が合わないのか、別の遺恨が残って、犬猿の仲になってしまったようだ。
謝罪しに行かなかったほうが、まだ良好な関係だったかもしれない。
失敗したかな、と自分の判断を反省して頬を指でかいていれば、藤山くんは長い沈黙の後、厳しい目つきで正面を見据えた。
「……あいつを見返すには、やっぱりキスするしかない」
決意するような呟きに、僕はムッと微かに眉間に力が入る。
とてもじゃないが看過する気にはなれない。
発情期でもなさそうなのに、そんな不純すぎる動機で誰かとキスをするなんて、運命の番として許すわけにはいかない。
とはいえ、付き合ってもないのに束縛みたいな真似をするのも、余計なお世話と言われるかもしれないので、あくまでもさり気なく諭そうと、優しく言葉をかける。
「僕は約束を守れるのが大人だと思うんだけどな。藤山くんはそうじゃないんだね?」
「……」
藤山くんは再び俯いていて黙り込んでしまった。
……ちょっと不自然だったかな。これじゃあ、僕がキスを阻止しようとしてるのを勘付かれてしまうかもしれない。
過干渉だと思われて、ウザがられたらどうしよう。
胸がざわつき、色々な懸念が渦巻きながらも、藤山くんの反応を待った。
長考の末、藤山くんは拳を見つめたまま、頬を染めて照れくさそうに言葉を紡いだ。
「よく考えたら、あいつにどう思われようが、どうでもいいから、気にしないようにする」
「!」
聞いた瞬間、見開いた瞳に映る藤山くんの姿が光の粒子を纏っているように見えて、胸いっぱいに愛おしさが広がった。
顔が緩みきり、気づけば藤山くんの伏せている頭に手を伸ばして撫でていた。
「藤山くんは大人だねぇ」
「!? 俺、大人になった!?」
可愛がりたいという思いが溢れてつい褒め言葉が口につけば、藤山くんは聞き漏らすことなく顔を勢いよく跳ね上げ、前のめりになってキラキラした瞳を僕に注いできた。
純粋なその輝きを目にして、ハッと我に返る。
これじゃあ本末転倒だ。
視線を彷徨わせて、慌てて発言を訂正する。
「え!? あ、えっと……ち、ちょっと! ちょっとだけ大人に近づいたなって、ことだよ! 日本の成人年齢は18歳だから、少なくともあと二年は我慢しないとね」
「あと二年か……」
嬉しそうに大人になることを夢見る藤山くんを横目に、僕は自分の失態に頭を抱える。
まずいな……。気を抜くと、藤山くんの欲しい言葉を掛けてあげたくなっちゃうな。
そそっかしさと、藤山くんに甘い自分に、情けなさと単純さを恥じて、赤面する。
大人になって欲しくないのに、よりにも寄って彼が求めてる言葉が大人になったね、だなんて困った話だ。




