13.発情期?
次の日。
藤山くんが背中の痛みを訴えていた事が気にかかっていた僕は、再度高木くんたちに確認しようと、休み時間に彼らの教室に赴いた。
三人で廊下の端に寄ると、藤山くんが押されたときに受け身を取れていたのかを尋ねた。
「昨日、藤山くんが背中の痛みを訴えていたんだけど、どんな転び方をしたか覚えてないかな?」
二人はきょとんとして、そのまま示し合わせたかのように互いの顔を見合わせてから、高木くんが怪訝な表情で僕に向き直り口を開いた。
「背中を打ってたかは覚えてませんけど、長谷先輩と別れた後、藤山に謝罪した時はそんな恨み言は言ってなかったですよ。なんなら気にしてないって言ってましたし」
藤山くんは昇降口で待っていたので、鉢合わせたのだろう。
僕は得られた返答の反応を差し置いて、別の感情が湧きあがり目を見張った。
高木くんがしっかり改心して、自発的に謝罪をしたことに対して、当たり前ではあるものの、後輩の成長を目の当たりにしたみたいで、和むような心地でしみじみと感心した。
悠然としてしまった僕を引き戻すように、岸くんが補足の言葉を付け足した。
「転んだ時に近くの机にあたっていたので、謝った時に、体が痛くなかったか訊いたんですけど、藤山くん、あんなの何ともないって言ってたんですよね」
「そっか。それじゃあ、もしかしたら強がってたのかもしれないね」
「なるほど。あり得ますね」
岸くんは間を置くことなく、神妙な顔で頷いた。
すると高木くんはやれやれと息をつき、「それなら、もう一度本人に確認してみましょうよ。そっちの方が手っ取り早いですし」と提案した。
その意見に賛同し、スマホで藤山くんにメッセージを送って昼休みに中庭で落ち合った。
藤山くんは、僕に会うと口元を綻ばせていたが、高木くんと岸くんが現れると、途端にすんとして感情を引っ込めた。
高木くんが腕組みをしながら、藤山くんを鋭利な眼差しで見下ろす。
見上げる藤山くんも仏頂面で、暫し二人が無言で見据え合う。
「――長谷先輩から聞いたけど、俺が振り払った時の痛みが残ってんのか?」
藤山くんとは和解したと思っていたのに、高木くんの言い方が僕と話す時より冷淡で、意表を突かれて驚く。
Ωに対して意図的に壁を作ろうとしているのだろうが、事情を知らない藤山くんが気分を害さないかヒヤリとする。
しかし、藤山くんは気にしていないのか、何処吹く風の澄まし顔で愛想なく返事を返した。
「残ってないし、あんなの痛くない」
僕はその返答にほっと安堵して、藤山くんに笑いかけた。
「治ったんだね。良かった。安心したよ」
労りの言葉をかけて微笑めば、藤山くんは恥ずかしそうに俯き、ごにょごにょと言葉を発した。
「だけどまだ……痛いような気がする……」
「え? そうなの?」
「この辺りが、痛い……かもしれない……」
藤山くんは僕に背を向けると手を背中に回して、痛い箇所をさし示した。
昨日は全体だと言っていたので、大分緩和はしているようだ。
僕は藤山くんの背中に手をあてると優しく撫でた。
「そっか。早く治るといいね」
「ん」
日中であるのと、高木くんたちがいるからか、昨日よりは恥ずかしくなく、心穏やかな気持ちで擦ってあげられる。
早く治りますようにと願いながら撫でていれば、横から「そいつ、長谷先輩に構って欲しくて、嘘ついてるんじゃないですか?」と高木くんが訝しげに声をかけてきた。
「え?」
「本当は痛くないんだろ?」
高木くんの鋭い口調の問いただしに、自ずと皆が藤山くんに注目する。
藤山くんは目を伏せて苦々しい顔つきで黙り込み、逡巡するかのように目を僅かに彷徨わせた後、渋々と言葉を紡いだ。
「まだ背中が痛い……ような気がする……」
「心因性から来る痛みなのかもね。きっと転んだ時のショックが残ってるんだよ」
「なるほど。あり得ますね」
僕は、顔を赤くしてしょんぼりしている藤山くんの隣について背中を撫でてあげた。
岸くんは同調してくれたが、高木くんは渋い顔で小さく口を開き、僕と藤山くんを眺めている。
その間、岸くんが藤山くんに「俺も擦ろうか?」と気遣うと、藤山くんが首を横に振り「いい」というやり取りをしていた。それを余所に、高木くんに声を掛ける。
「高木くん、どうしたの?」
「呆れて、言葉が出ないんですよ。俺のやったことを口実にして、イチャつくのやめてもらえません?」
「本人が痛いって言ってるんだから、疑ったら可哀想だよ。事故だったとしても、高木くんが転ばせたのは事実なんだから、心配してあげないと」
「……」
高木くんは口を閉じると、真顔でじっと僕を見据えてきた。
肯定もせず、言い返すわけでもなく、考え事でもしているような、真意の読めない眼差しを向けてくる。
何かおかしな発言をしてしまったのかと思い、問いかけた。
「何か言いたいことがあったら、遠慮せずに言っていいからね」
高木くんは直ぐには答えず、数秒見つめたままだったが、前触れもなく顔ごと視線を逸らし、平然とした表情で素っ気なく言葉を発した。
「発情期なんじゃないですか?」
「え?」
「そいつの長谷先輩を見る目、蕩けきってますよ」
指摘されて藤山くんに目を向けると、一瞬不安げな瞳とかち合ったが、直ぐに瞼を閉じてしまった。
「藤山くん、目を開けてみて」
「……開けない」
「それじゃあ少しだけ開けてみて」
「……」
優しくお願いすると、藤山くんは警戒心を僅かに解いてそうっと瞼を持ち上げた。
確かに少し熱があるみたいに茶色い瞳が潤んでいるように見える。
それを視認して、過去の出来事に思いを馳せる。
――発情期、か。
僕は高校一年の時に、街の公園で発情期になっていたΩの女の子を介抱したことがある。
その女の子の様子は、顔が紅潮していて呼吸も荒く、歩けずへたり込んでいて辛そうだった。
それに比べると藤山くんは、顔は火照っているものの、動けているので僕の知っている発情期とは一致していない。
「まあ、俺も直接見たことはありませんから、よくわかりませんけど。なんにせよ、俺のやったこととは無関係みたいなので、これで失礼します」
「え!? あ、高木!?」
高木くんは興味を失ったように投げやり気味に言い放つと、身を翻して校舎へと去っていった。
岸くんは、僕と高木くんの後ろ姿を忙しなく交互に見て、明らかに狼狽している。
そんな彼に僕は優しく笑いかけた。
「岸くんもありがとう。高木くんと一緒に戻っていいよ」
「いえいえ! いつも高木がすみません! 他に何かあったら気軽に言ってくださいね! それでは、失礼します!」
慌ただしく高木くんを追っかけていった。
それから、僕と藤山くんは近くのベンチに腰掛けて、念のため藤山くんの発情期事情について尋ねた。
「藤山くんは、発情期がきたことはある?」
「ない」
「そっか。それじゃあ、今の体の調子はどうかな?」
藤山くんの目元にかかっている前髪を、手を伸ばし指先で掬って横に払いのけた。
すると、藤山くんはきらきらした眼差しで僕の目を見つめた後、前触れもなく瞳を閉じた。
顎を上げてピンク色の唇を尖らせて、じっとしている。
「え?」
あまりに唐突だったので、ぎくりと上体がのけぞり、時が止まったように身体が硬直する。
手は髪を払ったままの形を保っていて、次第に緊張でふるふると震えてくる。息をすることすら躊躇われてしまう。
なんで目を閉じているのかな……?
戸惑い、疑問も発することができずに、ただ藤山くんの容貌に釘付けになった。
長い睫毛がきめ細かい肌に映えて、まるで美男子であることを見せつけられているみたいだ。
自ずと視線が誘われ、まつ毛から、整った鼻筋へと下り、唇に留まった。
重ね合わせるように自分の唇にも意識が向いて、暑さの影響ではない、顔の熱を感じ、汗が滲んでくる。
それでも頭の奥は冷静で、先程高木くんに指摘された、発情期という言葉がよぎった。
もしも発情期に個人差があって、藤山くんのこの行動が自分の意思とは関係ないものだとしたら、絶対に手を出してはいけない。
だからといって、欲を満たすために他のαに迫って欲しくもない。
そんなジレンマに苛まれ、胸がやきもきする。
せめて高校を卒業するまでは誰かと付き合って欲しくない。物理的に距離が離れてしまえば、きっと諦めもつくはずだ。
私情しか入っていない我儘だが、僕はそんな思いを暗に伝えるために藤山くんの両肩を掴み、優しく言い聞かせるように「こういうのは、大人になってからしようね」と言葉をかけた。
藤山くんは目を開けて、軽く唇を噛むと、はにかみながら素直に頷いた。
「わかった。……大人になるの、楽しみだ」
膝に置いた拳に目を落として、頬を赤くして照れた様子で独り言のように呟いた。
その姿を目にして、胸が微かにざわつき焦燥感が芽生えた。黙っていられず自然と口が開いた。
「そんなに早く大人にならなくていいからね。ゆっくり大人になってね」
成長を急ごうとする藤山くんに、僕は自分の都合のいい方向にやんわりと誘導する。
心境としては、嫁に行かせたくない父親の気持ちと似ているのかもしれない。
藤山くんは返事をすることなく、希望に満ちた瞳で拳を見つめ続けていた。僕の言葉は聞こえていないかもしれない。
落胆しつつ、何はともあれ、藤山くんの発情期が簡単に抑えられたことを安堵した。




