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夜明けの夢と儀式の同伴者




「これは、……………どういうこと?!」



冬の祝祭の翌朝、寝台で目を覚ましたリアンは、とても動揺していた。


どれくらいかと言えば、リルベリアの森で、夜道で遭遇した森の精霊王を不審者だと思ってうっかり滅ぼしてしまった時くらいの動揺だ。

高位の人外者の交代はなかなかに大きな波紋を呼ぶので、あの時は隠蔽するのが大変だったことを思い出す。



(ち、違う!そうではなくて……………!!)



今のリアンの動揺の原因は、寝台で隣に眠っている一人の男性である。


慌てて寝具の中を確認してしまったが、何か過ちを犯したという事ではないらしいものの、なぜここに、ジャスワンがすやすやと眠っているのか。

これはもう淑女的には大変由々しき事態なのだが、残念ながらここで、ジャスワンを揺り起こす程の経験則がリアンにはない。


もしや、種族が違うので寝台に犬を上げるようなものなのだろうかとか、きっと物凄い歳の差なので、保護者感を出そうとすると妖精はこうなるのかなとか、混乱しきった頭で考えながら、ただ、隣でわなわなと震えるばかりだ。


目を覚ました時間は夜明け前だったので、部屋に女官達がやって来るまでには猶予がある。

素早く窓の外のまだ暗い空を確認し、リアンはだらだらと冷や汗をかきながら素早く計算した。



(女官達が部屋に来る物音で、目を覚まして帰るわよね?だったら、いっそ気付かないふりをしてこのまま…………)



「リアン?まだ、起きるには早い時間では?」

「ぎゃ!目が開いてる!!」


いきなり声をかけられて寝台の上で飛び上がったリアンは、どこか眠そうな目でこちらを見たジャスワンに、再びわなわなと震える羽目になってしまう。


そんなリアンを見つめ、ジャスワンはふうっと息を吐いた。


よく見れば、いつもの儀式調の装いではなく、さらりとした白いシャツのようなものを着ている。

襟元の細いリボンを結んで整える型の物だが、リボンを解いて襟元を寛げている姿が妙に親密でどきりとした。


(………喉は喉!鎖骨なんて、お父様やお爺さまだって見たことがあるもの!!)


慌てて思考を逸らしたリアンは、そもそも野生の獣達は服など着ていないのだと自分に言い聞かせた。

ジャスワンは妖精だが、妖精の中には服などを着ていないもふもふしている生き物も多い。


そのようなものだと思えばいいのだ。



「さすがに、同じ寝台で隣に寝ている者が起きて、奇妙な暴れ方をしていれば目を覚ましますよ。だが、私はあまり朝が得意ではないので、もう少し大人しくしていて下さい」

「……………おかしいと思いませんか?なぜ、寝台に侵入されている私が、叱られるのでしょう」

「あの魔術書は、魔術金庫の中でしょう。もしもがあるといけませんので、私が傍に居た方がいいというまでです」

「……………持ち逃げしたりはしませんよ?」

「あなたが、真剣にそう考えるような人間だからこそ、私はここで眠れたのですがね。……そうでなければ、祝祭の夜をもう少し有意義に過ごせたかもしれません」

「なぜ、とても疲れた感じで言われたのでしょう………」



リアンとしては、釈然としないどころではなかったが、毛布を持ち上げたジャスワンが、早く寝なさいとなぜか辛抱強く待っている風を出してくるので、もういいやと温かな毛布の中に潜り込んでしまった。


リアンがこうして夜明け前に目を覚ますようにしているのは、自由な時間を確保する為である。


だが、ジャスワンが隣に居るのなら、金庫を開けて災いの書の状態を確認し直す必要はないだろう。

ここは上手にこの妖精を活用してみせるのだと考えてにやりとしたリアンは、決して、眠気に負ける訳ではないのだと自分に言い聞かせる。



ああでも、こうしてゆっくり眠れるのは、いつぶりだろうか。



(………不思議だわ。自作の魔術金庫のすぐ内側に、国一つを滅ぼしかねない災いがあるのに、少しも怖くはないだなんて………)



とは言え、昨晩は他にも驚くような話を沢山聞いてしまったので、まだ冷静ではないのかもしれない。


昨晩のリアンは、寝台の中で、リルベリアを守護してくれていたらしい人外者のことを沢山考えた。


例えば、リアンを孫のように可愛がってくれた梯子の妖精や、いつも美味しいクッキーを持ってきてくれた森の湖の妖精達に、刺繍を教えてくれた椎の木の精霊のご老人達。 


わらわらと集まってきて一番熟れている林檎を教えてくれる、ちびこい林檎の妖精達に、リアンはあまり会わせて貰えなかったが、騎士団に滞在していたという旅の魔物まで。


もしかしたらそのどこかに、国に守護を与えてくれている人外者がこっそり紛れていたのかもしれない。

そう考えて思い描き思案する祖国の風景は、在りし日のリルベリアの美しさで、リアンは久し振りに美しいばかりの祖国の事を沢山思い出せたような気がした。



(そして、そんな風に心が落ち着いていたのは、金庫の中の災いの書の中で、大きな大きな林檎の木が、ざわざわと葉擦れの音を立てていたからなのかもしれない)



それはまるで、子守唄のようだった。


美味しいご馳走をいただき、温かな部屋で毛布に包まって聞いている葉擦れの音は、懐かしいリルベリアの夜の音にそっくりで、リアンは、両親の寝台に入れて貰っていた子供の頃のようにすやすやと眠ってしまったのだ。


その直前まで、惨めさと悲しさに打ちのめされていたのだと思えば、あまりの変化に自分でも驚いてしまうほど。



「………あなたは、金庫の中にある災いが、恐ろしくはないですか?」


もう一度潜り込んだ毛布の中のぬくぬくとした温度に頬を緩めていると、こちらの考えを読んだように、ジャスワンからそんな事を聞かれた。

僅かにくぐもったような声音に、リアンは、そんな筈はないのに、この妖精がとても疲れているような気がしてしまう。



「手にした瞬間は恐ろしかったのですが、封印の魔術の向こう側に美しい林檎の木が見えたような気がして、いつの間にか怖くなくなっていました」

「……………成る程。私の祝福が正常に機能しているようですね」

「ジャスワン?」



小さな呟きが聞こえたような気がしたが、リアンが問い返す頃には、微かな寝息が聞こえるばかり。

寝言だったのかなと思うと、真面目に答えたリアンは解せない思いだったが、ひやりとするような暗い魔術を有する人ならざるものが、こんなにも無防備に眠ってしまうというのは驚きだった。


おまけに、こうして誰かの気配を隣に感じて毛布に包まっていると、リアンも徐々に瞼が重くなってくる。

諦めて目を閉じてしまうと、なぜか唇の端をむふんと持ち上げてしまっていた。



ざわり、ざわざわ。



強い風が吹く林檎の木の下で、誰かが泣いている。


その足元には昨晩渡されたケープが落ちていて、刺繍の糸の張りなどを見ると、真新しく見えた。


泣いている人の手には、精緻な細工を施された夜水晶の鉢があって、その中に入っている砂を見たリアンは、なぜか、あの砂漠の砂だと考えている。




“仕方ない。………もういないのだ。諦めるより他にない”



手に持っていた鉢を傾け、その人はさらさらと砂を撒き、その砂は、きらきらと光りながら風の中に散らばっていった。

弔いのようだと考え、張り詰めたままばらばらになりそうな後ろ姿にそっと手を伸ばしたが、これは夢なので届かなかった。



リアンがその光景に目を凝らしていると、ひと際強い風が吹いて、今度は深い夜の中にいる。


ここはどこだろうと周囲を見回すと、真っ暗な部屋の中なのだと分かった。 

だが、不思議と閉塞感はなく、窓から差し込むのは美しい夜の光だ。


開け放たれた窓から僅かに見える薔薇園を見ていると、この離宮からの眺めなのではないだろうか。

部屋に一切の明かりはなく、夜の静謐さの中でふうっと深い吐息の音が落ち、誰かが呟く。



“互いに同じ場所から始め、災いと守護の両側から駒を進める。…………あの封印を解く者が現れる迄の、数百年程度の暇潰しのつもりだったのだ”


その呟きに答える誰かがいたような気がしたが、リアンにはよく聞こえなかった。

ただ、途方に暮れたように窓の向こうを見ている美しい妖精の横顔を見ていたリアンは、ジャスワンが、はっとするような苦し気な微笑みを浮かべた瞬間を見てしまった。


“愚かだな、私は。………失ってから気付いたのだから”


自嘲気味に呟かれた言葉は、なぜこんなに悲し気なのに甘やかなのだろう。



(これはいつのことで、ジャスワンは、誰を想っているのだろう………)


途方に暮れて暗い部屋の中に立ち尽くしていると、窓から吹き込んだ夜風に乗って、薔薇の花びらがひらりと床に落ちた。


“死者の日にも、どこにもいなかった。もう地上になど戻りたくはないのかもしれないが、………だとすれば、もう二度と彼女に会う事はないのでしょう。………まったく、人間とはかくも狡猾なものだ。私と交わした誓約の重さを知りもせずに、まんまとあちら側へ逃げおおせるのか”


続く言葉には僅かな怒りも込められていて、夜闇の中でも光を孕むような美しい瞳に滲んだ鋭さに、思わずひやりとしてしまう。


だが、身を縮こまらせたリアンの代わりに、その場にいた誰かが呆れたように笑う気配があった。



“やれやれだな。だから妖精は嫌なんだ”

“………彼女が、一人でこの王宮から出られたとは思えません。手引きをした者がいるのだとすれば、妖精の領域から獲物を奪った者が、どのような顛末を迎えるのかを知らないらしい”

“言っておくが、俺じゃないぞ。大方、あの侯爵の娘だろうよ。目を離したお前の落ち度だ。それか、あの王女が自分の意思で逃げ延びたかだな。俺は、魔術を扱う様子を終ぞ見なかったが、あれでもリルベリアの人間だからな”



(………っ!)



その会話を聞いて、リアンは、ぴっと背筋を伸ばした。


これはいつの時代の事だろうとおろおろと周囲を見回していたら、いつの間にか自分の話が始まっているではないか。



“君が、介入したのではないと?”

“シャンティアが、俺の駒でもないことはお前も知っているだろう。あれは、差し手を用意出来ない人間側の駒として、敢えてこの盤上に乗せてやった人間だ。お前の手の内から逃げ出した王女も含め、結果として、盤面を崩したのは、どちらも人間という事になるな”

“……カリアムの側に常に控えていた君が、そう誘導したのではないという証拠もありませんが”


冷ややかな指摘に、ふっと笑うような気配が落ちる。

けれどもそれは決して友好的な微笑みではなく、どこか挑発的な歪んだ微笑みだった。


“最初にリルベリアの駒を持ち込んだのは、お前だろう。あの国の守護で俺の足元を封じておけば、こちらの駒を進められなくなると踏んだのだろうが、殆ど禁じ手に近いぞ”

“だからこそ、人間の側の駒を使って盤面を揺らしたのかもしれない”

“ほお。そうなると俺は、最初からお前の執着に気付いていたという事になるな”

“かもしれませんね。……最初から私が、なぜ彼女を連れ帰ったのかに気付いていたのなら、その手を打つ事も出来るでしょう。あの日、我々がリルベリアに寄ったのは、ほんの気紛れだった。………ですが、まさかのこの顛末だ。人間というものが、ここまで御し難いとは思いもしなかった……”

“だからこそ、暇潰しにもなるんだがな。……さて、俺はもう帰るぞ。長らく無能な王子の従者などをやらされていたからな。さすがにうんざりだ。……まぁ、剪定そのものはお前に譲ってやるよ。どちらにせよ、あの災いが開かれるまでは足止めだろう”



(……………あ!)



はっと息を飲み、リアンは両手を握り締めた。


今の言葉で思い出したのだ。

カリアムが従えていた人外者の従者は、何もジャスワンだけではなかった。

もう一人、種族の分からない黒髪の男性がいたではないか。


婚約を結んだ日に初めてカリアム王子に謁見した際に、その背後に立つ姿を見て、この人はジャスワンと同じ騎士服なので、人外者なのかなと思ったのにすっかり忘れていた。



(そうして人知れず紛れ、私達の側に潜んでいるものなのだわ………)



思えばリルベリアでも、林檎の妖精が祭りに紛れ込んでいる事はよくあった。

誰の子供だか分からない小さな女の子を見付けた際には、砂糖菓子か林檎酒を振る舞うのが古くからの決まり事だったではないか。


(ではもう、この国には神様はいないのかしら。残されたのは、災厄だけなのだとしたら……?)



そんな事を考えていると、ピチチと、鳥の鳴き声が聞こえてきた。

むぐと呻き、目を擦って伸び上がれば、もう隣に眠っていたジャスワンの姿はない。



「………おかしな夢を見てしまった……のよね?」



昨晩、ジャスワンから色々な話を聞かされたせいで、こんな不思議な夢を見たのかもしれない。


だが、リアンは魔術師なので、夢には意味がある事も少なくはないのだと知っている。

おまけに、あの夢の登場人物が隣に寝ていたのだ。

簡単に受け流してしまうのもまた、浅慮と言えよう。



(だとすれば、ジャスワンは、………私が死んだと聞いて、悲しんでくれたのだろうか)



ここにジャスワンがいたら、リアンは思い切ってそう尋ねてみたかもしれない。

だが、今朝は祝祭が明けたばかりの朝で、尚且つリアンのお披露目を控えた今日は、さすがの儀式長も忙しい筈だ。



「そして今日は、残念ながら私も忙しいのだったわ」


起き上がって身支度を始めようとしたリアンは、昨晩は脱ぎっぱなしで椅子の背にかけてあったケープの上に、一枚の紙片が置かれている事に気付いた。

取り上げてみると、優美な文字が記されている。



「………魔術洗浄はかけてあるので、安心して着ていて構わない。………ただし、トレアの前では着ないように」


リアンが読み終えると細やかな魔術の粒子になってきらきらと消えてしまった紙片を呆然と見つめ、リアンはゆっくりと首を傾げた。


「なぜ、………そんな忠告が必要だったのかしら」


トレアは王太子妃の護衛なので、祝祭の翌日という忙しい日に、こちらに立ち寄るような時間があるとも思えない。


だが、そんな風に考えていたリアンは、その後、やって来た女官達の手伝いで着替えを終えたところで、離宮警備の騎士の告げた訪問者の名前に、膝から崩れ落ちそうになった。



「なぜ、こんな日に暇なの………」


思わず怨嗟の呟きをこぼしてしまったが、幸いにも、支度を終えたところだったので、声が届く範囲に女官達はいなかったようだ。

だが、リアンがそう思うのも当然ではないか。



(王宮ともなれば、そこで働く人外者も多いとはいえ、こんな日は王太子妃の側にいるべき人材じゃないの?!それとも、実はそんなに使えないのに、紹介された時だけさも筆頭護衛ですという雰囲気を出していたの?!)



心の中では怒り狂っていたリアンだが、それでも、外客の間でトレアを迎え入れる時は、穏やかな微笑みを浮かべていた。

このくらいの事が容易でなければ、離宮への潜入などをしようと思う筈もない。



「リドリア様はこちらにご親族の方や後見人がおりませんので、シャンティア妃のご配慮により、本日は、私が同行させていただくことになりました。大聖堂での祈りの儀式は、明日のお披露目の為に必要な、大切な儀式ですからね。普通であればこのような場合は、離宮付きの騎士がご一緒します。ですがやはり、あなたのような方には、ある程度の階位の者が同行するのが望ましい」

「……は…い。どうぞ宜しくお願いいたします」

「そのように緊張されずとも結構ですよ。……儀式を執り行うのは残念ながら隷属上がりの妖精ですが、次期州王陛下のお気に入りですから、まぁ、詠唱の間は、土地を治める神のことでも考えていればいいでしょう」


そんな言葉には隠しもしないジャスワンへの嫌悪感が滲んでいたが、もっとつんけんしていようと思ったリアンが、思わず疑問を抱いてしまうような内容でもあった。



「………トレア様も、……聖堂や礼拝堂で、神への祈りを捧げるものなのですか?」


質問をしてしまってからしまったと思ったが、尊大な眼差しでこちらを見たトレアは、リアンが初めて興味を示したことに機嫌を良くしたようだ。


「これはこれは、リドリア様の御興味は、こちらの話題でしたか。成る程、魔術を納めた御令嬢というだけの事はある。ですが、漸く私に興味を持っていただいて、嬉しいですよ」



微笑んでそんな事を言われてしまったリアンは、つい先程の迂闊な自分を、外にある噴水の中に投げ捨てたくなった。

どちらにせよ、正式なエスコート役としてこの離宮を訪ねられてしまった以上は、トレアの付き添いで儀式に出るしかないのだが、その間ずっと得意げにされていたら心が死んでしまう。


「まぁ、単純な好奇心ですので、あまり深く考えないで下さいませ」

「私とて、礼拝堂には赴く場合はありますよ。人々が信仰を捧げているのは、この国を含む近隣諸国を治めるほどの、高位の方ですからね。祈りを捧げる事はありませんが、かの方の気配が近しい時には、相応しい敬意を払います」

「………かの方が、こちらにいらっしゃらない事もあるのですか?」


そう尋ねると、トレアはふっと微笑みを深め、リアンの耳元に唇を寄せる。

離宮を出て大聖堂に向かいながらの道中という王宮内の公道での事なので、リアンはとてもむしゃくしゃした。


「どうかご内密に。神の不在など、人間達を不安にさせるだけですからね。ですが、実はそのような事は珍しくはないのですよ。彼等にも自分の領地や個人の予定がありますから。………私がこの話をしたのは、あなたが魔術に長けた方だからです。リドリア様のような人間は、………なかなかに珍しい」

「……っ、………確かに、私のような履歴の者は珍しいのかもしれません。ですが、王都には大勢の魔術師がおりますでしょう」


一瞬、出自が知られたのかと思いぎくりとしたが、トレアの表情から、それはないなと考えた。

であれば、孤児院上がりで、側妃を目指しながらも魔術師であるという肩書きを指しているのだろう。


「男には食指は動きませんね。餌箱でも、私が追うのは女の魔術師ばかりです。……おっと、ご不安にさせてしまいましたか。どうかご安心を。魔術師はよい糧になりますが、リドリア様にそのような不埒な目を向けはしませんよ。この先を見据え、モルジワナ伯爵令嬢に相応しい敬意を払わせていただきます」

「では、私もお披露目儀式を成功させなければいけませんね。カリアム殿下の側妃であってこその、家名なのですから」

「………ええ。ですが、そちらもご心配なく。伯爵も、中央との繋がりは必要だとお考えのようです。選定式でどのような結果が出ても、リドリア様の才能を手放す事はされますまい」



(なんてことかしら。伯爵家とシャンティア妃の間で、もう密約が交わされている可能性があるのだわ……)



リアンは、この時ほど、残り時間の短さを感謝した事はなかった。


選定式まで離宮にいたら、この人外者に我が物顔で距離を詰められてしまうところであったらしい。


迎えに来たのがトレアだったことで、今日はあの暖かなケープを羽織れていないというだけでも、この精霊かなという護衛騎士を滅ぼしてしまいたいくらいなのに。



(……………せっかく、綺麗なのに)



窓から見るばかりではなく、離宮を出て外回廊を歩けば、雪の積もった中庭を見る事が出来た。

真っ白な雪景色は美しかったが、隣にいるのは気に食わない同伴者であるし、あのもこもこのケープを使えず、あまりの寒さにリアンはがちがちと歯を鳴らして震えそうになる。


そんな苦行は、朝の祈りを捧げる壮麗な大聖堂に着くまで続き、遙かなる高みにあるステンドグラスの天窓から差し込む色とりどりの光の筋を見ても、もはや美しいとも何とも思えないくらいに続いた。


なぜ大聖堂まで寒いのだと憎しみでいっぱいになっているリアンの顔を、祭壇の上に立ち美しい声で詠唱を響かせているジャスワンが一瞥したが、その表情には、いつの間にか見慣れてしまっている感情の気配はどこにもない。


そこにいるのは見知らぬ人の顔をした儀式長で、かつては騎士服を着ていたジャスワンとも、まるで別人のように思えた。


今朝まで部屋にいた人とは思えないという以前に、リアンは、そんな儀式長としてのジャスワンの姿に、あれから三年も経ってしまったのだなと今更ながらに考えてしまう。



(身近な人との三年は、決して長くはないものだわ。けれども、見知らぬ人達の繋がりに於いて、それはあまりにも長い時間ではないだろうか……………)



だからきっと、カルフェイドの人々は災いの書への畏怖を忘れ、リルベリアの民達も、与えられていた守護とそれを得る為に支払った対価について忘れていってしまうのではないだろうか。

自分事ではない出来事を、人間という利己的な生き物が抱え続けるのはとても難しい。


そんな時間の流れを考えれば、一つの国の剪定に長い時間をかけられる人外者とは、相容れない部分なのだろう。



深い影の色の中に散らばる光の色を踏み越え、祭壇に向かう真っ直ぐな通路で跪く。


床石には見事な深紅の絨毯が敷かれていたが、それでも膝を突いた床は冷たく硬かった。

そんなリアンの額に、祝福を湛えた水に触れた指先で、ジャスワンがそっと触れる。



明日のお披露目に備え、土地の神への祈りを捧げる儀式はこれでおしまいだ。


リアンは王都には知り合いがいないので、同伴してくれたトレアの他に参加したのは、モルジアナ伯爵家の新しい養女に興味を持った王宮勤めの者達や、たまたま同じ時間に大聖堂を訪れた者達くらい。


側妃候補者に挙がる前から社交界にデビューしていた他の貴族令嬢達の周囲とは、比べ物にならないくらいの寂しさだろう。



(…………うう、寒い。終わった……………)



しかし、当のリアンには厳かな気持ちどころか、僅かな立会人しかいないことへの後ろめたさもなく、あるのはただ、温かい部屋に戻りたいという切なる思いばかりであった。


なので、大聖堂を出たトレアが、庭園を散歩しませんかと言い出した瞬間、軽い殺意すら覚えたのは致し方ないと思うのだ。



「……………散歩、でしょうか」

「ええ。リドリア様は、まだこの王宮のことをあまりご存知ないようですからね。お披露目の前に、幾つかお話しておいた方がいい事もあります」

「離宮に戻ってからではいけないのですか?」

「おや、それは無粋な事を。私とて、カリアム殿下の側妃候補のお方の離宮には、あまり長居が出来ませんよ」



(では、これはもっと駄目でしょうに!)



むかむかしているリアンに、雪と薔薇の組み合わせも美しいですよと微笑んだトレアは、この容貌だけであれば、王宮に集まる貴婦人たちにもさぞかし人気があるだろう。


王族らしい華やかな顔立ちの美男子であるカリアムや、その他の王子や王女達に比べると、やや涼やかな印象の面立ちではある。

だが、人外者の美しさというのは不思議なもので、どのような造作であれ、はっとするような魅力があるものなのだ。



「おや、カリアム殿下ですね。隣は宰相殿かな」

「………殿下が?」


さりげなく薔薇園の方に誘導されてしまいぐぬぬと思っていたリアンは、そんなトレアの声に顔を上げる。


すると、外回廊の二階部分にあたる回廊の窓から、豪奢な金糸の盛装姿の一人の男性が見えた。

確かに隣にも男性の姿があるが、カリアムの影になってしまっていて、造作を確認出来る程ではない。



(………あれが、…………カリアム殿下?)



実はリアンは、婚約者でありながらも、カリアムとはあまり面識がなかった。

表面的な対応は柔和であっても、あからさまに道具的な扱いであったので、久し振りに見るその姿にもそこまで深い憎しみは動かない。

せいぜい、リアンが滅ぼすものの先頭に立つ一人という程度だろうか。


「興味がありますか?あなたは、他の側妃のように、殿下に会わせて欲しいと我が儘を言うことはなかったようですが」

「勿論です。私は、あの方の為にこの王都に参りましたから。ですが、今はまだお披露目を済ませておりませんので、お会いしたいなどとは申せませんわ。…………まぁ。もしかして殿下は、片目に怪我をされていらっしゃるのでしょうか?」


ちらりと見えたカリアムの横顔に、宝石を縫い込んだような煌びやかな眼帯が見えたような気がした。

ただの装飾のように見えるが、完全に片目を覆ってしまっているのではないだろうか。

しかし、リアンのその問いかけにくすりと笑うと、トレアは訳知り顔で頷いてみせた。


「殿下の負傷は、あまり公にされてはおりませんからね。三年程前に、この王都の南郡で大規模な祟りものの討伐が行われました。当時は第一王子であった殿下も参加され、その際に酷い事故があったようです。私はまだ西方域にいた頃でしたが、当時の側近であったアージュ様とその配下であった五人の騎士が命を落とし、殿下ご自身も目を負傷なされたようですよ。…………噂によれば、あの目は、何某かの対価として取られているという者もおります」

「祟りものに取られてしまったのですか?」

「さて。祟りもの風情に可能な障りかどうかは、怪しいところですね。私は精霊ですので、あの眼帯がない時にご尊顔を拝見した際に、あれはもう少し厄介な魔術欠落だという感じがしましたよ。……………ですので、州王になられるあの方には、以前程の覇気は感じられません。七の州の王と言えば聞こえはいいですが、一時は、最もカルフェイドの次期国王に近いとまで言われた方でしたからね。リルベリア侵略の戦果は大きく国王からも評価されていましたが、やはりリルベリアの障りは免れなかったという事なのかもしれませんね」


トレアは思いがけないくらいに色々な事を話してくれたので、リアンは、まだ若干一刻も早く離宮に戻りたいという気持ちもあったが、これはこれで有益な時間であったと考え直した。

こうして、カリアムの情報を教えてくれるのは、側妃ではなく、自分を夫にして国境域に戻った方が得る物が大きいと言いたいのだろう。

だが、当然ながらあまり外には出てこない次期州王の情報は、明日の大舞台を控えたリアンにとっては有難かった。


(…………亡くなったという側近の方が、ジャスワンと賭けをしていたこの土地の神様だった方ではないのだろうか。確か、そのようなお名前だった気がする。であれば、カリアム殿下が大きく力を削がれた形になっているのは、駒として扱われていたのだとしても、自陣にいた大きな力を持った人外者が立ち去ってしまったからなのかもしれない……………)


それに、思ってもいないような情報も、今の会話には織り込まれていたではないか。


「リルベリアは、カルフェイドにとっての要所でもあったのですか?その頃はまだ伯爵家にはおりませんでしたので、あまり詳しくは知らないのです」

「要所というよりは、あちらへの国土拡張を妨げる棘のようなものでしたよ。リルベリアは、小さな国ながらも国土に与えられた古の守護が手堅く、カルフェイドも攻めあぐねていた土地です。守護を脅かせば、付与された守護に見合っただけの障りを受ける事が多い。ですので、あの国に近い七と八の州にとっては、長年悩みの種だったと聞いています」

「………そのような土地だったのですね。侵略されたと聞いているばかりでしたわ」

「正直なところ私は、カリアム殿下は、その勢いを利用されて貧乏くじを引かされたのだと思っておりますよ。誰があの方を唆したものか。或いは、………誰かがこの地で、よからぬ遊びをしているのかもしれませんが」



そう笑ったトレアに、人外者にとってそのようなことはさして珍しくはないのだなと思い知らされた。


なので、薔薇園の中を通り抜ける際に周囲から死角になるところで、不埒にも勝手に口付けをしようとしてきた精霊に於いては、なぜだか猛烈に足の裏が痒くなる呪いをかけて追い払うに留めたのは、リアンなりの温情である。




「……………さて、私がトレアを処分する必要があるかどうか、教えていただいても?」

「これから一生、足の裏が痒くて堪らない生涯を送るので、私としてはこれでいいかなとも思います。…………明日にはもう、いなくなってしまうかもしれませんしね」



またしても離宮にやってきたジャスワンは、リアンが、がしがしと顔を洗っていたので何かを察したようだ。


すっと瞳を細めて不機嫌になると、そんな事を言うではないか。


だが、リアンが授けた呪いについて聞くと途方に暮れたように目を瞠っていたので、高位の人外者は、足裏が痒くて堪らなくなる呪いを人間にかけられるとは思わなかったようだ。



「林檎の木の災いが、あの精霊めよりも強ければですが」

「であれば、間違いないでしょう。トレアは、人間が使役するには高位の精霊ですが、さしたる階位の精霊ではありませんからね。………こちらへ。晩餐の準備は出来ておりますよ」

「……今夜も、ジャスワンが準備をしてくれたのですか?」



どうやら、部屋に来たのは晩餐の持ち込みでもあったらしい。


ほこほこと湯気を立てる美味しそうな料理に、元々用意されていた物はどうしたのかなとも思ったが、これが最後の晩餐となるのであれば、やはり温かくて美味しい物の方がいい。


災いの書を開くまでは餓死しないように見守るのも契約の内なのだろうと考えたリアンは、さっと離宮内にある食事用のテーブルに着いた。


部屋には相変わらずジャスワンと二人きりなので、女官達はどうしているのかなと思ったところ、魔術で認識などを歪めるような領域を敷いており、離宮に務める騎士や女官達は、自分達が恙なく職務を全うしているという認識でいるらしい。



(人外者の人達は、そういう魔術が得意なのかな………)



ぱくりと、美味しいパン粉焼きの海老を頬張りながら、リアンはまだ雪の残る窓の外を眺めた。

向かいの席で食事をしているジャスワンを盗み見て、小さく唇の端を持ち上げる。



(ねぇ、ジャスワン。……………私は、こんな風にあなたと食卓を囲んでみたかった。あなたにとっての私は、森で見付けたちょっとおかしな人間程度のものでしょうけれど、こんな風に一緒にお喋りをして、一緒に笑ってみたかったわ。……………だから、あなたにとっては見張りの延長線上かもしれないこの夜が、最後に叶った私の願い事になるのでしょう)




明日の儀式で、リアンは災いの書を開く。

それは、この大好きだった妖精とのお別れも意味していた。












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