三十九話 王族
「子供欲しくなりました」
「……今更?」
ある日執務室で書類を片付けていたシルフィアがペンを動かす手を止め、唐突に言った。冗談か何かかと思って顔色を伺うが、至って真剣だ。こいつらは二人で延々とイチャついてるのが好きなんだと思っていだが、どうやら心変わりしたらしい。
「それは養子的意味で?」
「いえ実子的意味で。ヴァンパイアってやっぱり妊娠できないんですか?」
「無理。卵子と精子を取り出して人口受精して代理母出産なら」
「エルマーと私の子を有象無象の雌豚の胎に、と?」
「せめてオブラートに包め」
シルフィアの目線がブリザード。まあ前世でも代理母が子供の親権を主張して裁判沙汰になった事件があったし、シルフィアの子の親権を代理母が主張したら……代理母、死ぬな。やめた方が無難だろう。
「シルフィアとエルマーの形質魔力鎖からDNA指定コードを抜き出して減数分裂的に半減させてから接合させて作った魔力鎖を使えばまあ魔法的に子供作るのはできる。理論上は」
ホムンクルスの応用だ。
「じゃ、それで。やり方教えてくれれば私達で作るので準備だけお願いします」
シルフィアはあっさり頷いた。いいのかそれで。自分で胎を痛めて産む事にこだわりはないようだ。全く子供は欲しいけど出産に纏わるゴタゴタは嫌だとかけしから……んのか? エルフィリアの倫理観は他国や前世と比べてかなり歪んでいるから何が正しくて何がおかしいのか分からなくなってくる。
俺の血筋はシルフィアの代で終わるかと思っていたが、これで繋がる事になる、のだろうか。 DNA的には間違いなく繋がるが出産したわけでは……しかし出産したのと変わりない肉体をもって産まれてくるわけで……産まれてくる? 創られる? あれ? またよく分からなくなってきた。まあいいか、認知しておこう。生物の本懐は子孫繁栄。実に喜ばしい。やったねシルフィア、家族が増えるよ!
ご機嫌で鼻歌を歌い始めたシルフィアは手際よく書類を片付けていく。ふーむ。
「で、なんでまた子供欲しいなんて言い出したんだ? 食べるのか?」
「なんでそこでカニバリズムなんですか。大切に育てますよ。私にも夫との愛の結晶が欲しいと思うぐらいの母性はあります」
「自分で育てるのか?」
「当然でしょう? 育児放棄とか虐待とかそんな屑な事すると思ってるんですか」
軽蔑したような目を向けてくる。こいつは本気で子育てをするつもりなんだろうか。子供作るだけ作ってほったらかして自分はエルマーと再びイチャつき三昧とか、子供の出来が気に入らなくて殺処分とかしそう。これが一般エルフに対しての仕打ちなら苦言を呈す程度に留めるものの、それが俺の子孫に向けられると思うと忍びない。
シルフィアは高慢で捩くれた性格をしている。家族に対しては比較的柔らかいが、エルマーの意向次第で嬉々として殺しにかかってくる程度には狂っている。そんな奴がまともな子育てできるか? 不安で仕方ない。
ちゃんとまっとうな教育・扱いをするつもりがあるのか問いただすが、シルフィアは良識的な回答を重ねていく。
「子供が万引きしたら?」
「叱って品物を返させて謝らせて謹慎させます」
「テストで悪い点とってきたら?」
「どこが分からなかったのか自己分析させて、必要なら分からない所を教えます」
「嫌いな食べ物を残したら?」
「美味しく食べれるように調理して少しずつ慣れさせます」
「里長の座を押し付けて自分は影の支配者ポジションに就くとか?」
「里長の座は子供が望めば適正を判定した上で譲ります。影の支配者枠は大御祖父様で埋まってるじゃないですか」
ふむん。マトモ過ぎてちょっと驚いた。言葉通りなら良い母親になりそうだ。とりあえず大丈夫っぽい。念のためエルマーにも釘を刺しておこう。北の山脈にある金属精製所にいる俺で、たたら製鉄を見学中のエルマーに尋ねる。
「エルマー、子供の件についてちょっと」
「んあ? あー。何?」
「お前も子供欲しいと思ってるのか?」
「まあね。剣も極めたしさ、子供に受け継がせようかと思ったのさ」
エルマーは腰にさした二本の刀に手を当ててニカッと笑った。
二百年に渡り研鑽してきたエルマーの剣技は限りなく限界に近い域まで高められている。最早これ以上の鍛錬をしても意味はない。魔法的要素無しでエルマーに勝る戦士・剣士は古今東西存在しないだろう。かくいう俺も同条件で勝負するとエルマーに勝てなくなっている。鍛錬時間的には俺の方が圧倒的に有利なのだが、お互い限界まで鍛えられているため、才能や感性で勝るエルマーの方が強くなってしまったのだ。魔法アリなら圧勝できるけども。
エルマーは最強の剣士を目指して剣技を磨き続けた結果、俺すらも下し、名実共に世界最強の剣士になった。多分長年の目標を達成して次の目標が欲しくなったとかそんなんじゃないかね。あと、
「お前『一子相伝の秘剣』って大好きだろ」
「大好きだ!」
やっぱりな。ひょっとしてそれがやりたかっただけじゃね? と思ったが口には出さないでおいた。
まあこういう事なら子供の安全については心配要らないだろう。シルフィアはまっとうな教育をするつもりのようだしエルマーも後継者を蔑ろにはしないと思う。
ひとまず憂いは無くなった。二人の子供をつくる準備に入るとしよう。
法暦219年。シルフィアとエルマーの子は男女一人ずつ生まれ、娘がアンゼロッタ、息子がテウルスタと名づけられた。事実上の王族に生まれた子にエルフィリアは沸いた。エルフはこぞって祝いの品を贈り、この日は国民の休日になった。
俺は二人の誕生祝に最新式の魔核(※)、エイワスとソロモンを贈った。赤ん坊の頃から一緒にいれば良いパートナーになるだろう。エイワスとソロモンには育児教育知識も授けてあるから、両親が子育てにまごついたり手が届かなかったりした時のサポートも期待できる。サポートぐらい俺がやればいいんだが、シルフィアが子供の教育に口出しされるのを嫌がっているのでダメだ。どうやら二人が自分よりも俺に懐く事を危惧しているらしい。気持ちは分かるので自重する。
「母様ですよー」
「父だぞー」
エルフィリアの屋敷に設けられた子供部屋。ベビーベッドを覗き込んでシルフィアとエルマーが二人をあやしている。シルフィアがうとうとしているアンゼの手をくすぐると、アンゼはシルフィアの指をぎゅっと握り締めた。シルフィアはうっとりする。
「ああ可愛い……」
「なんかしわくちゃだなぁ」
エルマーは興味津々な様子でテウルを指先で突いている。テウルは指から逃げるように身をよじった。
「でも可愛いです」
「……まあな」
「大丈夫ですよ、拗ねないで下さい。私が一番愛してるのは永久不変でエルマーです」
「俺も一番愛してるのは永久不変でシルフィアだよ」
二人がピンク色のオーラを出し始めると、赤ん坊は揃って私達もいる! と主張するように泣きはじめた。エルマーがびっくりしてのけぞる。
「おわっ! な、なんだなんだ。何が悲しいんだ? 大丈夫だ、シルフィアは俺の嫁だけどお前達の母だぞ」
「いえそれはそうですけどそういう事じゃないでしょう。赤ん坊は泣くものなんですよ、エルマー」
シルフィアは少したどたどしい手つきでおむつを外しながら、聖母のように慈愛に満ちた声で言う。エルマーは不思議そうな顔をした。
「なんで?」
「お腹がすいたとか、お漏らししたとか、眠いとか、寂しいとか、どれも意思表示の方法が『泣く』しか無いですから」
「なるほど、喋れないもんな……でも眠いから泣くっておかしくね。寝ればいいじゃないか」
「そういうものなんですよ」
「変な奴らだなあ。あ、手伝わせてくれ」
「じゃあそこの換えのおむつとって下さい」
「ピンクの? 青の?」
「一つずつ。ピンクのがアンゼで青のがテウルです」
二人は和やかに赤ん坊の世話を焼いている。ふむ。口ではなんとでも言える、いざ実際に子育てする段階になったらどうなる事かと心配していたが、杞憂だったようだ。こうやって天井裏からこっそり監視する必要もないかな。
≪……で、私達は何故瓶に閉じ込められてるんですか≫
≪監禁反対≫
おむつを替え終わった二人にベビーベッドの脇の小机に置かれた瓶に入れられたエイワスとソロモンが文句を言った。シルフィアは泣くのをやめてぐずるアンゼの頭を撫でながら気もそぞろに反論する。
「うっかり食べられたりでもしたら困るでしょう? 赤ん坊はなんでも口に入れるんですから。胃液の海に喘ぐのは嫌でしょう」
≪それはそうですけど≫
≪胃液プレイ……ゴクリ≫
≪ソロモン!?≫
≪冗談だ。本気にするな≫
……監視する必要はないが監視は続けよう。見てて面白い。
健やかに育てばいいんだけどなー。両親のどちらに似ても嫌だな。魔核組に似る事を祈ろう。
※従来の製法の改良版。チオチモリンを低温にし、攪拌せずメタモリウムをゆっくり結晶化させる。作成にかかる時間は攪拌式が数時間、結晶式が一ヶ月。結晶式の魔核は小さめのビー玉程度の大きさで攪拌式の魔核(ピンポン玉サイズ)と同程度の性能を持つ。
三章は次話でラスト。別に図ったわけではないのですが、一章二十話、二章三十話、三章四十話になりました。四章は五十話の予感