表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノーライフ・ライフ  作者: 黒留ハガネ
二章 蠢く者達
46/125

二十六話 それぞれの信仰

「百ギルだ」

「百ギル?」

「あ? 文句あるか?」

「……いや」

 デンベルクは巾着から銅貨を十枚数えて出し屋台の店主に渡し、代わりにパンを二個受け取りその場を立ち去った。自分の前の客に同じ物を半値で売っていた事を指摘してもどうにもならない事を知っていた。ケチをつけたところで最終的には肉体言語で物理的に黙らせられるし、目撃者がいたとしても誰もそれを咎めないだろう。

「くそ、死ねよもう……」

 ぶつぶつと店主に絶対聞こえない声量で悪態をつきながら、デンベルクは背を丸めて疎らな人通りを隅に寄って足早に歩いていく。金髪碧眼のビルテファ人であるデンベルクは、紫髪黒目のナルガザン人が栄華を誇るこの帝国では肩身が狭い。デンベルクはやるせなさを込めてパンを食いちぎる。

 デンベルクは二十年ほど前に王国が滅びてからというもの、ビルテファ人というだけで不遇の扱いを受けてきた。

 食べ物を買えばぼったくられ、日用品を買えば不良品を掴まされ、帝国人と言い争いになれば殴って黙らせられ、身を粉にして働いても一月五十ギル(※)貯蓄するのがやっとの安月給。毎日なんの希望も見出せないままダラダラと生にしがみ付き続け、嫁をもらう余裕もつくれないまま四十歳になってしまった。

 腕っ節で全てが決まる帝国の理不尽な流儀がデンベルクの腹に骨を浮かせ、くたびれた継ぎ接ぎだらけの服を着せていた。デンベルクが持つ才能と能力は文官系だ。喧嘩はからっきしだが計算は誰よりも早く正確で、文字も丁寧で見やすく早く書ける。記憶力が高く、口が堅い。そんな真っ当な国なら我先に求める特技がクソの役にも立たないのがこの腐った国、ナルガザン帝国だ。

 ナルガザン帝国では何よりも強さが美徳とされる。強ければ尊敬され、強ければ良い職に就け、強ければ皇帝にすらなれ、強ければ正しい。逆に言えば弱ければ蔑まれ、弱ければ職に就けず、弱ければ騙されても文句は言えず、弱ければ間違っている。とんでもない乱暴者達の国。弱肉強食の世界。

 いや、あくまでもそういう風潮が強いというだけで、流石に何人も人を殺しておいて強いから無罪だとか、強ければ店の商品を勝手に持って行っていいだとか、そんな事はない。しかし強ければ酌量され、強ければまけてもらえるのも厳然たる事実だ。

 ビルテファ人でも強ければ優遇を受けられるが、ビルテファ王国はその国防を魔法使いに頼っていた性質から剣士や戦士が帝国と比較して圧倒的に弱かったし、精々が農作業で自然に鍛えられた程度の肉体で脳みそまで筋肉な帝国人に勝てる訳が無い。

 つまり「ビルテファ人は弱い」という通説がナルガザン人達の間に広まり、そのような扱いをされ続けてきたのも(帝国の観点から見れば)無理なからぬ事だったのだ。

 だからデンベルクは帝国の討伐隊が魔王に惨敗したという話を知った時、我知らずざまあみろと哂っていた。直後周囲の帝国人に「なに笑ってやがる」とタコ殴りにされたが。

 魔王は人間を滅ぼすという。

 ビルテファ人を滅ぼすのではない。ナルガザン帝国を滅ぼすのでもナルガザン人を滅ぼすのでもない。人間を滅ぼすのだ。それがデンベルクにとってはとても好ましく思えた。

 魔王にとっては人間は全て人間でしかない。老いも若きも男も女も愚も賢もない。 

 デンベルクはそこに名状し難き魅力を感じる。

 人種、社会的地位、そんなつまらない物から解き放たれた超越的な存在、魔王。彼は―――もしくは彼女は、いや性別という概念で魔王を推し量ろうとする事自体愚かしい―――魔王は、自らに好意的な人間であろうと必要ならば迷い無く殺すだろう。必要であれば利用するだろう。

 例えその先に滅亡しかないとしても、デンベルクは魔王に消えて欲しくなかった。人間の天敵であって欲しかった。暗がりから這いより、襲い掛かり、魂を永遠の牢獄に閉じ込めて欲しかった。

 デンベルクは自身に芽生え、日々膨らんでいく異常な性癖に恐怖しつつも陶酔していった。

 今にもウィスプが湧き出るかと想像するだけで、暗闇は友になった。魔王の邪法に囚われ穢れる自分の身体を空想するだけで、腐臭は気にならなくなった。墓地の土の下から這い出るスケルトンを夢想するだけで、頭蓋骨が愛しくなった。

 表向きはデンベルクに変化は無かった。相変わらず痩せて、貧相で、生きるのに疲れた目をしたままだ。言動は普通で、行動も普通だ。

 しかし内面では、ガリガリと、ガリガリと、人間として在るべきナニカが削り落ちていっていた。

 鬱屈した精神で不満を溜め込み、耐え続け、疲れ果てていたデンベルクの心は発狂こそしなかったが、一年と経たない内に致命的に「正気」から外れてしまった。静かに狂ってしまったデンベルクの心はもう戻れない。

 やがてデンベルクは、魔王に暗い魅力を感じたのは自分だけではない事を知った。

 その集団に加わった時の状況をデンベルクは覚えていない。きっかけは酒場だったか、仕事場だったか、街角で声をかけられたのか。

 彼らは必ずしもデンベルクと同じ感性を持っているわけではなかったが、同じ対象を崇拝するという点で共通していた。面子は多様だった。名の知れた大商人がいれば、帝国の軍人も、娼婦もいて、デンベルクのようなビルテファ人もいる。集団で集まりを開くたびに少しずつ規模は大きくなり、半死人だの、魔王派だの、冒涜者だのと呼ばれるようになった。同志と共に過ごす時間はデンベルクに安寧をもたらしたが、それは決して癒しではなかった。共鳴者を得たデンベルクの歪んだ精神はますます確固たる物になる。

 魔王派の短期的目標はアンデッドを探す事だった。第一次魔王城攻城戦からこっち、街からアンデッドの目撃情報が消えていた。アンデッドは精霊無しには発見が困難で、探索は困難を極めた。精霊派に見つからないよう探索しなければならない事も探索効率を下げた。了見の狭い精霊派は魔王派を厳しく取り締まっていたからだ。

 精霊派と魔王派はアンデッドを探す上で幾度と無く小競り合いを起こした。軍部が社会の混乱にあって動きが鈍っていたのは幸いだった。さもなければ魔王派は一人残らずとまではいかないが、大多数は狩りとられていただろう。

 軍部の混乱が収まり出す頃には魔王派も用心深くなり、表立った活動は一切しなくなった。地下に潜り、日常生活では普通を装い、裏ではアンデッド探しに奔走する。いっそ魔王城へ行こうかという案も出たが、流石に辿りつく前に死にそうだった。小休止を取っているらしい魔王軍の代わりに人間を殺そうという案が出たり、精霊使いの暗殺計画を立てたり(実際一人毒殺した)……

 人間でありながら人間に敵対し、自らも破滅の道を歩む狂気の集団。

 魔王を崇拝しつつも様々な思惑が入り乱れる魔王派は、結束を強めるために、思想を統一するために、「死霊教」と名乗った。一年前の事である……

 はっとデンベルクが物思いから覚めると、目的地の酒場の前にいた。足が道を覚えていたのかいつの間にか着いていた。

 大通りから外れた寂れたわき道にひっそりと建っている、店かどうかも怪しい薄汚れた小さな酒場だ。軒先にかかる外れかかった看板の文字も絵もかすれて判別できない。もう夕方だというのに酒飲み達の話し声は全く聞こえてこない。開店休業状態だ。

 無理もない。この酒場のマスターも死霊教徒で、今日も同胞のために貸切にしているのだ。

 デンベルクが酒場の戸を開けて入ると、戸口のベルが揺れたが、さび付いていて音は出なかった。それでもカウンターの向こうでコップを磨いていた初老のマスターは客人に気がつきじろりと睨んだ。

「注文は」

「黄金の蜂蜜酒」

「それは向こうで飲みな」

 合言葉をかわし、奥に通される。

 奥の部屋には小さな丸テーブルと脚がガタガタの椅子が二脚、そして空の酒瓶が数本転がっているだけだった。デンベルクは隅にある椅子をどかし、床板を剥がす。そこには狭い円筒形の竪穴と地下へ続く梯子があった。

 梯子を降りて地下室に入る。そこは三ミール四方の小さな部屋だった。中央に人骨で作った祭壇があるせいでますます狭くなっている。灯りは小さな天窓から微かに入ってくる西日だけだ。

 デンベルクは地下室にいる人影を数え、一番近くにいた仮面にフード付ローブという出で立ちをした男に小声で聞いた。

「ネイアはどうした?」

「今日は来れんそうだ」

「なら俺が最後か」

「ああ……始めよう。燭台に火を灯せ」

 男の合図でひそひそと話していた死霊教徒達は口を噤み、部屋の四隅の燭台に火を入れた。ゆらゆらと揺らめく光が部屋を照らす。明るくなったはずの室内はなぜか重苦しさを増したように感じられる。中央の祭壇が室内の人間達を睥睨するように佇んでいた。今にも動き出しそうだ。



「……ぃぁ ぃぁ ぃぁ ぃぁ いあ いあ はすたぁ はすたぁ くふあやく……」



 誰かが祝詞を唱えはじめた。重々しい、歳月を重ねた男の声だ。



「ぶるぐとむ ぶるぐとらぐるん ぶるぐとむ」



 それに瑞々しい少女の声が加わった。更にしわがれた老人の声が追従し、地の底から這い上がるようなおどろおどろしい若い男の声が重なる。

 地下室の人間達は祭壇を囲んで円になり、恍惚とした表情で、あるいは冒涜的な笑みを浮かべ、狭い地下室に邪悪な呪文を反響させる。



「あい あい はすたぁ ふんぐるい むぐるうなふ


 くとぅるう るるいえ うがなぐる ふたぐん


 くとぅるう ふたぐん にゃるらとてっぷ つがー」



 この呪文を死霊教徒に授けたのは魔王の使いだった。死霊教を結成して三日もしない内にアンデッド側から接触してきた。以来、死霊教徒はアンデッドの指示に従って動いている。アンデッドと協力関係にある死霊教徒は裏社会で絶対的な力を握るようになった。表ではうだつのあがらない棺桶に片足を突っ込んだような人間であるデンベルクも、裏世界では頼られ恐れられる存在だ。最近ではなぜ自分の心臓は動いているのだろう、なぜ自分の骨には肉がついているのだろう、と疑問に思い始めている。



「しゃめっしゅ しゃめっしゅ にゃるらとてっぷ つがー


 くとぅるふ ふたぐん あい あい はすたぁ」



 祝詞を唱えていたデンベルクは不意に上から濃密な気配が降りてくるのを感じた。デンベルクは天井を見上げ――――

 ああ! 窓に! 窓に!



















「……んぇ?」

 ニパは枕にしていた腕から頭を落とした衝撃で目が覚めた。机に貼り付けていた顔を上げ、間抜けな声を出す。寝てしまっていたらしい。

 寝ぼけ眼を擦り、ぼうっと夢の記憶を掘り起こす。不吉な内容だった気がするが、どうにも思い出せない。ニパはすぐにどうでもいいか、と考えるのをやめ、涎の跡がついてしまった書類を袖で滲まないように軽く押さえて水分をとった。

「吹キヌケヨ清純ナル風、ブリージング」

 更に呪文を唱えて軽い風を起こし、書類に当てる。再契約した新しいシルフは以前契約していたシルフと全く同じ姿だ。

 今ニパがいるのは精霊教の精霊殿(仮)の執務室だ。精霊を祭る祭壇や正式な精霊殿は建造中。

 唯一精霊が見え、声が聞こえる精霊使いであり、三人しかいない討伐隊の生存者であるニパは気がついたら精霊教の大司教に祭り上げられていた。な、なにを言っているのか分かると思うがニパも何が起きたのか分かっている。つまるところ政治って怖いねという話。

 政治という怪物の前では個人の武勇など嵐の中の小船。いやニパはその怪物を調伏できそうな人物を二人ほど知っているが、生憎とニパはそこまで傑物ではない。泣き落とし、婉曲な脅迫、しがらみ、報酬、様々な手段を用いて迫る精霊派の面々に押し流され、ニパは否応無く大司教の座に就かざるを得なくなっていた。

 ニパは頭をぶんぶん振るって意識をはっきりさせ、乾いた書類に目を通した。まだまだ未決済の書類が机に山を作っている。第一次魔王城攻城戦はあれはあれで死にそうだったが、これはこれで死にそうだ、とニパは思った。この三日間で睡眠時間は二時間しかとれていない。

 真っ黒な隈ができた虚ろな目で窓の外を見ると月が昇っていた。おかしい。さっき沈んだばかりじゃないか。

「殺される……殺される……」

《大司教っつーよりDie死凶だなコレ。一人分の処理能力でよーやるわ》

 ぶつぶつ呟きながらもニパはカラクリ人形のように書類に目を通し、羽ペンを走らせて処理していく。隣でシルフが興味深そうに書類を覗き込んで何か言ったが、反応する余裕はとっくの昔になくなっていた。

 今や帝国は事実上二つに分裂している。

 帝国城がある南の領土を中心とした皇帝派。旧王都を中心とした精霊派。一応精霊派も皇帝の庇護の下にある体裁をとってはいるが、ちゃくちゃくと精霊派は旧王都に集結しつつあり、一年もしない内に独立宣言が成される見込みだ。

 皇帝派と精霊派は主義は違えど魔王に敵対するという点で共闘関係にある。精霊派の独立は皇帝派にとって苦々しいものである事がニパが処理している書類の文面の端々からまざまざと伝わってくるが、だからと言って独立を妨害しようとはしないだろう。というか妨害されないように四方八方を調整している所為でニパは死にかけているのだ。ニパの戦友であるシモンが皇帝になっていなければ死んでいたかも知れない。シルフが思わず《おいおい大丈夫か? 俺が手を下すまでもなく死にそうな顔してるぞ》と素で心配してしまうぐらいニパの顔色は悪い。

「この書類は……毒殺された精霊使い……? どうせまたアンデッドの仕業でしょうよ……まーた湧き出してきたのかぁ……精霊使いの警邏増やさないと……ぁぁぁあまた書類が増えるうぅぅぅ……」

 書類の束に忙殺されるニパに大司教の威厳は全く無かった。

 延々と書類を捌き続け、窓から差し込む眩しい朝日と共にニパは最後の一枚にドヤッと大文字でサインして机の上に羽ペンと一緒に放り出し、その場で突っ伏して腕を枕に睡眠体勢に入った。精霊教最高位に就いているだけあり自室に行けば仕立ての良いふかふかのベッドが待っているのだが、移動時間が惜しかった。

 ああ、やっとインクも紙もない甘美な夢の世界に旅立てる……

 ……と、思ったら部屋の戸がノックされ、秘書が返事も待たずに入ってきた。ニパは頭を跳ね上げて呻く。見張っていたかのようなタイミングだった。三日ほど前までは秘書も礼儀を弁え返事を待ってから入ってきたのだが、ニパがノックを黙殺して寝ようとしたため問答無用で入ってくるようになってしまった。

「おはようございます、大司教様。本日はサラマンデレア視察の予定が入っております」

「……明日には」

「回せません」

「だよね……」

 ニパは空気と一緒に疲れも吐き出せないものかと思いながら長々とため息を吐き、机の引き出しから手鏡と化粧品を出し、手早く化粧で隈と土気色の顔色を誤魔化した。それから秘書から強壮剤を受け取り、一気に飲み干して立ち上がる。ちなみにこの強壮剤、過剰摂取すると死ぬ。

「君達は元気そうでうらやましいよ」

 ニパは恨めしげに秘書とその隣にいるサラマンダーを見た。秘書は澄ました顔でどうも、と言い、サラマンダーはニカッと笑ってマッスルポージングをとった。ニパの顔が引きつる。

「うわぁ……徹夜明けにこれは勘弁。どうせならウンディーネが見たい」

《喧しいわ小童め。この筋肉の良さが分からん内は半人前と言えよう》

 サラマンダーは分かっているのかいないのか、ぐっと親指を立てた右手を突き出しバチンとウインクを飛ばしてきた。ニパはさっと顔を逸らしてウインクを避けた。

 ニパは秘書を伴い精霊殿(仮)の執務室を出て廊下を渡り、敬礼する門番に愛想笑いをしながら玄関の前で待っている馬車に乗り込んだ。二頭立ての馬車が静かに走り出す。ニパは早速馬車の中に敷き詰められたクッションを抱き寄せて丸くなった。

「着いたら起こして」

「残念ながら移動時間中は風精霊隊隊長との打ち合わせの予定が入っております」

「 ま た か ! 」

 ニパは絶叫した。

 シルフがウィスパーなどという長距離連絡魔法を持っているばっかりに、ニパは移動時間中ですら仕事に追われる。ウィスパーは便利だが、便利過ぎて辛い。

「今ほどシルフの存在を恨んだ事はないよ」

「大司教にあるまじき発言ですね」

「黙れお前に私の気持ちが分かってたまるか」

 ニパは心の中で泣きながらウィスパーのスペルを唱え、上っ面は健康そのものな声質を装って風精霊隊隊長との打ち合わせを始めた。組織のトップは楽じゃない。

 風精霊隊隊長との打ち合わせを終え、ついでに警邏を増やすよう指示し、人員の調整のために水と土と火精霊隊の隊長にも連絡し、昨日新しく精霊使いになった新米に薫陶を与え、さて一分でいいから寝ようと思ったら秘書が到着しましたとのたまった。

 今度こそニパは泣いた。無表情で。

 しかし泣いてばかりもいられない、化粧が落ちるので素早く袖で目を押さえ、無心になって感情を消し涙を止める。

 一年中火を燃やし続ける町、サラマンデレア。旧王都の近くにできた新興の町だ。

 町に入り、中心部までガタゴト進んで停止した馬車から降り、ニパは数ミール先で火の粉を散らしている赤々とした炎を見上げた。昼間だというのに町の中央広場に薪を組んで火が焚かれている。

 ニパの目には火の中で胡坐をかいて瞑想しているサラマンダーの姿が見えた。その隣にモヤモヤしたサラマンダーのなり掛けが居るのも見える。サラマンダーはこうして火の中で分裂して増えるのだ。分裂の途中で火が消えると始めからやり直しになるから、ずっと火を焚いていなければならない。

 火の周囲には様々な形で信仰を示している者達がいた。

 真剣な顔で身の丈ほどの岩にレリーフを彫っている者、台車を引いてせっせと薪を運んでいる者、削った岩を組んで祭壇を造っている者、火の傍に跪いて祈っている者、祈っているフリをして暖を取っている者。彼らはニパを見ると会釈したり平伏したりした。

 ニパはにこにこと民衆に手を振りながら、呑気なものだ、と思った。精霊に力を取り戻してもらわないと強力な魔法が使えないから、火を焚いたり、土を肥やしたり、水を浄化したりは必要だ。精霊は人間の奴隷ではなく共に歩む者であるから、敬意と友愛を示す意味でレリーフや祭壇を造るのも良い。特に祭壇は精霊と人間が契約を交わす目印の場所になる予定だから実益もある。

 しかし仕事漬けのニパから見ると無性に「祈っても書類は片付かないんだよ!」と叫びたくなる。ニパは精神的に追い詰められていた。

 一通り町の様子を見て回ったニパは町長と会談をした。数年前ではとても手が出なかったお高い紅茶を出されたが、味と香りを楽しんでなどいられない。

 町長と話したのはかねてから暖めている農業計画についてだ。サラマンダーがいれば冷害を緩和でき、ノームがいれば土を耕すのが楽になり、ウンディーネがいれば旱魃も怖くない。国力の基礎はいつの時代も農業だ。足場を固めるのは重要である。

 会談の結果、やはりまだまだ精霊使いの数が少なく、防備に回すだけで精一杯で、農作を手伝わせる余裕はないという事になった。ニパとしては常備軍としての精霊使いを一定数確保し、民間の精霊使いには普段は家業に専念させておき、有事の際に民間の精霊使いも徴兵する、というのが理想だ。

 何にせよあと三年もすれば精霊使いを農作に回す余裕も出てくるだろう。話はそれからだ。

 会談を終えた帰り道、馬車に揺られながらニパはきっぱりと秘書に宣言した。

「精霊殿に戻ったら仮眠とらせてもらうからね」

「既に新しい書類が届いておりますが」

「……積んどいて。流石に限界。死ぬ」

「一昨日からそうおっしゃっていますが生きておられます」

「無理だから。今度は本当に無理だから。三時間経ったら起こして」

「承りました。では到着までの間に土精霊隊による城壁建造の経過報告をお聞き下さい」

「はいはいどうぞ……」

 ニパは疲れ果てた声で報告を促す。

 精霊教大司教の過酷な生活は穏やかな信仰からはほど遠かった。















 

 彼が「死」というものを初めて肌で感じたのは十歳の時だった。

 それまでは死を紙に書かれた文字、一つ繋がりの単語としてしか認識していなかった。

 それを感じるのはどのような感覚で、それを与える事がどのような意味を持ち、それを与えられる恐怖がどれほど強烈なものなのか、まるで理解していなかった。

 話にしてみれば簡単な事で、家に強盗が入って、両親が殺され、自分も殺されそうになったから隙を突いて強盗を殺した、それだけの話。ありふれているとは言えないが、珍しいとも言えない、そんな体験。

 両親を亡くした彼は遠縁の親戚を頼った。その親戚は帝国軍の戦士で、家に置いてある鎧や剣に少年の冒険心を刺激され、自然と彼も剣を振るうようになっていた。

 じわじわと実力を伸ばし、帝国軍に入ったのが十四歳。初陣が十五歳で、初めてアンデッドを斬ったのも十五歳だ。

 彼はどろりとした黒い液体に沈む、自分が斬ったアンデッドを見て恐怖した。

 人は死んだら祖霊となって子孫を見守り、もしくは愛用の武具に宿るのだと教えられていた。彼は死んだ両親が祖霊になったと思っていたし、それは救いだと思っていた。

 しかしアンデッドは死してなおこうして動き、自分達を襲っている。魂が救われず、魔王に縛られている。昨日一緒に笑いあった友人が今日はアンデッドになっているかも知れない。何気なくすれ違った通行人はアンデッドかも知れない。それは許されざる事だ。死は死として受け入れなければならない。昔自分が両親の死を受け入れたように。

 彼はアンデッドにもう一度死をもたらし解放するために、対アンデッドの剣術の教えを受け始めた。皇帝エカテリーナを祖としたその剣術は、剣の教えというよりは心構えの教えと言った方が正確だ。

 訓練は背後の魔力を感じ取る事から始まる。魔力は魔法使いにしか見えないし操れないが、魔法使いでなくとも漠然とした何かを感じる事はできる。その漠然とした感覚を研ぎ澄ませるのだ。

 背後に人がいるかいないかがはっきりと判別できるようになったら、今度は背後に何人いるか感じ取れるようにする。一人か、二人か、三人か。

 その次は位置を感じ取れるようにする。気配が近づいてくる、離れていく、すぐ後ろにいる、まだ遠い、そういったものを察知できれば合格だ。

 そして最終段階として目を閉じて全方向からの攻撃を回避できるようにする。この段階に至ると魔力も避けられるようになる。来ると分かっていても完全に攻撃を回避するのは無理だが、身構えられるだけでも違うし、十回中五回でも避けられれば生存率は格段に上がる。特に魔法は通常ならば確殺の凶悪攻撃だから。

 十八歳の時、彼は町外れの墓地でゾンビと交戦中、突然背後に気配を感じて反射的に跳んだ。一瞬後に彼がいた場所が爆発する。どっと冷や汗が噴き出した。一歩間違えれば肉片になっていた所だ。

 リッチがいる、と分かった彼は一目散に逃げ出して事なきを得る。攻撃を避ける事はできてもどこから攻撃が来ているのかさっぱり分からないからだ。無理にその場に留まればいずれ魔法が命中して爆散する。リッチやウィスプを打倒できるのは精霊使いと相場が決まっていた。

 対アンデッドの教えを受け継いでいなければ即死だった。皇帝エカテリーナは既にこの世を去っているが、その教えは確かに自分の中に息づき、命を救ってくれた。彼はエカテリーナの魂が生きている事を感じ、涙を流して感動した。

 偉大な過去の戦士達が積み上げた技が、受け継いだ武具が、自分を生かしてくれる。いずれ己が死のうとも、築き上げたモノは次代へ受け継がれるのだ。それは例えようもなく崇高な事であるように思った。

 彼は今日も命ある事を祖霊に感謝し、自らもまた強くあるために剣を振るい、心と技と体を鍛える。





ギル:帝国の通貨単位。1ギル=2円



>>ああ! 窓に! 窓に!


 ウィスプが参上しただけです。宇宙的恐怖が降臨したわけではないのでご心配なく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
「……ぃぁ ぃぁ ぃぁ ぃぁ いあ いあ はすたぁ はすたぁ くふあやく……」 笑ってしまいましたぞ!
[一言] うがふなぐる ふたぐん
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ