① アクシデント
杉浦鷹志は、今後の人生について、少しばかり迷っていた。
彼は幼少のころから神童と呼ばれ、頭脳明晰で何事においても飲み込みが早く、何かを学習するということについて、これまで一度も苦労したことが無かった。
学生時代も、周りの友人たちが、日々予習、復習にがんばって取り組んでいるのをしり目に、授業の内容など、一度聴いたら頭にすんなり入るし、記憶の定着に手間取る経験も無かった。
もちろん、身に着けた基礎を元に、例題をたくさんこなさなくても、応用も効いた。
定期テストの結果は常に学年トップであり、それ故、小、中、高の各学校では、常に卒業生代表の挨拶をしたので、同じ学年で彼の事を知らない者は居なかったほどである。
学歴的には東京大学農学部を首席で卒業し、その後大学院へ進み、生物・環境工学を専攻した。
彼の夢は、宇宙空間や他の惑星での農作物の育成であり、そしてもう一つ、生命の可能性を広げる、とある計画を進めることであった。
そのためには誰かの元で働くより、個人的に研究を進めたいと、常々思っていたのだった。
コレは、ただ先立つものはカネであり、そのためにはバイトでも何でもしなくちゃ、と彼が思っていたころの話である。
その日、たまたま地元の名護屋市に帰って来ていた鷹志は、少し調べたいことがあり、昭和区の鶴舞中央図書館を訪れていた。
目的の本を借りて、二宮金次郎よろしく、それを拾い読みしながら歩く彼は、いつしかJR鶴舞駅に向かう交差点に差し掛かっていた。
歩行者信号は赤だった。
彼は気づかずそのまま歩き続け、横断歩道の中ほどで、ふと、まずい状況に気づいた。そして思わず足を止め、戻るか進むか迷ったのが良くなかった。
コレは、普段注意深い彼には有るまじき行いだった。魔が差したと言ってもいいだろう。そして、悪いことは重なるものである。ちょうどそこへ、シルバーのビートルが右折で侵入してきたのだった。
それは鷹志に接触し、彼は5mほど飛ばされた。
クルマはすぐに停車し、左側の運転席から降りて来た男は、すぐに彼を助け起こし、呼びかけても返答が無いのを確かめると、さっと彼を助手席に乗せて、素早く走り去ってしまったのだった。
その間、わずかに1分程度。
目の前が交番であったのにもかかわらず、たまたま警察官が、全員別件でパトロールに出ていたのも、良くなかった。
目撃者によると、クルマは一路、栄町方面に向かったようだったと言う。




