第十三話「マティウス様の下僕であって、恋人ではないのでしょう?」
「ねぇ、ルゼリア様! マティウス様と付き合ってらっしゃるって本当ですか?」
「……ッ!?」
女子寮の食堂で、夕食を食べている最中にそう聞かれルゼリアは驚いた。
「な、なんでそんなことになっているのかしら?」
クロウリア家の令嬢としての仮面をなんとか貼り付けて、とんでもないことを聞いてきた女子生徒たちに聞き返す。
「だって最近、ルゼリア様はマティウス様と親しげですもの」
「朝の登校時間も一緒ですものね?」
それは下僕として彼の言い付けを守っているだけである。
それに起こした後、ちゃんと起きて出てきているか確認も含まれる。
「一緒にいる間は顔を寄せ合って、仲睦まじそうに話されていますし……」
それはマティウスとルゼリアが二人一緒にいると、その場にいる周囲がざわめき出すのだ。
お陰で声が聞こえないので、結果的に近くに寄り添って会話をするしかない。
「昼食の時なんてお互いにあーんをする仲で……」
それはマティウスに命令されて仕方なくやっているものだ。
「放課後はお二人でどこかへ行かれていらっしゃるようですし……これはデートをしていますのよね?」
「たまに図書室でお勉強を一緒にされていましたわね?」
それは空き教室で勉強を一緒にしているだけだ。たまに図書室で行うこともある。
「この前だって倒れたルゼリア様をマティウス様が運んでいらして……」
それは……ルゼリアは覚えていないが、この様子だとやはり公衆の面前で運ばれていったようだ。
「ねぇルゼリア様! これはもう付き合っているといっても過言ではありませんよね??」
「……ち、違いますから」
どうやら、他の生徒には二人の行動はこう見られていたらしい
答えながらルゼリアは頭を抱えた。
傍から見れば確かに、恋人同士と疑われても間違いない行動ばかりだ。
メイリが勘違いするのだって今なら分かる。
「まぁ、皆さん。そのようにルゼリア様を困らせてはいけませんよ」
女子生徒に囲まれていたルゼリアの元に鈴の音のような声が届いた。
「だって、ルゼリア様はマティウス様の下僕であって、恋人ではないのでしょう?」
輪の中に入ってきたのは目の冴えるような真っ赤な髪をした可愛らしい令嬢。
「そうですわよね? ルゼリア様」
ぷっくりとした可愛らしい唇で緩やかに微笑む、その令嬢の名は――。
「……ええ、そうね。イルメラさんの言う通りよ」
ルゼリアは赤毛の令嬢、イルメラの微笑みに返すようにそう言った。
実際、本当のことだった。マティウスとは恋人同士でもなんでもない。
今までの疑わしい行動だって全て、下僕扱いをされているところを皆が勘違いしただけだ。
「まぁ……そうでしたの?」
「ルゼリア様がマティウス様の下僕という噂は本当だったのですね……」
どうやらルゼリアがマティウスの下僕というのは、皆半信半疑だったようだ。
(……ま、貴族令嬢が本来することじゃないわよね)
それよりも恋人関係であると信じたほうが、現実味があるだろう。
だからこんな拗れた噂になったのだ。
「ルゼリア様、凄いですわね。普通は下僕なんて進んでやりませんのに……今でもきちんとなされているのですから。わたくし、イルメラは尊敬します」
「褒めてくれて、ありがとう」
何が尊敬だろうか。
侯爵令嬢とあろうものが、下僕などという下働きをしているなんて、という嘲りがイルメラの言葉の端々にあった。
「そういうイルメラさんも、この前マティウスさんの腕に抱きつかれていましたね? あのような大胆なこと、普通の令嬢ではできませんわ。その度胸は素晴らしいですね」
令嬢にしては、はしたない行動だろう。
そして、よくも侯爵家のルゼリアを恐れずに言ってくれる。
「あら、覗き見していたのですか? 声を掛けてくださればよかったのに」
「たまたま、校舎の廊下から見えただけだったもので」
バチバチと二人の視線の間に見えない火花が飛び交う。
「そ、それにしてもマティウス様がフリーということは……今年の交流会でのパートナーは決まっていないということですわね?」
表向きは普通に会話しているが、剣呑な雰囲気を素早く察知した他の女子生徒が話題を変えるようにそういった。
交流会とは前期の中間テストの後に行われる全生徒を対象としたパーティーである。
ちょうど年の瀬の冬休み前に行われるこの交流会は、生徒同士の交流を主とし、新年を迎えた後も共に頑張っていこうなどと言った学園側が用意したイベントだ。忘年会と言っても良い。
その交流会に参加するためには毎年異性のパートナーを連れて参加するのが決まりだ。
男女比率の合わない学園であるため、生徒同士がパートナーとなることは少ない。
そのため、外部からの参加も許可されていた。一種の夜会と言えるだろう。
「じゃあ私が立候補しようかしら?」
「――そのことでしたら、マティウス様とは去年に引き続いて、パートナーをすると約束していますのよ」
そして、去年の交流会ではマティウスとパートナーを組んでいたのはイルメラだった。
「今年もイルメラさんがパートナーなのですね!」
「すごいわ、イルメラさん……マティウス様のお相手を引き続いてするなんて」
「ええ、皆さんもマティウス様のお相手をしたかったのでしょうけど……これは彼との約束ですので、ごめんなさいね?」
イルメラは最後ににっこりとした可愛らしい笑みをルゼリアに向けた。
話はこれで終わり、という感じでその場は解散となった。
「なんなのかしら……あいつ」
「わざわざ、皆さんの前で言い触らすなんて……よっぽどマティウス様のパートナーの座を奪われたくないようですね。そして、ルゼリアを目の敵にしていますね?」
メイリの言葉にルゼリアも同意する。
――イルメラ・フォン・ラドリー。
ラドリー伯爵家の令嬢で、なにかとマティウスの側をうろうろしていた気がする。
彼女についての記憶が曖昧なのは、ルゼリアにとっては今まで特に関わりを持たなかった令嬢であり、赤い髪以外の印象が薄かった。
それというのも彼女は特に勉強ができるわけでもないし、実家が有名というわけでもない。ルゼリアが取り立てて気にする者ではなかった。
……が、相手はそうでもないようだ。
先程の当て付けようといい、ルゼリアのことをかなり気にしている様子。
(まぁ、十中八九マティウス狙いだからよね……)
この学園に入学する女子生徒の目的は二つに分かれる。
純粋に魔術を学ぼうとする者と、婚約者探しのためだけに入学した者だ。
王国が運営し、国王公認であるこのアルティナ王立魔術学園。
この学園に通う男子生徒の殆どは、魔術師として将来有望株揃いと言っていいだろう。
その中で最良の結婚相手を早めに見つけ出し、婚約することを入学目的とする女子生徒がいる。
話題に上がった交流会だってそうだ。男子生徒が連れてくるパートナーの殆どは兄弟姉妹が殆どで、交流会を縁に婚約することも珍しくない。
この学園は魔術師と貴族という上流階級の社交界の場であり、それぞれの思惑が絡み合う場所でもあるのだ。
(嘆かわしい……! 魔術師になるつもりがないなら入学してくるんじゃないわよ!)
父の反対を押し切って入学したルゼリアからしたら、そういった女子生徒たちの存在が許せなかった。
確かに貴族令嬢としてわからないでもないが、やはり納得がいかない。
入学だってすんなり入れるわけではないのだ。
厳しい試験をくぐり抜けてきた彼女たちは魔術師の才能があるだろうに、入学した後は最低限の勉強に留めて能力を磨こうとせず、日々男性の後を追いかける。
そんなのばかりだから、女の魔術師は必要ないと言われてしまうのだ。実に嘆かわしい。
現代において“魔術師”とは本来、国家資格のある職業のことを差す。
定められた教育機関で勉強し、卒業証書をもらわなければ名乗れない職業である。
魔術師が持つ増大な能力を正しく扱うためには、十分な知識が必要であり、その結果として国家資格を持たなければ、魔法を扱ってはならない定めだ。
ルゼリアも、あの天才魔術師と言われるマティウスだって、厳密にはまだ魔術師見習いという立場である。
生徒の身分であるから、魔法の使用が許可されているのであって、世間では何の許可もなく魔法を使用することは許されていない。
……だからこそ、この学園に入っても魔術師を目指さないなら、本当に魔術師を目指す者に生徒の枠を譲れと言いたい。
イルメラという令嬢もそういう女子生徒の一人だ。
しかも彼女の野望は大きく、マティウス狙い。
最近下僕として一緒にいるせいで、あらぬ噂を立てられているルゼリアを目の敵にするのは当然と言えよう。
(……まぁ、私には関係ないけど)
あんなのに付きまとわれるマティウスは大変そうだとは思うが、ルゼリアには関係ないことだ。
レイナール家の嫡子で天才であるマティウスの交流会のパートナーが誰になろうとも。
(それより、中間テストが近いから勉強しないといけないし……変に噂を立てられるのだって嫌だし……)
そんなことに構っている暇はないのだ。
自分の将来のためにも、今は勉強をしなくては……。
そう思うはずなのに、胸のざわめきは消えなかった。




