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テオのお留守番

 うだるような暑さもなりをひそめ、昼下がりにテオは縁側で小さく寝息を立てていた。


「テオ、ちょっといいか」


 不意に声をかけられ、耳をぴんと立ててテオは体を持ち上げる。そこには少し困ったような顔をした湘がいる。


「しょう、どうしたの?」

「ちょっと出かけなきゃいけない用事が出来たんだ。今は茅姉も弟切も出かけてるし、俺もしばらく帰れそうにない。ひとりで留守番できるか?」


 家にひとりになる。それはテオにとっては初めての経験だった。いつも誰かしらが家にいたから。けれど、テオは小さく頷く。


「しょう、テオならへいき。しごとの、ようじ?」

「まぁ、みたいなものかな。普段はこんな明るい時間に呼び出されないんだけど、緊急らしくてな。姉さんたちも夜まで帰らないだろうし、エノシマさんや由比が帰ってくるまで、ひとりで平気か?」

「うん。テオは、ずっともりでひとりでいたんだよ」

「それもそうか。じゃあ、大丈夫だな。誰か来ても無視していいから。じゃあ、ちょっと行ってくるよ。あまり遅くなりそうなら由比に連絡入れるから、店屋物でもとって食べてくれ」

「わかった! いってらっしゃい!」


 そして、テオは広い家にひとり残された。

 もう一度寝ようか、と目を閉じてみる。けれど、眠気はやってこない。

 普段湘がいる台所へ行ってみた。

 テオにはよく解らないが、たくさんの機械が静かな部屋に佇んでいる。少し旧型の一際大きな『冷蔵庫』というらしい物を冷やす機械が、小さな唸り声を上げていた。

 外からは子供のはしゃぐ声や、車のゆっくり走る音が聞こえてくる。


 ひとり。


 ひとりには慣れているはずだった。

 親も兄弟も殺され、テオはたったひとりで生きてきたのだから。

 地を走るコルドバードを追い回し、獲物が捕れなかった日は水を飲んで飢えをしのいだ。

 草木が風に揺れる音を聞きながら、いつか自分も人間に殺されるかも知れないという恐怖を抱いて、ひとりで生きた。


 しかし、それとは違う恐怖がここにはある。


 まるで、時間に取り残されたかのような、深い泉に沈んでいくような。

 こちこちと音を刻む時計の音。

 それが少しでも早く進まないかとじっと見つめてみるが、時間の流れは変わらない。

 ダイニングである洋間とリビングである和室の間に寝転んでみたりした。背中にごつごつと当たる仕切りのレールが少し心地良い。

 リビングにあるあの映像と音の流れるテレビというらしいものをつけてみようか、とも思ったが、やり方が解らない。どうせつけたところで、こんな時間に自分が好きそうな映像は流れないだろう。

 この家はテオの好きなネイチャー専門チャンネルも映るのだが、映し方はテオにはてんで見当もつかなかった。


 ゲームに舌打ちする茅の声も、楚々と歩く弟切の静かな足音も、家事をする湘の鼻歌も、エノシマと由比の喧嘩の声も、なにも聞こえない。


 ひとりぼっちとは、こんなに寂しいものだっただろうか。


 テオは何故か泣きたい気分になってきた。くぅ、と鳴る自分の鼻の音すら、静寂の中ではやけに大きく聞こえた。


 丸くなって、ひたすら時間が経つのを待つ。気がつけば太陽はずいぶん傾いていた。その時、玄関に向かって誰かが歩いてくる気配がした。軽い靴の音。

 テオは慌てて玄関へと走る。鍵が開く音と、からからと玄関の開く音。そこに立っていたのは、ランドセルを背負ったエノシマだった。


「テオ、帰ったぞ」

「おかえり、エノシマ!」


 自分の主人によく似た少女は、屈んだテオの頭をひとなでする。


「兄貴殿のメールで知ったぞ。ひとりで留守番、偉かったのう。寂しかったじゃろう」

「さみしかった。すごく、さみしかった! でも、テオ、まってたよ」

「よしよし、テオは偉いのう」


 そのままぎゅう、と抱きしめられる。

 小さなエノシマではテオの背中に手を伸ばすのが精一杯だったが、テオにとってはそれがとても嬉しかった。


「テオ、腹は減っておらんか? 早く帰ってやりたかったんじゃが、級友に無理やり誘われてな、駄菓子屋に寄っておったのじゃ。えびせんを買ってきたから、一緒に食べようではないか。兄貴殿には内緒じゃぞ」

「うん!」


 エノシマから渡された半分に割られた大きなえびせんを受け取り、テオはぱりぱりと咀嚼する。口の中の水分を全て持っていかれてしまい、むせてしまったが、エノシマは笑って水を持ってきてくれた。


「エノシマ」

「なんじゃ?」

「ひとりはさみしいね」

「そうじゃのう」

「エノシマもずっと、さみしかった?」

「そうじゃな……。寂しかったとも」

「でも、かぞくがいるから、さみしいっておもえるんだよね」

「そうじゃ。家族に残されるのは、とても寂しい」

「テオは、かぞくがいたことがすくなかったから、あまりわからなかったけど、きょう、とってもさみしかったよ」

「テオはもう儂らの家族じゃからな。貴重な体験ができたのう」

「もう、ひとりはいやだなぁ……」

「儂もじゃ、テオ。じゃが、これからもひとりで留守番はせねばならんかもしれん。慣れねばな」

「うん……」


 その時、テオの耳がぴくりと動いた。


「ゆいだ!」


 そして、玄関へと走っていく。


「やれやれ、やはりご主人様が一番か」


 エノシマはテレビのスイッチを付ける。合わせるのは有料チャンネルのネイチャー番組だ。雄大な海の中を、シャチが悠然と泳いでいる。

 テオにこのチャンネルの合わせ方を教えてやろう。

 もう、ひとりで留守番をしても、退屈しなくて済むように。

 玄関でご主人様に尻尾を振るテオを見て、エノシマはえびせんの最後のひとかけらを口に放り込んだ。

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