弟切の1日【後編】
「ごちそうさまでした! おいしかった!」
「お粗末様でした。さて、ちゃっちゃと洗い物を済ませるか」
湘様は皿をふたつ持ってキッチンに向かい、テオはふくれたおなかをさすりながらあの口で器用にもコップの水を飲み干す。そしてコップを湘様に渡し、少し会話をしたと思ったら私の元へ駆け寄ってきた。
「おとぎり、おとぎりのきょうのばんごはんはなにがいいかって。かってくるからきいてきてって、しょうがいってた」
「私の夕食ですか? なんでもいいのですが……」
私は少し考える。
「……缶詰の、パイナップルが食べたいですかね」
「かんづめの、ぱいなっぷる?」
「甘いシロップに漬けられた南国の果物です」
「かんづめの、パイナップル、パイナップルだね。わかった!」
テオは再び湘様の元に走り、それを伝えているようだった。この短い距離なのだから、少し声を上げればいいだけなのに、湘様はじっとしていられないテオに何かと用をいいつけては働かせている。
「はやくゆいかえってこないかなぁ」
テオはそうぼやきながら縁側でごろごろしているうちに眠くなってきたのだろう、やがてすぅすぅと寝息を立てだした。湘様がテオの腹にタオルケットをかけながら私に言う。
「弟切、そろそろいい時間だけど、姉さん起こさなくていいのか?」
言われて時計を見ると、15時を回ろうとしていた。
「そうですね、そろそろ起こしてまいります」
「寝起きの茅姉、機嫌悪いから気をつけてな」
「心得ております」
私は二階へ上がり、姉様の私室のドアを叩く。
「姉様、失礼いたします」
ドアを開けると、姉様はベッドの上で胎児のように丸くなって寝息を立てている。私は恐れ多くも姉様を揺すり、声をかけ続ける。
「姉様、起きてください。そろそろ準備をしなくては、会合に遅れてしまいます」
「うーん……かいごー……? めんどくさい……。弟切だけで行ってきて……」
「そうは行きません。姉様の代わりは誰にも務まりません」
「うー……。ああー……めんどくさい……」
「姉様」
「わかってるわよう……。起きる、起きますよぅ」
姉様は寝ぼけた顔でばっと起き上がると、ぼさぼさの髪をわしわしと掻き乱す。
「弟切、今何時……」
「15時を回ったくらいです」
「えっ、やばっ! シャワー浴びて化粧して……ああっ、なんでもっと早く起こしてくれなかったの!」
「申し訳ありません。あまりにもよくお眠りになっていたので」
「ええーと……! 弟切、書類!」
「全部そろえております。姉様は車の中で目を通していたければ」
「ありがと、弟切! 助かる!」
姉様はばたばたと着替えを抱えて風呂場へ走っていく。私は乱れた布団を整え、姉様の支度が整うまでに自分の身支度を整える。扇を顕現させて、くるりと舞うように回ると、私の服は狩衣からきっちりとしたスーツに変わっていた。念の為姿見でネクタイが曲がっていないか確認する。こちらの準備は万端だ。
30分後、シャワーを浴び終わった姉様がドライヤーで髪を整え、きちりと結い、化粧を済ませてパンツスーツを着込む。
そこにはあのだらけた普段の姉様とは違う、『東の棟梁』たる東條茅がいた。
「湘、今日は21時くらいになるから、ご飯ラップかけといて!」
「はいはい、気をつけて行ってらっしゃい」
姉様が玄関を勢いよく開けると、帰宅途中だったエノシマ様と鉢合わせた。
「姉御殿、今からご出勤か」
「そう、面倒だけど行ってくるわ」
「大人は大変じゃのう。せいぜい老人共に取って食われないようにの」
「心配無用よ」
「そうであったな。行ってらっしゃい」
「行ってくるわ!」
ファイリングされた書類を抱え、後部座席に姉様は乗り込み、私は運転席に乗り込む。エンジンを掛けて、静かに車を発進させた。
「弟切、今日は何人集まるんだっけ」
「関東近辺の皆さんですから、15人だったかと」
「北関東のお偉いさんも来るのね。はぁ、あの人苦手なのよね」
「西の棟梁様に比べれば容易い相手でしょう」
「まぁね……。あら、今日はテオのことも話し合うの?」
「はい。あれだけ強大な力を秘めた召喚獣ですから、議題にしない訳にはいかないでしょう」
「身内の贔屓目なしにもいい子だから、大した問題にはならないだろうけど……エノシマさんのこともあるし、突かられたら厄介ね」
「姉様が一言添えれば問題ないかと思います」
「まぁ、努力するわよ、そこは」
姉様は書類をぱらぱらとめくり終わると、腕を組んで車窓を見る。
「月に1回とはいっても、厄介な仕事だわ」
「左様でございますね」
「でも私がしっかりしないとね……。さぁ、気合入れていくわよ」
姉様はそういって自分の両頬をぱんぱんと叩く。そして、すっと涼しい顔をしてまた車窓を見つめだす。これは姉様の一種のおまじないだ。素の自分と、東の棟梁としての自分を切り替える為の。バックミラー越しにそれを見ながら、私は痛々しい思いを抱く。
姉様はまだお若い。なのに、年経た古びた考えに固執する魔術師たちと渡り合わなければならないのだ。
その日の会合は長引いた。それはテオのこともあったし、時空転移者であるエノシマ様が東條の血を引いていることもあった。姉様は冷静に淡々と、古い考えの老魔術師たちを論破していく。私はそれを後ろでじっと控えて見つめていた。
脳裏に過るのは、楽しげにゲームに興じる朝の姉様の姿と、家に帰れば待っているパイナップルの缶詰のこと。
21時を回り、ようやく終わった会合の帰り道、姉様はぐったりとシートに沈むように座り込む。
「まったく……ぐちぐちぐちぐちうるさいのよ、あの老害共が。早く代替わりしちゃえばいいのに」
「そうでございますね」
私は笑いを噛み殺しながらハンドルを握る。
「お疲れでしょうが、家に帰れば、湘様の作られた夕食と、心地良いお風呂が待っていますよ」
そう言うと、姉様は少し気が抜けたのか、顔を綻ばせた。
「今日はゲームはやめて早く寝るわ」
「それが良いかと思います」
その日、湘様が作られた夕食はハンバーグだった。
姉様が戻られてから、とタネを残してくれていた湘様が焼いてくれたそれを姉様は子供のように喜び、私も食卓を共にさせていただく。綺麗にカットされた、甘い甘いパイナップルを食べ、姉様の後に風呂に入らせていただき、寝間着である浴衣に衣装を変える。
二階の寝室へ向かう姉様を見送り、私も自分の寝室へ向かった。
今日は姉様のコントローラーを押す音も、舌打ちの音も聞こえない。けれど、明日はきっと聞こえるだろう。
畳んであった布団を広げ、潜り込む。
夜は等しく誰にでも訪れる。永遠の夜が来るならば、その時は姉様や湘様、由比様のような魔術師が再び立ち上がらなければならないだろう。
だが、今はそんな心配もなく、安心して眠りにつける。
今の媒体はまだ3日目。明日は何も用事は入っていない。今日より穏やかな1日になるだろう。
朝日を浴びるのは生きている喜びを感じられるものだ。私のような、媒体がないと現界できない式神だとしても。そう、姉様に教わった。
そう考えながら、私は目を閉じ、ゆっくりと眠りに落ちていった。
明日の朝日を、浴びるために。




