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架空十字軍  作者: 明宏訊
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 出航3



 夜半過ぎのことである。ちょうど夕食が済んだ後のことだ。

巫女が騒ぎだしたのである。

 そのうちの一人が主君の足下に膝をつく。ポーラは仮眠を取ろうと、自室に入ろうとしていた。

「何事か?」

「閣下、滝が近づいております。是が非ともリシュリューにお乗りください」

 もう一人の巫女はさすがに年嵩とあって、新人よりもはるかに優秀だった。

 相変わらず巫女と羅針盤の部屋にいるマリーに近づいたのだ。彼女はワインで乾いた喉を潤そうと、樽に近づいていた。

「伯爵閣下、リシュリューの用意はいかほどですか?」

「まるで既定事実のように語るのだな・・・それほどまでにポーラを竜に乗せたいか・・・滝が近づいているのだな」

「聖伝の記述から計算した結果です。仮にそんなものがあるとすれば、ですが」

「巫女が聖伝を下地に論理を展開するのか・・・と突っ込みたいところだが、その責任はそなたにある。なんとなれば、ポーラを逃したいと考えているからだ…。念を押す必要はないな。それにしても夜の海に飛び上がれというのか?たしかに何もない海上だが・・・」

 文字とは双頭の蛇である。一方の頭は、言うまでもなく目にみえる文字のことを言う。そして今ひとつは精神世界をのたうつ鎌首である。巫女というものは、それを読みこなす術を持ちえた希少な人たちとされる。マリーなど、非攻撃魔法の属性ならばある程度はアクセスが可能だ。

 

 すでに記述者が死亡した文字であっても、巫女たちはそれを読み解けると主張する。

 聖伝など、いったい、どれほど昔に記述されたものなのか想像すらできない。

「それも読み解けるのか・・」

 ポーラが入ってきて遮るように言った。まだ、先ほど出会ってきた竜の赤い鱗が脳裏に残っている。

「リシュリューは寝ている。翼を広げるつもりなど、さらさらないらしい」

 巫女のひとりが言った。

「こ、公爵閣下、大切なお命です。大事になさってください」

 巫女たちはアベルがこの場で発言することが我慢できない。それがわかっているからこそ、ポーラはまずクレマンソー従子爵に訊ねる。

「そなたの意見は?」

 従子爵は主君の意を見透かして、アベルに訊ねた。

「羅針盤は方向を指し示すだけにございます。距離の方はわかりかねます。そもそも地図すらないのですから」

「そもそも、海には大量の水があるだけだ。そして滝がある。川のように中洲のようなものあったとしてもおかしくはない…な」

少年は首を振るばかりだった。

「距離は感覚で表現されるのはすべて。それをそなたらあえて文字で表記するらしいが…」

「数字です。閣下、ルバイヤートへの地図と距離さえわかれば、船が進む速度から算定できます。それも地図がないことには意味がありません」

「速度、そんな抽象的な概念が数字で表現できるのか?魔法なしにそんなことがありうるのか?」

速度とはある距離をどのくらいの時間で移動できるのか、それを個体AとBという風に、両者を比較することであって絶対的なものではない。速さを記述するならば、AよりB農法が早い、という言い方しかそもそも言語の機能として、それまではなかったのだ。ポーラにとっては、いや、この時代における大多数にとってまさに新しい耳だった。

「何者に比べて早いとそなたは言っているのだ?」

「奪還軍そのもののことです」

しかし、少女が与えられた知性な並外れている。いくつかのやりとりからすぐに理解した。

「驚いたな、そんな考え方がこの世にあるのか?」

しかしよくよく考えてみれば、略奪によって家臣たちは彼我を行き来している。ただ、それについてあまり深く関わるべきではないという意識が詳細をあえて知る道を阻害していた。膨大な戦費を調達しておきながら、調子のいいことだとは思わないでもないが、すべてはモンタニアール討伐のために正当化されると考えていた。もっといえばそんなことすら思考の外だったと言っても過言ではないだろう。

 ルバイヤートと係ることは大変な罪悪感を伴う。だからこそ略奪と銘打っているのだが、そんなものでいったん内面化されてしまった価値観はびくともしない。

 双頭の一方が鎌首をもたげはじめた。

それは物質世界を意味する。

「技術集団としての意見を聞きたい。推論、仮説という考え方も

あるのだろう?」

 始めて少年の目が輝きを放った。しかし疑問も同居している。

 が、ポーラにしても全く無知というわけでもない。

「不思議か?私もギヨタンの書籍を一読した。確か彼は技法の碩学だったな、アンヌ?」

 ジョゼフ・ギヨタン。

彼は平民出身ながら魔法関係の碩学と尊敬されていたが、技術集団に手を出して学会を追放されたとポーラは聴いている。

 「閣下、そのような書物をお読みになっては・・・いえ、そんなことは言っていられません、滝は近づいているのです。すぐにリシュリューにお乗りあそばしてください」

「仮に滝が実在したとしても、いや。滝はあるが、主の福音によって救われる・・・・・という論理展開はどうだ?」

 出入口から拍手があった。振り返らなくてもわかる相手は瘴気を出し惜しみしない。

「クートン枢機卿・・・?!猊下がまさか・・・」

 この男が乗船していたとは全く気付かなかった。

「さすがは公爵閣下・・・私どもとしてもロベスピエール公爵家始まっていらいの英才のご誕生ということで、お育てするのに骨を折ってまいった甲斐があろうというものです」

 クートンの、あくまでも表面的には優しそうな笑顔をポーラは見据える。むしろ悪意や蔑視を露わにしてくれた方がどれほどやりやすいのかわからない。

「ほう、我を英才と評するならばそなたが付いてくることもなかったわけだ、父としてはかわいい子に旅をさせるべきではないのか?」

 父とは言うまでもなく聖職者への敬称である。

 わざと居丈高にふるまう。そういうところが子供だと批判することは、予め計算済みだ。この男は、公爵家が略奪をやっていたことが許せないのだ。それはそうだろう。聖職者ととしては当然の態度だと言わねばならない。自分の身体に流れる血よりもずっと最優先すべきものが彼らにはある。

 しかしいくら畏れを抱こうとも、連中は自分たちと同じ人間というカテゴライズにすぎない。比較することすら忌避すべきだが、そこが天使さまに対する気持ちと違う。天使さまは、あくまでも主と人間とを仲介する存在なのだ。

 が、一般的に枢機卿とは父と呼んで遜色ない存在ゆえに一定の敬意を示さねばならない。彼女は、自分が大好きな戦争をするためにも守らねばならないルールがあることは弁えていた。

ポーラがルバイヤートにかんして精通とは言わないが、ある程度の知識を得ていることは、けっして大ぴらにすべきではない。そのことはわかっている。しかしこの枢機卿が少女のことを考えて忠告しにきたと捉えるほどに、彼女の精神は砂糖漬けではない。

「猊下、私は心配です。清貧を旨とされる身体がいかほどにか弱いか、よくよくわかっているつもりです。かの地で耐えられるとはとうてい思われません。予備の竜はいくらでも用意しております。ぜひともアラスの城を猊下には守っていただきたいと思います」

 これを硬軟織り交ぜての説得工作と呼べるのだろうか。

 しかし背後にいるマリーは何をしているのか、そもそもこういう役回りはそなたの専売特許ではなかったのか。彼女は相変わらず羅針盤とやらに心を奪われている。

「アベル、何とか今日を図るようにできないか?」

 巫女たちとはいえば、自分たちの天敵とでもいうべき存在の登場に凍り付いている。さては、彼女らに対する監視の意味があるのか?

 枢機卿は、何ら表情を変えない。

 「公爵閣下、あいにくと平和を愛する身なれば竜の客人となるは難しいです」

 坊主たちは自分の言葉というものがないのか。出典は何だったか。ポーラであってもすぐにケントゥリア語の文献を思い出すことはできなかった。記憶を検索しているうちにここで言及すべき事項を思い出した。

「して、父よ、技術集団とやらについてどのようなご感想を抱いているのか、素晴らしい旅を送る前に言質を得たいのですが?」

 ポーラは気づいていなかったが、少女は同じ文献で返していたのだ。

 が、この感覚が既視感がある。戦いの局面において予想以上の成果を偶然から得てしまったとき、こういう感覚を体験するものだ。

 逆にいえば相変わらず微笑を絶やさない枢機卿から、そういう感触をポーラが得ているということは感覚が研磨されつつあるということか。

 少女は巫女たちがぎょっとするようなことを言い出した。

「父よ、滝が近づいています。さ、格納庫にお出でください」

 それは自分たちこそが勧めたいことだったからだ。

 そのとき、闇を劈くような巫女の声が聴こえた。

「ここが世界の最果てです。滝が・・・」

「おっと、もう辿り着いてしまったようですね、父よ・・」

 そういいつつ、少女は洗脳から完全に自由であったわけではない。しかしながら、クートン枢機卿の怯える姿にあっけに取られて、否定したい過去からつかの間の自由を楽しめただけだ。次に連なる巫女の言葉を待っていた。

「閣下、ここは世界の外です。存在しないはずの、世界の外です・・・」

 枢機卿は惨めなことに床に伏して頭を隠している。両手が変にねじれて天に向かっていた。

「お、お助け、我が主よ、惨めな子羊をお導きください、天使さま!!ああ、天使さま!!」

 このような醜態を見せつけられては、まだ見ぬ滝に怯える機会とて奪われてしまう。

 しかしながら、魔法源泉モーパッサンの瘴気を少女は確かに感じる。ここは本当に世界の外なのか?

「アンヌ、ここは本当に世界ではないのか?」

「世界ではありません。完全に地図の外です」

 偉く冷静な声が耳を打った。

「ならば、新しく地図を描きなおせばいい。ただそれだけのこと。そうだろう?アベル、アンヌ・・」

 どうやらアンヌは、技術集団ごときの後に自分の名前が呼ばれたことが許せないようで、憮然とした顔を作ったが、反論は避けたようだ。

 ポーラは巫女の表情から真意を見逃さない。

「どうしたアンヌ、言いたいことがあるのか?」

「いえ、閣下・・・それよりも、閣下は、何か新しい発見がおありのようですが」

 さすがに幼いころから共に技法について議論しあった仲ではある。ちなみに、少女がよようやく歩き始めたころにアンヌはすでに成人していた。

 ポーラはなおも怯えつつある枢機卿を見つめながら言った。

「父の、あの両手を見るがいい・・あれこそ信仰の奥深さではないか?私はあの図形に天啓を見た・・」

 少女の発言に息を吹き返したのは、クートンである。

「か、閣下、それは決して言ってはならぬことです。人間ごときに天啓はありえませぬ・・・」

「何を言うか?主はそなたを通じて私に天啓を見せたのだ。さきほど光を感じた。瘴気ではないのに、人の意思を感じる。それは天使さま、ラケルさま・・に」

「姉上さま、天使さまの御名前をむやみに口にすることは・・・」 

 マリーは、自分も枢機卿の前で「姉上さま」と呼んでしまったことに気づいて口を噤んだ。しかし意図は通じるだろう。 

 光を感じたというのは嘘である。ただ、枢機卿がつくった図形が印象的だったので過去を脚色したにすぎない。しかし認識というものは概して本人の気づかぬうちに脚色されて美しく、あるときはひどく醜く変容していくものである。その集合体が歴史というものだ。 

 枢機卿は、マリーの間違えに拘泥することもない。精神的な余裕がなかったのである。天啓という、人間にあるまじき言いように一時は反応したものの、やっと滝を乗り越えたという安心感が彼を寛容にさせた。

「公爵閣下、公共の場では注意なされませ・・・」

 時間の経過とともに、皆の視線に晒されながら床に額づいたことが思い出される。いかに滝への恐怖が先だっていたとはいえ、羞恥心が鎌首を擡げ始めたのである。

 おかげで彼の妨害を受けずに光を感じた図形について考えを深めることができた。マリーの声は助力になれこそ、妨げになりようがない。

「ポーラ、図形とやらを私の心に送り込んでもらえますか?」

「いや、頭脳集団の論理に従ってここは書こう。アベル、ペンを持て」

 マリーが憮然とするのは予めわかっていた。しかしここは実線でみなに示さねばならないと勝手に想像した光が言っている。

 少女は、テーブルの上に広げられた羊皮紙に向かってアベルから渡されたペンを走らせた。しかし思ったように線が引かれない。というよりかは,カリカリと摩擦音が虚しく響くだけで全くシミがつかない。

 申し訳なさそうに少年が言った。

「閣下、インクをお使いください」

 ポーラは久しく文字を羊皮紙に書くということをしてこなかった。そんなものは瘴気によるやり取りで事足りるからだ。筆記用具をインクで満たすという感覚を久しぶりに味わうと天啓をそのまま表現した。

「おおっ・・・」

「何やら眩しいですな・・・・」

 上がったのは、多くが歓声だった。天啓など人にあるまじきと非難していたクートンでさえが目の色を変えて感銘している。たったひとり、マリーだけが違った眼差しを向けている。

「どうしたのだ?マリー」

「歪んでいる・・・それが私の第一印象です。不思議な感覚ですが、本物が他にあってこれは歪んだかたちではないかと・・・」

 そういうと少女は羊皮紙を手にした。

 それには歪んだ円と変な記号が組み合わさっている。

「これは同じ長さの線を交差させたものですね、本来ならば直角であるべきなのに、歪んでいるのです」

「マリー、そなたが言うところの本物とは、まさしくそれなのか?同時に光は感じたか?」

 「そう言われれば、そうかもしれません、光ですが?しかしちょっと違います。円はないのです。けれど、この世界においてはそれが正しいかもしれません」

「世界か、ならばルバイヤートが、本当のはずがないから、それはきっとマリーの想像のみ限定で有効なのかもしれないな」

「そうですね、この円と、なんというのでしょう、この奇妙な図形は私たちみたいですわ」

 いつしか二人は寄り添っていた。

 枢機卿の声がなければ、そのまま恋人をポーラは抱きしめて・・・・・それだけでなく久しぶりに接吻しているところであっただろう。


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