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架空十字軍  作者: 明宏訊
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 出航1



1028年4月28日の朝のことだった。

空前絶後の大船団と竜がパラレルに水平線上にあった。

ミラノ教皇ザカリアス12世は居並ぶ枢機卿たちに囲まれてモーパッサン城は建設途中の天守閣にある。空前絶後の出師を心行くまで味わおうというのだ。主のご意向に沿うことだと思うと皆が皆、万感の思いで胸がいっぱいになっていた、少なくともザカリアスはそうう感じていた、みなが自分と同じ思いを共有しているのだと・・・。

 すでに式典は終わった。

 老人の灰色の目は憂いに満ちている。それには二つの理由がある。

 第一にアンチ親族登用主義を保持しきれなかったことが挙げられる。第二にこのまま巨大な滝に呑み込まれてしまうのではないか、という懸念だ。

 しかしこの度の計画は天使さまが直々に命じられたものだ。天使さまに対する信頼は絶対と言っても過言ではない。何と言っても人間ではないのだ。それならば聖伝の記述との矛盾をどう考えればよいのだろうか。どうすれば整合性が計れるのだろうか。

 しかしどれほど考えても解けるはずがない。自分はあくまでも人間であり、その代表者にすぎないのだ。ゆえに、自然と思考は飛び付きやすい項目に向かわざるを得ない。

 具体的にいえば、あの少女、ポーラが賢人会議に参加したことにほかならない。あれでよかったのか、本当に主のお考えに叶うものなのか。

 奪還軍の威容はルバイヤートに対する恐れというものを完全に消し去っていた。

 いや、それ以前にすでにエイラートは世界に組み込まれることが決まっている。規定事項となりつつあるのだ。

しかしながら、これから頭の痛い出来事が目白押しである。

 かつて、ナント王や神聖ミラノ皇帝に戴冠したかのように、誰かにエイラート王の冠を用意せねばならない。まずはいい職人を世界中から集めねばならないだろう。つまりは彼の想像力が及ぶ範囲に落ち着いたことになる。

 そのことに言及すると、これ見よがしに反ザカリアス枢機卿のトップが微笑を浮かべながら言った。

「その暁にはポーラ三世にエイラート王の冠をかぶせましょう」

 おのれ、この女はザカリアスの懸念をすべて理解したうえで言っているのだ。後世に汚点をそれほど残せとそなたは言うのか。

 怒りに身体が震えそうになるが、まさかそんな内心は包み隠さねばならない。そんなこともできずに聖界を泳ぐことができるはずがない。教皇になるどころか、一介の神父や修道士としてすら一日としてやっていけないだろう。


 だが、そんな教皇にあっても自身の身体に流れる血のこと、ポーラのことが気にならないと言えば虚偽になる。

 はじめて邂逅したとき思ったことは、枢機卿で満足することだった。もしも最高位に達すれば自分の信念がフイになる恐れがあった。歴代の教皇たちは、畏れ多くも天使さまの代理人という地位を汚してばかりだった。とある子爵家を侯爵家に鞍替えさせた教皇まで実在する。魔法源泉を親族が得るために便宜を図った教皇など、それをしなかった人間を見出すことの方が難しいだろう。レオ三世などそのために教皇になったのだと公言して憚らなかった。絶対に許せない。最後の審判では地獄行きが蹴って済みに違いない。

ザカリアスとしては先人の轍を踏むわけにはいかない。無難な方法としてはある程度の地位で満足することだ。聖職者はそれぞれの地位で主の福音を受け、迷える子羊を正しい道へと修正することができるものだ。

しかしながら、すでに成り行きから教皇レースに参加していたのだ。周囲を見渡せば法服を着た俗人たちしかいなかった。自身が支持するに値する人間がいればこんな苦労をする必要もなかったのだ。

幼児を処刑しようとしたのも、故なきことではない。大変に嘆かわしいことだが、聖職の道は蛇の道、ゆえに、何処に汚い目が光っているのか知れたものではない。

 権力は完全に得るか、ゼロか、その二択しかない。

 大司教レベルまで上り詰めた聖職者には、さらに上を目ざすよりほかにないのだ。

 とはいえ、モンタニアール家出身の枢機卿を内心で忌避する段階で、ザカリアスもしょせんは親族重用主義から自由になりきれていなかったのかもしれない。ロベスピエール公爵家の血は明らかに自分の身体に流れて居る。

 ポーラの才能は開花どころか、蕾ですらない。まだ未知数だが、その段階ですでに諸侯を溜まらせている。あのナント王の反応がすべてを語っているだろう。必ずしも親族を重用したようには見えないかもしれない。

 いくら世界中の竜と船を合わせた大所帯であろうとも、いくら一つの島くらいの規模があろうとも、やがては水平線の彼方に消える。ザカリアスは自らの手首を見た。血管が脈っている。その中に流れる青い液体を思う。これはあの子たちにつながっているのだろうか。

 物理的にはつながっていないが、精神的にはつながっているかもしれない血管の先に赤い竜、リシュリューが海面すれすれを飛んでいる。その美しい姿をナント王に見せつけたいという思いに本人は気づいていない。なお、ザカリアスとのつながりなど思われている方としては、全く気にもしていない。

 海の風は思ったよりも気持ちよかった。まだ世界の端っこにいるはずだが、どうしてか解放感に心が満ち満ちていくのを感じる。それは教皇に見送られたからか。手枷足枷を外された感じはいつもの出征とは意味的に異なる。浮ついている。ポーラにしても初陣からそれなりの体験を踏んで今の自分の状態が危険であることはわかっている。

 運転者の背後には、教皇が「つながっている」と指名した今一人が乗っている。

 サンジュスト伯マリーの竜は存在するはずだが、家臣に操らせている。それを言うならば当時、ナント王は竜騎士の中の竜騎士とまで呼称された人間だが、戦場の人になっている。

 マリーを背後に座らせたのは、浮ついた自分を抑えてほしいという無意識から来る気持ちの表れだろうか。それだけに飽き足らずにナント王の船の前に、これ見よがしに横付けにしたのだろうか。

 王は甲板を闊歩している。王者として海をも統べようとする気概を醸し出しているが、それは、彼が連れている連中の存在の負うところが大きいだろう。

 本人の意思に反して女性たちに取り囲まれている。これこそが女性趣味の浸透ぶりの深刻さを如実に表している。知らない人間でも一目でわかる。竜騎士や魔法の使い手として一級の素質をもつものが原色で色分けされている。

 かつて戦場で名を成したものもいるだろうし、若年で諦めたものもいるだろう。後者の場合はあくまでも素質にすぎないがポーラにはしかとわかるのだ。もしも、公爵家にいればすぐさま野暮ったい服を脱がせて剣か杖を無理やりに握らせたいところだ。

 連中が戦場に立てば、圧倒的多数を示る兵士たちの生命が助かるのだ。かつては、一定の水準に達しないものの戦場への侵入は禁止され、それは戦う双方に共通の良識だった時代があるらしい。王位戦争のはるか前のことだ。

 王は、女性たちが欲する顔をしている。が、そのじつ、苦虫を噛みしめていることはあまりにも明白だ。それがポーラには心地よい。竜の操作は戦場では罷りならない瘴気で行うので黙っていても思う方向に飛んでくれる。

 しかし同乗者にもすぐにわかってしまう。

 ちょとしたコミュニケーションならば瘴気で済むのに、わざわざ肩甲骨の下あたりを爪で刺激してくる。まるで行為を要求してくるかのようだ。そんな錯覚が走るのも、ポーラの感覚異常の為せるわざだろうか。

 マリーはさらに自分の考えを主張してくる。

「ポーラ、ここまでにしましょう」

「いや、マリー、あれほど女たちを引き連れているのだ。それに私が加わったとこで何としよう、単なるゴキゲン伺いにすぎん」

 そういうなり目当ての船に竜首を巡らせる。彼女の指摘には参謀としての冷静さに欠けると少女は判断した。換言すれば戦略とは違った意味での意図が見え隠れしているといううことだ。

 王の周囲に一人の少女を発見してポーラは意外だった。クララ・フォン・ヒトラーである。一度、互いに干戈を交えたことがあるが実際に目の当たりにしたことはない。少女といったが、あの大きな緑色の目が際立つために年齢よりも若くみえるが、本当のところをいえば10歳は年長のはずである。

 ポーラはクララに話しかけるふりをしてわざと王の視線がズバリとくる位置に身を置く。今少しでリシュリューの巨体が船体に衝突しそうである。ここでそんな事態を招くなどと、将として恥じるべきことだろう。

 ところが王はそれを指摘してきたのだ。

「これは、これは幼女には船は厳しすぎるか、もうすこし大人になってからにしような」

 一気に不和の瘴気が周囲に立ち上る。これまで王に向かっていた憧憬としか言いようのない空気が崩れる。しかし王としてはいっそのことそちらの方がましかもしれない。が、あえてそれを狙っているわけでもなかろう。

 令嬢たちが慌てる。

「へ、陛下、畏れながら幼女とは、公爵閣下に対して少しばかり礼を失うのではありませんか」

 少しばかりではない、とその令嬢の首筋に火をつけたくなった。いかにも母上好みの女性趣味ぶりである。あの薄い布の集積をどのように評したらいいのか、首回りがいかにも見苦しい。まるで懸想した獅子のようではないか。

 その令嬢は、少女時代に出会ったことがある。大人になれば伴に戦場にて轡を並べられると誓いを立てたころが懐かしい。

 王への怒りを彼女に八つ当たる。

「これは、これは・・・・」

 わざと名前を間違えるのか、しかも隣り合って歴史的に憎み合ってきた貴族と入れ替えて嘲るのは、最高の侮辱である。早くから女性趣味を押し付けられてきたポーラとしては、これくらい朝飯前である。が、敵もさるもの、全く表情を動かさない。しかも瘴気を抑制する術を会得している。これならばすぐにでも戦場に罷り出られるだろう。

 今度は本名を言った。

「・・・、戦場に出られるに当たってはその首筋のものは邪魔でしょう。私が焼いて差し上げましょうか?」

 何か?ピエール王よ、そんなに不満か?どうしてそんな憮然とした顔をする。

 少女としてはもはや嘲笑対象に興味はない。意識は王にばかり向かう。彼は瘴気を打ち消そうとしない

「せめて、ルバイヤートに到着するまで、童女と呼ばれるほどに成長されては如何か?乗船なさっては」

 この王に敬語を使われるとは、今までに感じたことのない怒りに頭が赤熱する。もしも背中に氷を押し付けられなければ、令嬢の首回りを本当に焼いていたかもしれない。

 マリーは瘴気においても無言だった。すんでのところで冷静な受け答えができた。

「だから、乗船せよと?」

 王は畳みかける。

「それともロベスピエール公爵におかれては、滝がさぞかし怖いのかと?」

 マリーは背後でじっと王を凝視している。心なしか目が緑色に変色したかのように見えた。根拠は全くないが、それにモンタニアールごときに忖度してやる義理はないが、この発言はかなり緻密な計算したうえではないか。

 少女は姉に注ぐべき神経を王に向かわせなければならなくなった。我が意をモンタニアールに気取られるわけにはいかない。

「陛下、ルイ殿下は何処に行かれましたか?」

「これはサンジュスト伯爵殿、弟は公爵家の人間、私が知るところではありません」

 伯爵に対して「私」という一人称を使う。これは非常にまれなことではある。取り巻きたちは、王と公爵が仲たがいしているのか、その反対なのかわからなくなりつつある。

 二人が亀裂を生じさせるということは、砂糖に集まってきたアリたちにとって重大事なのである。すぐに夫や妻に知らせなければならないと気忙しくなっていた。

 女性趣味も黎明期にあっては、妻が爵位を継いでいる場合が多々あった。クララなどはその例である。多くは悪く言えば間諜の役割を担って王に近づいていた。二人の仲互いは奪還軍にとってアキレス腱になりかねない。絶対的多数の共通了解となっている。

 それは先ほどの令嬢にあっても同様だった。しかしポーラの嘲笑に怒りを忘れて本分を忘れ去ろうとしていた。

 そんなところに「滝」の話題が王の口から出た。

 その言葉に動じていないのは、王とポーラとマリーだけだった。だから三人の間ではすでに済んだ話だとばかり思っていた。

 マリーに関していえば、王の真意を見据えるほどの冷静さをようやく取り戻していた。

 誰かが王に対する礼儀も忘れて叫ぶ。

「そうだ、滝、陛下、滝は大丈夫なのでしょうか?」

 王はまるで初めて出会った人に会釈するような軽さで言った。

「恐ろしいならば竜に騎乗なされてはいかがか?」

 王の堂々とした態度にその貴族、ちなみに男性である、彼は異をただす必要性を女性たちの表情からようやく理解したようだった。

 マリーは、この王が空恐ろしくなってきた。今更のことながら、自分たちは彼に負けている。この場の空気を完全に制御している。上げるのも、下げるのも思いのままだ。みなが王の言葉に翻弄されている。彼はこんなことをポーラに言った。

「突然だが、幼女、昨年の略奪の成果はどうか?」

「さあ、私の知らないところで家臣たちが勝手にやっていることらしいですが、倉の新築が追い付かないようですね」

 略奪という言葉の意味は、貴族階級ならば一度は耳にしているだろう。聖職者の追求が厳しいがそれを掻い潜って富を得ている。大変に疑わしいことではあるが、王と公爵の口から存在を示唆するような言葉が迸った。

 これは何を意味するのか? 

 世界の外にも何かは存在する。

 絶対的多数にとって、世界と聖地エイラートの間に何があるのか、全く共通了解がない。無としか表現できない。まさに聖地は飛び地のようなかたちで存在している。両世界は巨大で何もかも呑み込む恐ろしい滝によって分け隔てられてしまっているのだ。

 両者を移動することは、世界中の人間にとって恐怖以外の何ものでもない。そのことを滝という単語が思い起こさせてしまった。

 いや、ナント王は意図的にそれを行っている。しかしその向かうところは、まだマリーにとって未到達にすぎない。少女には悔しくてたまらない。よりによって相手はモンタニアールなのだ。我慢できるはずもない。

  


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