八人目
「いらっしゃいませ」
戸を開けて飛び込んできたのは、薄汚れた男の子。狼のような鋭い眼に怒りの炎を燃やし、苛立たしげに顔をしかめる少年である。少年は勢い良く戸を閉め、砂埃と血に汚れた顔を拭う。引き裂かれた服には血が滲み、あちこちに殴打の跡が見て取れる。店主は静かに煙を吹かして煙管の火を落とし、にこりと微笑んだ。
「傷の手当をしましょうか」
「いらね」
少年はぶっきらぼうにそう言うと、窓の小窓から外を見やる。店主が一緒になって窓を覗き込むと、少年はぎょっとしてその肩を突き飛ばした。
「寄るなッ!」
「おっと、失礼致しました。して、ご用件は?」
少年は見定めるように店主をじろじろと見つめ、フンと息を吐いた。
「あんた、何でも売ってくれるんだろ」
「はい」
「俺にも、売ってくれるのか」
「はい」
にこやかに頷く店主。少年は頭を掻いて首を鳴らし、椅子にどっかりと腰掛けると、ポケットに手を突っ込んでコインを店主に投げつける。
「ナイフ。くれよ」
ぼそりと吐き出されたその言葉に、店主は目を細める。店主が手のひらに収めたコインには、血が跳ねたような汚れがついていた。
「はい、ナイフですね。どのようなものがお好みですか?」
「何でも良い。あいつらを、あのクソ野郎共をブチ殺せるなら、何だって良い!そうだな、どうせならとびきり切れ味の良いやつをくれよ。骨ごとスパッと切れるようなやつだ。あるんだろ?くれよ」
「えぇもちろん。では、こちらなどいかがでしょう」
そう言って店主が机に置いたのは、刃渡り15センチほどの小ぶりな短剣。真っ直ぐな両刃と、その先端が細く鋭く尖っている形状が特徴的なダガーである。それを手に取った少年は、すぐに顔をしかめた。手にした刃で自分の手を切りつけても何とも無かったからだ。少年は店主を睨んだ。
「なんだよこれ。おもちゃじゃねーか」
「とてもよくお似合いですよ」
少年はナイフを叩きつけて机を蹴り上げ、くすくすと笑う店主の胸ぐらをぐっと掴む。
「……俺がガキだからって、バカにしてんのか?」
「バターナイフもご用意しておりますが」
「――――ッ!!」
少年は憤りのままに拳を振り被った。その瞬間、店主の胸ぐらを掴んだ少年の手が外側にひねられる。少年の腕は、外側には曲がらない。その肘が、その肩がねじれて歪む。店主の顔へと向かうはずだった拳を振り抜くことも出来ぬまま、少年は床へと叩きつけられた。
「う、ぁ……ッ」
嗚咽をこぼす少年の喉元に、ナイフが突き立てられる。彼がおもちゃと嘲ったその鋭い切っ先は、人の柔肌を刺し貫くための武器。きらりと光るそれを手に、店主はにこりと笑った。
「路地裏のギャングは、私ほど優しくはありませんよ」
「……ッ」
その言葉に、少年が奥歯を噛む。その歪んだ表情に浮かぶのは、憎悪と憤怒。そして屈辱。店主が「どうぞ」と差し出したナイフを弾き飛ばし、少年はそのまま店を飛び出してゆく。
「……」
店主は遠ざかるその背を見つめ、拾い上げたナイフを指先に踊らせてくすりと笑う。そのしなやかな指がナイフの刃を引っ掻くと、銀紙が剥がれてナイフの形をしたチョコレートが顔を出す。甘くとろける刃を咥え、店主は楽しげに戸を閉めた。
――――その後、路地裏を荒らしていたギャングの一団が街の警ら隊に助けを求めた。保護という名目のもと逮捕された彼らは怯えきった様子で、口々に「悪魔が来る」「皆殺される」と訴えたという。
お題:「幸せ」を買いに来た「少年」