■■人目
「いらっしゃい」
戸を蹴り開けたのは、男とも女ともいえぬ顔立ちに長い前髪を被せた人物。骨と皮ばかりに痩せこけた体にボロを羽織り、扉にもたれかかって魂すら吐き出すようなため息をつくその様に、店主は困ったように微笑んだ。
「久しぶりですね。お客さん」
「煙草」
客はぼそりとそう呟くと、勢い良く椅子に倒れ込む。細い四肢を投げ出し、背もたれに首をもたげて天井を見上げるその様はまるで干からびた死体のごとく。店主は肩をすくめ、棚から取り出した煙草に火を付けると、あんぐりと開いたその口に咥えさせる。
「お代は?」
「ツケといて」
「またそれですか。いい加減にしないと、私だって怒りますよ」
店主は「まったくもう」と呟いて腰に手を当て、伏し目がちな目を片方だけ開く。怒ったような素振りを見せても、客はまるで動じない。その反応も、店主にとってはもはや慣れたものである。客は気だるげに煙を吹かし、机に肘をつく。
「やっぱり、ここの煙草が一番だ。あんたも一緒にどうだい」
「はあ。うちの煙草を気に入ってくれるのは嬉しいですけど、程々にしたほうが良いですよ。うちのは混ぜ物が少ない分、体に悪いんですから。そうだ、煙管とかどうですか?きっと似合いますし、葉っぱの節約にもなりますよ」
「いらないよ。煙管なんて、吸った気がしねぇもん」
「左様でございますか。でも葉巻ばかり吸っていると、いつか体壊しちゃいますよ」
棚を開けながら店主がそう言うと、客は煙を吐いてハハと笑った。
「だいじょーぶだよ。なんたって私は――――」
「『不死身だから』でしょ。はいはい、もう分かりましたよ」
店主はため息交じりにそう言うと、湯気を立てるお茶をカップに注いで客の手元に置く。
「もしかして冗談だと思ってる?」
「冗談だとは思ってませんよ。あなたは嘘をつくような人ではありませんから。それより、ちゃんとご飯食べてるんですか?あれほど言ったのに、またこんなに痩せて……また何日も食べてないんでしょう。いつか本当に倒れちゃいますよ。不死身だろうと不老不死だろうと、健康あってこそですよ」
「心配しなくていいって。何回も言ったろ?私には、食事も睡眠も必要ないんだ。この煙草と同じ、嗜好品みたいなもんさ。と、まぁ私の話はどうでもいい。そんなことより、店の調子はどうなんだ?見たところ、今日もガラガラみたいだけど」
「…………えぇ、まぁ。お客さんなんて、滅多に来ませんよ。うちは小さなお店だし、立地もあんまり良くないし、看板商品になりそうなものもない……地味なお店ですからね。それなりに、いいものを仕入れているんですけど……」
店主は寂しげに商品を撫でながら目を伏せる。客はその様子をじっと見つめながら、頭の後ろに手を組んで煙草を吹かした。
「……私、小さいころから、この街に自分のお店を持つのが夢だったんです。大繁盛とまではいかなくても、来てくれたお客さんを皆笑顔にしてあげられるような。そんなお店を。だけど、現実はそう上手くはいかないものですね」
「……」
「あ、ごめんなさいね。私ってば、お客さんの前で、こんな話……」
「……今度」
ぼそりと、客が呟く。
「今度さ。美味い飯でも食いに行かないか?次の休日にでも、二人で」
「……デートのお誘いですか?」
「そんな洒落たもんでもないさ。私は、あんたと飯が食いたい。何となく、そんな気分になったんだ」
その言葉に、店主は困ったように微笑んだ。
◆
そうして迎えた約束の日。■■は眠たげにあくびを零しながら、数枚のコインを手のひらに広げる。毎日何もせずに寝て過ごし、たまに起きては煙草ばかり吸っていた■■にとって、その金はなけなしの全財産。■■はその全てを、その日のために使うつもりであった。
「(これだけありゃ足りるとは思うが、ちょっと遅れちまったな。怒ってないといいけど……)」
やがて聞こえてくる、ざわつき。
■■が待ち合わせの場所として指定したそこには、人だかりと数人の警ら隊。
「……どいてくれ。おい、どけよ」
人だかりをかき分け、目を見開いた。
『うぇ。ひでぇな、こりゃ』
『まさか、馬車が暴走するなんてねぇ』
『かわいそうに』
「…………」
店主は静かに煙を吹かして目を細め、煙管の火を落とすと、並べたお菓子をひとつ摘まんで机を片付ける。マイペースに時を刻む時計は無表情のまま。今日も今日とて、何も変わらぬ昼下がり。
「あそこの雑貨屋さん、なんか雰囲気変わったよね。お淑やかになったっていうか、さ」
「そお?前からじゃない?」
「違うよ。前はもっとこう……あれ?どんなだったっけ」
「そういえばさ、あの噂。聞いた?あのお店って、確か――」
「あー聞いた聞いた!『不思議な雑貨屋さん』!何でも売ってるんだよね」
「私は願いが叶うって聞いたよ?」
「ほんとかなぁ」
「ちょっと、入ってみる?」
どこかの街のどこかにある、小さな雑貨屋。
そこは、何でも売ってる不思議なお店。
街に渦巻く噂に導かれ、今日も誰かがその戸を開く。
「いらっしゃいませ」