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【第三章】  一




 紗一(さ いち)澤野(さわの )やに送ってもらった五日後、顔も見たくもない桐午(とうご )が朝から店にやって来た。

怨妖(おんよう)に食べられたかどうか見に来たわけ?」

 客の応対を笑顔で済ませた(かえで)は、土間の床几(しょうぎ)にどっかと腰を下ろす桐午に背中で答える。

「減らねェ口だな、まったく。お前のせいでおれの〈色〉が(けが)されちまうんじゃねェのか?」

「それで。なんの用でしょうか。まさか(べに)でも買うつもりだとか?」

 淡い桜色の紅は意外に桐午に似合うかもしれない。そう思えてしまうほど桐午の肌の色は白くて透明で、男女の性別を超えて美しかった。内心羨ましいと思えてしまう楓の気持ちなど知るはずもない桐午は、意地悪げににやりと笑んだ。

「依頼があってな。なのにお前が怨妖に喰われなかったおかげで、〈色〉が戻ってきやしねェ」

「それって……」

 依頼があったということは、絵を描くということ。絵を描くためには色を見る必要がある。

 つまり、そのために楓に触れる必要がある、ということだ。

 表情を硬くさせる楓に、桐午はどこか楽しげに目元を和ませる。

「そういうこった。―――親仁(おやじ )。楓借りるぜ」

「またですかい。ちゃんと夕七(ゆうなな)つ(午後四時三十分頃)前には帰してくださいよ」

「判ってるって」

 奥からしかめっ面で返す辰吉に、ひらりと手を振って答える桐午。

 最初から諦めている様子で、先日に続いて今日も辰吉が外出に反対しないのが楓にはどうにも解せなかった。

「ちょっと待って。あたし行きませんよ」

「なにぬかしやがる」

「だって」

 絵師にとって〈色〉を失ったのは致命的だが、楓には直接関係のないことだ。偶然、〈色〉を持ってしまったというだけ。

 あの場所に行くのは嫌だった。

 怨妖として祓われるかもしれないし、第一、〈色〉を見せる名目で許婚以外の男に触れられるだなんてとんでもない。

「桐午さんに命令される筋合いないですし」

「ひとさまの〈色〉喰っといて『筋合いない』かよ、おい」

「そ、そんなのあたしの責任じゃないし」

「おれにはお前が必要なの」

「……」

 臆面もなく言い切る桐午に、次の言葉がどこかに行ってしまった。

「オラ。とっとと行くぞ」

「……」

 顔、赤くなってないだろうか。

 桐午は絵を描くことが絡むと羞恥心など吹き飛んでしまうのだろう。藤色の瞳と色素のない端正な顔に、すらりと高い背丈。ひとの心を止めてしまう言葉を口にしても、何故だかそういう台詞が似合ってしまうのがまた憎らしい。藤色の瞳に見つめられるだけで魂が絡め捕られそうになるのは、すごくずるいと思う。

(振りまわされるこっちはいい迷惑なんだけど)

「ねえ桐午さん」

「あ?」

 勝手に歩きだした桐午の背中を、楓は小走りに追いかける。

「どうしてお父っつぁん、あたしが抜けることに反対しないの? 店番いないと困るのに」

 桐午は思いきり苦りきった顔になりながらも、ちらりと背後の澤野やを振り返る。

「この前言わなかったか? 怨妖がおれたちにしか認識されないように、いねとら組も誰にも認識されないんだって。おれたちは、こっちから働きかけなきゃ誰からも気にされない存在なんだよ。逆に言うと、こっちの思うようにみんなは動いてくれる」

「思うように、って?」

「いまみたいにお前を連れ出したいときとか、なにかあっても、都合のいいように話を合わせて忘れてもらえる。おれのこのとんちきな恰好が騒ぎにならないのも、そういうこった」

「あぁ……」

 (まげ)を結わない金とも銀ともいえない薄い髪の色、透明な肌、藤色の瞳の端正な男が道を歩いていれば、それなりの騒ぎになるはずだ。なのに、確かに道行くひとはいまも桐午の姿になんの反応も示さない。最初の出会いのときも、道の真ん中で手を繋がれても、誰からも囃されたり白い目で見られなかったのは、そういう事情があったからなのか。

 いねとら組に関わることは認識されないと言っていたのは、いねとら組それ自体だけではなく、その一員であるひとりひとりについても同様のことだったのだ。

 そういうことなのかと桐午の言葉を頭の中で反芻しながら噛み砕いてゆく楓だったが、ややして、ひとつの言葉が浮かんだ。

「あの、それって職権乱用になったりしませんか? 例えばですけど欲しいものとかあったら……好きにできるんでしょ? まさかとは思うけど、ウチの商品くすねたりしてるわけは―――」

 言葉の途中、すっと温度を失った桐午の眼差しに、喉が凍った。

「おれたちは、ひとの記憶にも意識にも残らねェ存在だ。世間で生きてくためには、そうするしかやっていけねェときもあンだよ」

「いねとら組、がですか」

「ああ。お前がホントに三人目なのだとしたら、いずれ経験することだ。すげぇ孤独だぜ。覚悟しておけ」

「……したくないですけど、そんなの」

「はん。おれの〈色〉を喰っただけかもしれねェ中途半端なお前には関係のないことだったか」

「中途半端って」

「言葉どおりさ。三人目〝かもしれない〟。おれの〈色〉を喰ったせい〝かもしれない〟。そういうはっきりしねェ宙ぶらりんなのを、中途半端と言いやしないか?」

 いちいちカチンとくる。

(ダメよ。挑発に乗っちゃダメ。あたしが怨妖かどうかを怒らせることで試してるのかもしれないんだし)

 鼻で嗤う桐午の頭をどつきたい気持ちを懸命に抑え、楓は歯を食いしばるしかなかった。




 桐午が受けた絵というのは、〈色〉をなくす前に受けたものだという。〈色〉が戻ってきたと知った依頼主が、改めて依頼をしてきたらしい。依頼主は桐午の古い知り合いである、なんとか神社の宮司だった。

「宮司さんが古い知り合いだなんて、桐午さん、年、幾つなんですか?」

 構図などは、最初に依頼を受けたときに進めていたものがあるとのこと。

 料紙(りょうし)を前にひとつ深呼吸をし、慣らしなのか花やら人物やらを描いている桐午に尋ねる楓。

「さぁなァ、八十までは数えてたけど、覚えてねェなァ」

「……」

 この男、大真面目な顔でなにふざけたことを。

 というのは口に出さないでおく。余計なことを言うと、また不毛な言い争いになりそうだ。

「二十七歳をちょいと過ぎただけって問屋(といや )に言うと足元見られるから、一応公には三十七歳ってことにしてるがな」

「それは……さすがにサバ読みすぎてるんじゃ……」

 ついぼそりと口をついてしまった。

「それが意外と通用するんだな、これが。ほれ、手」

 不自然にならない程度にそれとなく背中にまわしていた右手を、奪うように取られてしまう。

「ちょッ、―――あの、言わせてもらいますけど」

「あン?」

〈色〉が戻ったせいなのか、桐午の瞳に、深みが宿ったように見えた。

「あたし一応女ですし、もうちょっと配慮して、こう、失礼するよ、とかあってもいいんじゃないですか?」

「成程。『お手をお借りいたします、お嬢さま』。これでいいだろ」

「じゃなくて。というか」

「いいってことよ。(こま)けェこと気にすンなって」

(なにそれッ)

 なんだかやっぱりいちいち腹が立つ。手を取られて鼓動が速くなった自分が、一方的な気がして悔しい。

 それに、

(あたし、桐午さんの絵に協力するだなんて、ひと言も言ってないんだけど)

 言っても言わなくても、この男には全然関係ないのだろうけれど。

 右手を包み込んでいる桐午の大きな手。白く(なま)めかしいその手は、亨のものとは全然違う。

 亨のは、

(すごく手入れをしていると思ってたけど、もっとごつごつしてて節くれだってたな。肌の色もこんなに白くなくて)

 小間物屋の跡取り息子だけあって、亨は粋な若者だった。いなせなところもあって、―――どことなく桐午に通じるものがあるかもしれない。

 目を閉じれば、眼裏(まなうら)には亨の笑顔が浮かび、楓を呼ぶ溌溂(はつらつ)とした声が耳によみがえる。

 桐午と亨は、全然違う。

 違うのに、ヘンな意味なんて全然ないはずなのに、どうしてだろう。

 どうして、手を握られるだけなのに、こんなにも胸が甘く痛むのだろう。




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