50 約束事
ダリオンは改めて、静かに、けれど誇りを持って名乗った。
「カイナさん。姓を名乗るのが遅れました。私の名はダリオン・レオフォード……。帝国の、第三王子です。今は護衛であり友人でもあるアドルフと共に、ある大切な人の行方を探しています」
「レオフォード……」
「ダリオンさんは、もしかして……帝国の、王子様?」
カイナは息を呑んだ。先ほどの挨拶から、尋常ならざる高貴な方だとは察していた。
だが、まさか一国の王族がこのような荒れ果てた村を訪れるなど、想像の範疇を超えていたのだ。
「はい。初めから素性を明かさなかった無礼を、どうか許してください」
その言葉と共に、衣擦れの音と、ダリオンが深く頭を下げた気配が伝わってきた。
「ダリオンさん! いえ、ダリオン様! どうか、頭を上げてください! あと、私に敬語は要りません! それに、呼び捨てにしていただけると助かります!!」
年相応の少女らしく、カイナは椅子から浮き上がらんばかりに慌てふためいた。
せめておもてなしをと立ち上がる彼女を、アドルフが優しく制し、ダリオンも穏やかに説得を重ねる。ようやく彼女は落ち着きを取り戻し、席に座ってくれた。
「……失礼いたしました。お見苦しいところをお見せしてしまって……」
耳を真っ赤にしながら、今度はカイナの方が深く頭を下げた。
「ふふ、謝ることはないよ」
「そうだよ。カイナのその気持ちだけで、嬉しいから」
二人の温かな言葉に、カイナの強張っていた肩の力がふっと抜けた。
つい昨日会ったばかりのアドルフと、今日初めて会った王子。けれど、一緒にいるだけで心が休まるような感覚があった。それは唯一の肉親である兄以外の、二人の「兄」ができたかのようだった。
部屋を包む空気が少しだけ親密なものに変わったのを見計らい、ダリオンは表情を引き締め、本題を切り出した。
「今、私は姉のエリセア王女を探しているんだ。そしてその情報を『バルミン』という男が持っていると聞き、ここまで来た」
「……カイナ、君のお兄さんが、おそらく私たちの探している人で間違いないと思う」
その言葉を聞いて、カイナは何かを思い出すかのように語り始めた。
「そうだったんですね……。正直、兄がその王女様と関わったかは分かりませんが、二ヶ月ほど前に、美しい銀髪の女性に助けてもらったと嬉しそうに話していたのを兄から聞きました」
「兄は『とても高貴な人に見えた』と言っていました。そしてその方に御礼をしたいからと、数日間家を空けたことがあったんです」
アドルフには、エリセア王女の容姿はわからない。だが、ダリオンはその特徴に確信を得たようだった。
「カイナ、ありがとう。間違いなくエリセア姉上の事だと思う。姉上は南に逃げ延びておられたのか……」
ようやく掴めた確かな情報に、ダリオンは深く思案する。そこへアドルフが問いかけた。
「ところでカイナ。お兄さんは、まだ戻ってこないのかな?」
カイナは少し肩を落とし、伏せ目がちに答えた。
「はい……。やっぱり、何かあったのかもしれません……」
彼女は不安を押し殺すように、自分の腕をそっと握りしめた。
その姿を見て、アドルフのやるべきことはより明確になった。隣に座るダリオンと視線を交わし、無言の相槌を打つ。
「カイナ。これから俺たちは、君のお兄さんを探しに行こうと思う」
カイナは驚いたように、声のする方へ顔を向けた。
「でも、兄の居場所は……」
「心当たりがあるんだ。カイナ、この周辺に宝石などが採れる『鉱山』はないかな? お兄さんはそこへ、石を採りに行っていたようなんだ」
バルミンは妹を不安にさせまいと、仕事の内容を伏せていたのだろう。案の定、カイナは恥ずかしそうに首を振った。
「すみません……兄が普段どのように働いてくれているか、私、分からないのです……」
「自分を責めなくていいよ」
アドルフが優しくフォローを入れる。
「カイナ、目が見えていた頃の記憶で、何か思い出せることはない? 鉱山じゃなくても、洞窟とか……兄さんに連れて行ってもらった場所とかさ」
カイナは必死に幼少期の記憶を辿った。やがて、「あっ……」と小さな声を漏らす。
「一度だけ……兄と一緒に『裂け谷』へ行ったときのことです」
「兄が、小指の先ほどの綺麗な緑色の石を拾ってきたことがありました。自分の髪と同じ色だと言って……」
記憶を脳裏に描きながら、カイナは言葉を継いだ。
「あそこは……覗き込むことさえ恐ろしい場所でした。一度落ちたら、二度と戻ってこられないような気がして」
「それに、底の方から風とは違う『声』のような音が響いてくる……とても不気味な場所だったのを覚えています」
カイナはそして光の入らない窓に視線をやった。
「ここから西の森を抜けると、広い平原に出ます。そこに『裂け谷』はあるはずです」
——裂け谷。
アドルフの地図にも、そんな名称は記されていない。おそらくはこの村独自の呼び名なのだろう。
「ありがとう、カイナ。十分な手がかりだ」
ダリオンは力強く頷き、ゆっくりと立ち上がった。その隣で、アドルフも装備を整え直す。
そしてダリオンが改めてカイナに声を掛ける。
「カイナ。君の兄上は、君という大切な家族を守るために戦っている。……私も同じだ。必ず彼を連れて戻ると約束する」
王子としての威厳ではなく、本当の兄のような慈しみを込めたダリオンの言葉に、カイナはそれでも不安そうに頷いた。この人達なら大丈夫と思いたい。けれど、不安はどこまでいっても消えない。この暗い部屋で何も出来ない自分が悔しくて仕方なかった。
そんなカイナにもう一人の青年が近付く。
「カイナ、ちょっとだけ首を前に倒して」
言われるがままに、カイナは少し首を前に倒した。
そして首に何か紐のような物がかけられたのだと分かった。それに触るとリングのような形だとわかる。
「カイナ……待ってる間はそれをカイナに守っててほしいんだ」
「そのお守りは、父さんと母さんから貰った大切なお守りだから……。俺達が帰ってくる時まで、それをカイナに預けるよ? いい?」
それはアドルフがカイナに課した役割。だが、その役割こそ彼女が求めていたモノだったのかもしれない。
「はい! アドルフさんとダリオンさんが兄を連れて帰ってくれるのをここでお待ちしております!」
そしてカイナは両手を一杯に広げた。それはカイナ自身が安心するために始めたことかもしれないし、あるいは妹を安心させるために、兄が始めたものだったかもしれない。
アドルフはカイナを優しく抱きしめる。
「カイナ、行ってきます」「いってらっしゃい……」
そしてダリオンの方にも両手を広げた。ダリオンもカイナを優しく抱きしめる。
「行ってくるね。必ず君の兄上を見つけてみせるよ」
「はい、いってらっしゃい……」
玄関の扉が開かれ、再び冷たい雨の音が流れ込む。だが、残されたカイナの心には、先ほどまでの寒々とした孤独はもうなかった。
――バタン、と重い扉が閉まった。
ぬかるんだ土を踏みしめ、二人の「兄」は、不気味な声が響くという『裂け谷』を目指し、モノクロスから西の森へと向かった。
【あとがき】
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