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第255話:【山鳴りと、圏外のカチコミ】


「……合宿、ですか?」


夏休みが始まって数日。


配信の収益精算も一段落し、次回の企画を練っていた私の部屋に、ひまりが嵐のように飛び込んできました。


「そう! 私が入ってる国際交流サークル『アトラス』の夏合宿! 山奥のログハウスを貸し切って、異文化理解を深めるっていう名目なんだけど……。みゆ、あなた最近ずっと部屋に籠もってマイクに向かってるでしょう? たまにはシャバの空気を吸いに行かないと、感性が錆びついちゃうわよ!」


「シャバって……。でも、私なんかが急に参加しても、皆さんの迷惑になるんじゃ……」


「大丈夫! むしろ大歓迎よ。それに、今回は強力な『ボディガード』も一緒なんだから」


ひまりが指差した先には、いつの間にかドアの影に立っていたエカテリーナさんの姿がありました。


彼女は相変わらずの無表情ですが、その手には何故か重厚なサバイバルナイフ(研磨済み)が握られています。


「……姐さん。山は危険が一杯です。熊、猪、そして不届きな野党。私が同行し、姐さんの周囲三メートルを聖域サンクチュアリに変えてみせます」


「エカテリーナさん、野党じゃなくて野獣ね。あと、その物騒なものは置いていって……!銃刀法違反で捕まるよ!!」


こうして、ひまりの強引な誘いとエカテリーナさんの過剰な防衛本能に押し切られる形で、私の「初めての夏合宿」が幕を開けたのでした。


サークル棟の前に集合した私たちは、貸し切りバスに乗り込みました。


車内はすでに多国籍な熱気に包まれており、サークル長のジョージさんが「Hey! Everybody! 最高の夏にしようぜ!」とマイクで盛り上げています。


私は一番後ろの席で、ひまりとエカテリーナさんに挟まれて座っていました。


「……姐さん。あのマイクを握っている金髪のジョージ、動きに無駄がありません。どこかの組織の構成員である可能性を考慮し、常に急所を狙える位置をキープしてください」


「ジョージさんはただの陽気な大学生だから! 構成員じゃないから!エカテリーナさん知ってるでしょう」


「……そうですか。では、このDVDを見て、山での正しい『挨拶』を予習しておきましょう」


エカテリーナさんがカバンから取り出したのは、先日私がダメ出しをしたはずの『極道・血の哀歌:新宿編』。彼女の中では、これがまだ「日本の正装」として生き続けているようです。


「これを見て勉強しました。……山で誰かに出会ったら、『どこの組のもんだ。ナメたマネしてると、この山を墓場にしてやるぞ』。これが、ハイキングにおける礼儀正しい挨拶ですよね?」


「絶対違うわよ! それ、二度と山から降りられないタイプの挨拶じゃない!」


思わず立ち上がってツッコミを入れる私。周囲の学生がギョッとしてこちらを見ましたが、エカテリーナさんはどこ吹く風で「……不可解です。姐さん、またしても私の日本語のマスターを否定されるのですか」と首を傾げています。


バスが山奥へ進むにつれ、窓の外の景色は深い緑一色に染まっていきました。


ふとスマホの画面を見ると、アンテナが一本、また一本と消え、ついに「圏外」の文字が表示されました。


「……あ。電波が死んじゃった」


いつもなら登録者数やSNSの反応が気になって、数分おきに確認してしまうのに。


不思議と、今の私にはその「圏外」という文字が、少しだけ誇らしく見えました。


「姐さん。電波が死にました。これは敵による情報封鎖ジャミングの可能性があります。周囲の警戒レベルを『特A』に引き上げます。……双眼鏡、展開」


エカテリーナさんが真顔で軍用双眼鏡を構え、窓の外のリスをロックオンしています。


「エカテリーナさん、それはただの山だから。……でも、いいかもしれないわね。ひまり、私、なんだかワクワクしてきたわ」


「そうこなくっちゃ! さあ、着いたわよ。ここが私たちの、三泊四日の『戦場』……じゃなくて、合宿所よ!」


バスがログハウスの前に停まり、私は重いリュックを背負い直しました。


三郎さんが管理する静かで完璧な家とは真逆の、混沌としたエネルギー。


台本もなければ、リテイクも効かない。私の「本当の夏休み」が、今、土の匂いと共に始まりました。

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