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第134話:【言語喪失】お嬢様、バカになる。――正論の向こう側


櫻守事務所の配信スタジオ。今日は画面の向こう側の数万人ではなく、鈴蘭の目の前に座る「最強の敵」が相手です。


咲子が連れてきたのは、近所の幼稚園に通う5歳の少女・ももちゃん。スタジオの隅には「禁止事項:難しい言葉・理屈」と書かれた巨大な警告ボードが置かれ、監視役の咲子が扇子を片手に構えています。


「さあ、鈴蘭さん。ももちゃんが『どうして空は青いの?』と聞いていますわ。お答えなさいな」


咲子の合図に、鈴蘭は背筋を伸ばし、自信満々に口を開きました。


「お安い御用ですわ! それは、太陽光が地球の大気圏に突入する際、短い波長の青い光がレイリー散乱を……」


『ブブーッ!!』


容赦ないブザー音がスタジオに響き渡り、警告ボードの赤ランプが激しく点滅しました。


「あ、あら失礼。……ええと、つまり、お空の上にある小さなお粒に、お日様の光がぶつかって……」


「おねえちゃん、おつぶってなに? 食べられるの? もも、おなかすいたー!」


ももちゃんは、鈴蘭の渾身の説明を1秒で遮り、手元のぬいぐるみをぶん回し始めました。論理の組み立ても、結論への誘導も、「お腹が空いた」という圧倒的な本能の前に粉々に粉砕されます。


鈴蘭は焦りました。いつもなら「話を遮るのは非効率ですわ」と一蹴するところですが、相手は5歳児。そして、目の前には「心を動かせ」と無言でプレッシャーをかける咲子の鋭い視線。


「も、ももさん! お話を聞いてくださいまし! 空が青いのは、光の性質による物理的現象でして……」


「おねえちゃんのお顔、こわーい! なんで怒ってるの? もも、おべんきょう、きらーい!」


ももちゃんは、鈴蘭の「正しい説明」を、ただの「怖い音」としてしか受け取りません。鈴蘭が知識を披露すればするほど、ももちゃんの心は離れ、ついには半べそをかき始めてしまいました。


「……っ、わたくしは、ただ正しいことを……」


「鈴蘭さん。ももちゃんが求めているのは、空の仕組み(データ)ではありません。『空が綺麗だね』というあなたとの心の握手ですわ。……難しい言葉という盾を捨てなさい。思い切って、バカになりなさいな」


咲子の言葉に、鈴蘭はハッとしました。


自分は今、目の前の小さな女の子を「論破」しようとしていた。相手を笑顔にするためではなく、自分が正しいことを証明するために。


それは、かつて自分の家族を壊したあの日と同じ過ちです。


鈴蘭は、ふわりと膝をついて、ももちゃんと視線を合わせました。


プライドを脱ぎ捨て、百科事典のような知識をすべて脳内のゴミ箱に放り込み、絞り出したのは、驚くほど単純な言葉でした。


「……あ、あの……ももさん。お空が青いのは、……たぶん、お空がとっても『元気』だからですわ。……わたくしも、ももさんとお話しできて、今、とっても心が『青空』みたいに晴れやかですの」


ももちゃんはピタリと動きを止め、鈴蘭の顔をじっと見つめました。


「おねえちゃん……いま、わらった?」


「え……?」


「おねえちゃん、わらうとかわいい! もも、あおぞら、だーいすき!」


ももちゃんが、鈴蘭の首にギュッとしがみつきました。 科学的根拠もゼロの、デタラメな説明。


けれど、鈴蘭の胸には、どんな難解な古文書を読み解いた時よりも熱く、柔らかな衝撃が走りました。


「……あ。……ああ、そうですわね。……ふふ、嬉しいですわ……」


鈴蘭は、ぬいぐるみを持ったまま、ももちゃんをそっと抱き返しました。 その姿は、冷徹な百科事典ではなく、初めて「自分の体温」を誰かに分かち合った、一人の優しい少女のものでした。


【佐藤家にて】

「おばあ様……。鈴蘭さん、配信が終わった後も、ももちゃんと一緒に『お空が元気な理由』について1時間も話し込んでましたよ」


みゆが微笑ましい報告をすると、咲子は三郎ルンバの背中を優しく撫でながら、満足げに目を細めました。


「ええ。正しさは、優しさという器に入って初めて、人の薬になりますの。……あの子、自分のついた『優しい嘘』に、自分が一番救われたようですわね」


「でもおばあ様、鈴蘭さんのノート見たら『元気=ビタミンCの過剰摂取による発色か?』ってメモしてありましたよ。まだちょっと理屈が抜けてないみたい」


「……おほほ。まあ、一歩ずつですわ。……さて、みゆちゃん。次の方は、さらに泥臭い外交が必要になりそうですわよ」

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