天使とアマランタ
「おまえはわたしのイシグロを撃ち、わたしの娘を誘拐した。もし今娘に万が一のことがあれば容赦はしない。話せ」
膝で肩関節を固めて、すかさずスティレットをレベッカのうなじに滑り込ませた。
「レメディオス様に毒を飲ませていたのはどういうことですか。奥様が納得のいく理由を求めています」
ミランが鋭く尋ねた。しかしアマランタはこんなことで怯むことはない。
「旦那と悪行三昧、息子まで戦で死なせ、娘を捨てた卑怯な奴に話す理由はない」
腕に負担のかかる重いスティレットを移動させて、今度はレベッカの心臓の裏で止めた。背から鼓動が聞こえるようだ。そしてもう片方の膝でうなじを押さえた。アマランタ自身は呼吸を整えながら、まだまだ弱い天使二人のピュアな瞳を前にして、なおさら醜く見える拳銃を、小娘ミランへと向けた。慣れているはずなのに、この塊は肩に食い込むくらい重かった。
「落ち着いてください」
ミランは声を震わせた。
両手を見せていた。
「娘を誘拐して、唯一心から信頼できる彼を撃たれ、二つともしたレベッカにほほ笑みかけろとでも?」
「わたしのエプロンに手紙が」
「ナイフ使いね。近づかないで」
こうしているうちに、煙草の渋い匂いが流れてきた。もうやめろと、イシグロに言われている気がしたが、彼女は堪えた。
どこかにいるの?
レベッカがうめいたので、自分で出すように命じて開かせた。まだ字にも幼さが残るがレメディオスの文字に違いない。アマランタは少しも警戒を怠らず、レベッカの開いた手紙を、敵を制しながら読んだ。
ママへ
わたしはお祖母様のところにいます。
元気です。
死神さんが近くにいてくれます。
街のどこかにいます。
絶対にママを守ってくれます。
レメディオス
アマランタはレベッカから距離を置くように離れると、今度はミランは自分のエプロンのポケットを指差して、そっと手紙を出した。まだアマランタは警戒していた。
「レベッカ、あなたは動かないで」
アマランタは「読め」と命じた。
「え、わたしが?」
「構わないわ」
「ライアンの娘は、伯爵と一緒にいれば魂が穢される。ウォルターハウス家の庇護の下、大切に育てられるのです。あなたもわたしも伯爵と同類。娘は諦めなさい」
ミランが厳しい文面のまま読んだ。
レベッカは抵抗する様子もなく、絨毯に額を付けたままである。ミランは、テーブルのところに、手紙と誠意のある金額の記された小切手を置いて離れた。
レベッカは静かに口を開いた。
「夢を見たい。好きな人と結婚して子どもがいるんだ。平和な世界で子どもを育てて暮らすのはどうだ。僕たちの子どもでなくてもいい。世界の子どもたちだ」
イシグロの言葉だ。
「なぜあんたが……」
「グロウが、いつかあなたに話したのだと教えてくれました。今も彼はきっと街にいます。そしてレメディオス様はあなたが悪いことをしないように祈っています」
アマランタはレベッカの頬の傍にスティレットを落とすように捨てた。それからゆっくりと立ち、彼女を解放した。下級天使に何ができるというのか。しかもこいつは世間のことなど、理解していない。
「今朝のことはグロウは知ってるの?」
「いいえ」とレベッカ。
「いいこと教えてあげる」
アマランタは、レベッカが起き上がるのを見つめながら話した。他に悟られないようにわからないように息を整えていた。
「わたしたちみたいのはね、上の奴らの言うこと聞くしかないのよ。例え伯爵を殺したとしても、どこからか同じような誰かが出てきて、また支配しようとする」
レベッカは床に転がされたスティレットを拾い上げて、じっとそれを見ていた。
「リセットしても、結局は同じことになるのよ。それでもね、レメディオスには同じ思いをしてもらいたくはないの」
「はい」
「行きなさい」
今にも神経がもろく崩れそうなアマランタは、背を向けて、手でさっさと追い払う仕草をした。前世での二人のことなど何も知らないくせに。イシグロとマリアは、どれくらい繋がっていたのか、彼はどこまで尽くしてくれたのか。
「彼のことを語らないで!」
怒りが刃となって、自分自身のの胸を貫いた。再び呼吸が乱れて、涙が粒のように落ちた。どうしても止められない。
「彼は前世で、わたしを地獄の檻から出してくれた。わたしのことなんて無視して一人で逃げられたのに。なのにわたしは生まれ変わっても、彼に迷惑をかけている」
レベッカはじっとしていた。そんな彼女を肩越しに見たアマランタは、早く行かないと気が変わると笑ってみせた。
「わ、わたしは……前世で天使に抱かれて殺されました。守れもしないのにずっと抱いていてくれたんです。炎の中、ずっとずっと一緒に……」
「それは愚かな天使ね」
「わたしのせいです。わたしが彼女を信じていれば。わたしはあなたやレメディオス様を守ろうと思います」
「伯爵を敵にする覚悟はあるの?」
「レメディオス様のためにも。わたしにできることは、これくらいなんです」
「レメディオスの天使に?」
アマランタは軽く笑い捨てた。
「覚悟は素敵よ」
「わたしは必ず強くなります。降りかかるすべての厄災から、レメディオス様を守るつもりです」
「伯爵が死んだところで、また新しい敵が現れるわ」
「どこまでも同じことをします」
わざわざ頼みに来たのか。伯爵に見つかれば殺されるかもしれないというのに、許されるかどうかすらわからない、こんなことのために来たのなら、アマランタも答えてやるしかないではないか。
「あなたたち天使にプライドがあるのかわからないけど、この街のどこかにいると信じてるなら、イシグロに会いなさい。彼の言うことや行動が、わたしの答えよ」
アマランタは、二人の天使に今すぐにホテルから出ていくように伝えた。伯爵は悪い天使も操る。今日か明日かはわからないが、二人が考えているよりも近いうちに、イシグロはマーガレット・ウォルターハウスを訪ねるはずだと教えた。
「もう丸薬は飲まさないで。あれは神経を麻痺する作用がある。粉薬と同じ。量を少なくして飲ませた。レメディオスが伯爵に奪われないようにしたのよ。暗殺者にじゃない。暗殺者ならわたしが守れる。伯爵はレメディオスを生贄にする気でいるわ」
レベッカを乱暴に解放した。
「レベッカ……」
アマランタは、静かに退室するレベッカを呼び止めた。
「マッサージは続けてあげて」
「はい」
レベッカは静かに頭を下げた。
一人、アマランタはアマランタは力を抜いてソファにもたれた。自分はレメディオスのために離れるしかない。一緒にいれば、彼女の魂まで汚れてしまう。あの子の幸せのために、離れるのが一番だ。
それなのに涙が止まらない。




