ゼウスとヘラ
「何か嬉しいことでもあったの?」
ヘラに連れられ部屋から出た。てっきり怒られると思ったのに…。お茶会は出なかったし、サクラちゃんのおでこにキスをしちゃったし。だけど、ヘラは穏やかな顔をして私の横を歩いている。
「えぇ、ゼウスが嬉しいと私も嬉しいのよ。」
「もー!ゼウスったらまた違う女の子と遊んでる!!自分の立場が分かっているの?」
腰に手を当て頬を膨らませるこの少女はヘラ。僕たちは生まれた時から神であり女神であった。
「そりゃ遊びたくなっちゃうよ。こんなに可愛い子がいるとさ。」
「やだわ、ゼウス様ったら♪」
嬉しそうに精霊が笑った。女の子はこうでなくちゃ。
バシッ
「ゼウス様大丈夫!?」
ヘラはいつもこうだ。あんな見た目の癖に暴力的というか…これが僕とヘラの日常。
「まったく、ヘラ様ったらどうしてあぁなのかしら。黙っていれば綺麗で可愛いのに、凶暴だわ。」
可愛い子は好きだけど、ヘラを悪くいう子はダメ。
「君は可愛いのに台無しだね。」
僕はヘラの後を追った。
ヘラはいつだってそうだ。僕が女の子とくっついていると必ず邪魔をしてくる。ヘラは僕が好き。僕だってヘラを好き。…だけど、僕はダメなんだよ。
「やぁっぱり、ここにいた。」
ヘラが決まってかくれる場所。幾度となく繰り返しているのに、必ずしも同じ場所。そんなヘラに僕は笑った。
「どうしていつも女の子とくっついているの?」
「それは僕が女の子を好きなのと、僕を女の子が好きだからだよ。」
「私だけじゃダメなの?」
あぁ、まただ。
「ダーメ。ヘラとはくっつけないの。」
こう答えるしかないんだ。
「またそう言うのね。」
ヘラが目に涙を浮かべる。
「!?何かあった?」
ヘラが涙を見せることなんて幼少期以外にあっただろうか。いつだって負けん気が強くて弱さなど見せようとしないヘラが…。
「私が、ゼウス以外の神様と結婚しちゃってもいいの?」
ヘラが結婚だって?どこかの神と?
「ずっと断ってきたんだけど、私は結婚の女神だからね。しなきゃならないらしいの。だけど私は…。」
「いいんじゃない?僕と違ってヘラを大事にしてくれるよ?」
ズキン。口から出た言葉に胸が痛む。でもヘラの方が痛んだに違いない。
「…そうね。ゼウスと違う彼と結婚して、ゼウスに見せたことのない顔で彼に笑うわ。ゼウスと違うんだもの。大切にしてくれるわ。」
声を荒げることもなくヘラは言い、僕の前から去った。ヘラの頬を涙が伝っていた。
僕は何て言ったら良かったんだ。結婚なんてしてほしくない。他の男に渡したくない。我が儘な気持ちをどうしたら言うことができる?僕は君を大切にできない。傷つけてしまう。
「…ウス、ゼウス!」
呼ばれて見てみれば兄上のハデスが僕の名を呼んでいた。
「何をボーッとしている。」
兄上は心配そうに僕を見る。兄上は全くといっていいほど女性に関心がない。こんな容姿をしているのに、中身が僕とは正反対。ヘラとも共に過ごしてきた。兄上に相談したところで、何の解決にもならないだろうけど…。
「どうした?」
そう思いながらも兄上に自分の気持ちを漏らした。
気付けばヘラの館に向かって走っていた。
ーーー
「そのままの気持ちを伝えればいいだろ?何を悩む必要がある。」
「だって、僕は女の子が好きなんだよ、兄上には分からないだろうけど…。多分そう造られているんだよ。」
「お前はヘラの何を見てきたんだ。ヘラがありのままのゼウスを受け入れていないとでも?」
「……。」
「他の男に取られてもいいのか?嫌なら行け!」
ーーー
兄上に背中を押されるなんて思ってなかった。
僕はずっと恐かったんだ。ヘラが純粋に僕を想ってくれることで、僕がヘラを傷つけてしまうのではないかと。だけど、放った言葉でヘラを傷つけた。自分も傷ついてちゃ世話ないな…。
ヘラの館に着いた。上がった息を整えている場合じゃない。今日はヘラの元へ、例の神が訪れているらしい。ヘラの部屋は、角の部屋。何度も遊びに来た。その度に笑うヘラを可愛いと思った。その可愛いヘラは永い歳月の中で美しく成長していった。抱き締めたいと思った気持ちを何度胸の奥にしまいこんだことか。部屋の前に立つと、中から声が聞こえてきた。
「私との結婚をオッケーすると言うことは、想い人とは結ばれなかったようだね。」
想い人とは僕のことか…。
「君は噂以上の美人だね。私のものになってくれるなんて嬉しいな。」
私のもの、だと?
「さすがにお手が早いのではありませんか?離してください。」
「君は私の妻になるのだろう?手を出して何が悪い?私は君の想い人より優しいし、君を大切にできる。大丈夫、私に任せて。」
ブチっと何かが切れた音がした。扉を開けようとした時だった。
「あなたは何を勘違いしているの?彼は誰よりも私に優しくて何よりも大切にしてくれていたわ。あなたごときが私を大切にできるとでも?勘違いも甚だしい。退いてください。」
ヘラ。
「なんと生意気な!可愛げのないお前など私以外の誰が嫁にもらうものか!」
バン!!
思いっきり扉を蹴破った。
「ゼウス!」
ヘラがソファに押し倒されていた。その光景を見たとき感じたことのない感情が沸き起こった。
「僕のヘラに何をしている?お前が乗っていい女ではない。」
「え…今、ゼウスって…。」
僕はこれでも最高神だ。
「雷を落とされたくなければ、退け。そして2度と姿をみせるな。」
「あぁぁ、申し訳ありません!」
その神は慌てふためき部屋から出ていった。
パタン。
「何よ、雷なんて落としたことないくせに。」
「ないけど、落としたくなったんだよ。」
こんなこと思ったの初めてだ。ヘラに触れた男に怒りを感じながらヘラの元へ寄り頬を触る。
「怖かった?」
ヘラは泣きそうな顔をしたが顔を背けた。
「怖いわけないでしょ!だいたい、ゼウスは何しに来ーっ!?」
ヘラが話し終わる前に抱き締めた。初めて抱き締めたヘラは肩が小さく震えていた。本当に強がりだ。
「アイツを殺してしまえば良かった。」
コツン!
「神様が何を物騒なことを言っているのよ。」
ヘラが僕の頭を叩き、困ったように笑った。いつだって僕を叱るのはヘラくらいなものだ。
ギュッ…
「ヘラを他の誰にも渡したくない。いつだって僕の傍にいてほしいんだ。だけど、僕はこんなんだから…君を傷つけてしまうに違いない。」
なんてカッコ悪い告白なのだろう。だけど、気持ちを隠すのはもうやめよう。
「ヘラ、こんな僕を受け入れてくれるかい?」
ヘラがため息をついた。
「当たり前でしょ!どれだけ一緒にいると思っているのよ。ゼウスの良いところも悪いところも全部知っているのよ?受け入れないわけないでしょ?」
そう言って優しく笑ったヘラ。可愛い女の子は好きだ。僕を好きという子はもっと好き。だけど、愛しく思うのはヘラだけ。
僕だけの女神はヘラしかいないんだ。
ヘラの頬に手を添える。もっと早く言えることもできた言葉を今ようやく言えることができる。永い歳月を経て…。
「愛してる。」
お兄様に冥王を命じてから後悔を隠した笑顔を見せていたゼウス。そんなゼウスを見ているのは辛かった。
だけどようやくゼウスが本当の笑顔になった。
ずっと見たかった愛しい人の笑顔。
その笑顔を取り戻してくれたのは冥府にいる人間の少女。
その少女が美少女ときたものだからゼウスも惹かれた様子。でもまぁお兄様のだから差程心配はしなかったけれど…あの子の笑顔には誰もが惹かれるでしょうね。
ゼウスがキスをしたのには若干腹が立ったけど、ヤキモチなんて妬けないじゃない。だって、愛しい人の笑顔を取り戻してくれたのは彼女だもの。それに、ゼウスの私への気持ちを聞けたからね。
飽き飽きさせるほどの女ったらしなのに、優しくて私を大切にしてくれるこの人。傷ついたりなんてしないわ。だって、
「ふふっ」
「なぁに?ヘラ?」
つられて笑うゼウスを見て思う。
「あなたの傍にいれて私は幸せだわ。」
あの子に感謝しなくちゃね。この人の胸の内を聞けちゃったんだから。




