第43話 さよならを告げて
「はじめまして、亡霊です」
彼らを前にして最初に出た言葉は、再会の喜びでも恨み言でもなく、どこまでも静かな「ただの挨拶」だった。
ロザリアと一応の和解を済ませ、レンやカイさんと合流してすぐのことだ。身なりの良い中年の男女が、肩で息をしながら駆けつけたのは。
「ロザリア! ルキア!」
かすれた声で叫ぶように私たちを呼んだ男性は、髪を振り乱し汗に汚れたひどい有様で、とても貴族の紳士とは思えない姿だった。
しかし、『父親』だと言われれば彼のそれは理想的な姿だ。なりふり構わずに娘の元へ駆け付けてくれたのだから。
「…………っ」
ロザリアは呼び声に応えようとして、しかし、口をつぐんで俯いてしまった。まるで、応える資格がないとでも言うように。
(……おばかさんな妹)
本当はわかっているだろうに。彼は……父親は、ちゃんとロザリアの名前を呼んだ。私よりも先に。
ロザリアが思っているよりも、彼の中にロザリアの存在はある。ちゃんと愛されているのだと、わかっているだろうに。
(まあ、さっきの話の後じゃ、素直にはなりづらいか)
リーズリット家側にも色々とあるのだろうし。あのお嬢様お嬢様したロザリアが『いつもの姿』だったのだとしたら、言い訳を考える時間も必要だろう。
ロザリアが戸惑っている内に、両親はもうすぐ近くにまで辿りついてしまっている。驚いた様子のカイさんが対応してくれているけれど――
(仕方ない。時間をあげるわ、ロザリア)
動けないロザリアを差し置いて、私はゆっくりと彼らに近付いていく。
初めて会うはずの両親を前にしても、心はひどく凪いでいた。
会いたくなかったわけじゃない。もっと感動したり怒りがわいたりすると思っていたのだ。
しかし、私の心はどこまでも静かだった。緊張で手が震えることもなく、鼓動が早まったりすることもない。
――そして、口をついて出たのは
「はじめまして、亡霊です」
自分でも驚くほどに落ち着いた、ただの挨拶だった。
「亡霊ってルキア……」
落ち着き払った私とは逆に、両親も二人の騎士も、そしてロザリアも目をまん丸にして固まってしまった。
別に意地悪を言ったつもりはない。冗談でもない。ただの事実だ。
といっても、私もさっき知ったのだけど。
一族から除名――『なかったもの』にされていると思っていた私だが、ロザリアの話から考えると、どうも『死産』という扱いのようなのだ。
公式にはルキア・リーズリットはもう死んでいる。つまり『亡霊』だ。
私の発言の意味にいち早く気付いたらしい男性――リーズリット候が、顔を歪めながら唇を噛んだ。やはり『死んでいる』で正解のようだ。
そのまま、ゆっくり地に膝をつくと、彼は深く深く頭を下げた。
「……私たちを、恨んでいるかい?」
「特には。恨むほど関心もありませんし、全てもう終わったことです」
「そうか……そうだね」
ふと見れば、レンとカイさんが私たちの間で困惑気味にオロオロしている。
関係ない彼らをここまで巻き込んでしまったのは申し訳ない話だが、「もう少しだけ待って」と呟けば、揃って苦笑を返してくれた。
――そう、もう少しでいい。私が亡霊なら、ここに長居をするべきではないのだから。
「……顔を上げて下さい、リーズリット候。私を“生き返らせること”はきっと難しいでしょうから、それを望むつもりはありません。ですが、生者と話しをすることは、すぐにでもできるはずです」
「お姉、様……?」
ハッと顔を上げた彼と、同じく顔を上げたロザリアの視線が絡まる。ああ、この青眼は父親譲りだったのか。よく似た色に、互いの少し間抜けな顔が映っている。
「私を“悼んでくれる”のならどうか、まずは私の『半身』の話を聞いて下さい。それが、私の望みです」
「お姉様……」
少しの間見つめあった後、何かを堪えるように、二人は同時に目を逸らした。
思い当たることがあるということだろう。ロザリアはもちろん、リーズリット候の方にも。
妙なきっかけにはなってしまったけど、きっとこれでロザリアは話をすることができるはずだ。
「……それではルキア、貴女は、どうするの?」
ほっと胸を撫で下ろしていれば、彼と入れ替わるように顔色の悪い女性がふらりと前に出て来た。
……ああ、なるほど。私たちの顔立ちは、こちらから受け継いだようだ。私にもロザリアにもよく似ている。年をとったらこうなりそうだ。
女性――母親は、今にも泣きそうな表情で、すがるように私を見つめている。
(どうするもこうするもないんだけどね)
私の身の振り方は最初から決まっている。元より、彼らと交わる予定はなかったのだ。あの賊どもの騒動さえなければ。
(――ああでも、この人には伝えるべき言葉があるか)
私にとって『母親』とはヘレナのことだったけれど、これだけは彼女に伝えるべき感謝だろう。
スカートの裾をつまみ、見よう見まねのお辞儀の姿勢をとる。なるべく口角を上げて、きれいな微笑みが作れるように。
「私を産んでくれて、有難う御座いました。……どうか、お元気で」
「……あ……あぁっ……」
女性は小さく呻いてから、リーズリット候に倣うように地面に蹲ってしまった。
ぱたぱたと滴の落ちる音が聞こえてきたけれど、私からかけられる言葉はもうない。もう、呼びかけてはいけないのだ。
「……これでいいのか、ルキア」
「ええ、いいのよ」
落ち込んだ様子で肩をよせあう夫妻を眺めながら、レンがぽつりと問いかける。口調こそ平坦だけれど、揺れる赤眼は私を案じてくれているようだ。
「リーズリット家は『私が消えること』を選んだ。両親も、私も。貴族令嬢だったルキアは今も死んだまま。だから、『賞金稼ぎのルキア』が干渉するのが間違っているのよ。巻き込んでごめんなさい、レン」
「俺は、ルキアがいいなら、それでいい」
「……ありがとう」
ふと耳を澄ませると、候やロザリアを捜す声が遠くに聞こえてくる。きっと家主を追ってきた使用人たちだろう。
(ヘレナはともかく、他の使用人に私が会うのはよろしくないわよね)
外していたフードをいつも通りにかぶり直すと、噴水の縁に座ったままのロザリアから視線が刺さってきた。彼女もまだ動けないようだ。
「それじゃあね、お嬢様。私はお暇させてもらうわ。大変だったけど、最初で最後の姉妹喧嘩、いい思い出にはなったわ」
「……貴女はそれでいいの? “生き返りたい”とは思わないの?」
「思わないわ。顔が見られただけで十分よ」
「……そう」
それだけ呟いて、また俯いたロザリアは、それ以上は何も言わなかった。
一応軽く手をふってから、私も踵を返す。隣にはいつの間にか、私を守るようにレンが並んでいる。
「あー……いいよ、ここは任せろ」
「すみませんカイさん、また」
面倒には慣れてると苦笑したカイさんに頭を下げて、レンと二人でリーズリット邸の庭を逃げるように駆け抜ける。
そうして、何とか無事に家まで帰ってきて――――あれから、もう二日が経った。
「……んー……平和だわ……」
積みあがった魔術書を整理しながら呟けば、私しかいない家の中に声が響いていく。
あれから二日、何か動きがあるかなーとも思っていたのだけど、リーズリット家は沈黙したまま穏やかに日々は過ぎていた。
私は例の魔術で負った火傷がレンにバレてしまい、あれからずっと自宅療養を言いつけられている。
傷自体はすぐに治せたし、運よく痕も残らなかったのだけど、食事なども全て彼らが買ってきてくれるので、完全に引き篭もり生活だ。
もちろん、賞金稼ぎの仕事も禁止中だ。夜間に出かけようとなんてすれば、レンがすっ飛んでくる。どこで見ているのか知らないけど、あの人護衛の仕事は大丈夫なのかしら……。
とにかく、あちらの動きもなければ、こちらも動かせてもらえない状況で、ひたすらに暇なのである。
もうやることといったら、王都へ持って行く荷物の選別ぐらいしかないのだ。
(……しかし、それももう終わりそうなのよね)
どうやら、家具類は神官に与えられる住居に備え付けであるらしく、私が持っていくのは衣類を中心とした私物だけのようだ。
それにしたって、いつ出て行かされるのかビクビクしながら暮らしてきた私である。
下着はともかくとしても、私服なんて似たようなものが数着あるだけだし、他に持っていきたい私物もこの魔術書ぐらいしかない。
その書物すらも、あちらには専用の蔵書室があるというのだから、本当に気に入っているものだけで足りるだろう。
今私の横に積み上がっている本は、持って行かない方の本なのだから。
つまり引越しなのに、持って行く荷物、ほとんどない。
「……我ながら、十七年も暮らしてきた家でこれとはね……」
まあ、普通の暮らしではないのだから仕方ないのだけど。
分け終わった内の一冊だけ持って、部屋の隅のベッドへ体を転がす。このちょっと固いベッドとも、もう少しでお別れだ。
「……ロザリアは、大丈夫かしらね」
目を閉じれば、浮かんでくるのはあの日の騒々しい風景。
私はもうすぐいなくなる。最後の最後におかしな関わり方しかできなかったけど、世界でたった一人の姉妹だ。
できれば彼女も、私とは違う世界で幸せになって欲しいと思う。両親も。ヘレナも。
結局ゆっくりとは見られなかったけど、本当は美しいのだろうあの屋敷で、彼らには平和に暮らしていて欲しい。
私がいなくなった後も、ずっと、ずっと。
「…………さよなら、私の小さな世界」
今更、目の奥が熱くなった気がして、誤魔化すように枕へ顔を押し付ける。
――旅立ちの日まで、あとわずか。




