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第36話 開戦

 ――空は雲ひとつない、どこまでも続く美しい青。

 日差しも心地よく、散歩にはもってこいな素晴らしい天気だというのに。


(……ああ、私たちの間の空気は、どうしてこんなに肌に刺さるのかしら)


 張り詰めるそれは「穏やか」とはほど遠い感触をもって、対峙する私たちの身動きを止めている。

 さわさわと軽い音を立ててすぎていく風すらも、ひどく冷たい。

 

 ロザリアに迎えられてどれぐらい経っただろうか。むやみに動くこともできずに様子を窺っていたが――次の行動を(うなが)したのも、ロザリアだった。


「……お姉様、貴女は顔を見せてくれませんの?」


「あ」


 それなりに距離があるにも関わらず、呆れているとハッキリわかる声色で彼女が溜め息をつく。 

 そう言えば、私はいつも通りの顔を隠すフード付き外套を着たままだった。様子はともかく、出迎えてくれた彼女に対して、これは失礼だろう。


「……ルキア」


「大丈夫よ」


 心配そうに目線をよこすレンに、私も目だけで返事をしてフードをとる。もちろん利き手は使えるように構えたままだ。

 ぱさりと軽い音を立てて、視界が一気に明るくなる。同時に、向こうの彼女が身じろぐ気配。……おそらく、先ほどの私と同じ感想を抱いたのだろう。


「本当に、同じ顔なのね。ここまで似ているなんて……」


「ええ、本当にね」


 視界の端で灰桃色が揺れている。この髪色すらも、彼女と全く同じ。

 双子というより、もはや鏡を見ているようだ。血縁として否定できない現実に、ロザリアはゆっくりとまぶたを伏せた。


「……こんなによく似ているのに。ほとんど同じ顔なのに。“私はロザリア”なのね……」


「……は?」


 ぽつりと落ちた彼女の呟きに、ついつっこみを入れそうになった。

 それを言うなら逆(、、、、、、、、)だろう。

 彼女がロザリアであることは、喜ぶべきことのはずだ。彼女は『ロザリア』であったからこそ、貴族の一人娘として大切に育てられたのだから。

 もし『ルキア』であったなら、一族から除名され、顔を隠してひっそりと生きることを余儀なくされるのだ。この私の人生に羨まれる要素はどこにもない。


 意味がわからないと眉をひそめれば、それは彼女にも通じたのだろう。

 ロザリアもまた、理解できないものを見るような表情を私に向けて、首を横に振った。


「お互い、ないものねだりですわね」


「そう言われても、私は何も持っていないわよ」


「そうね……貴女にとっては、そうなのかもしれない」


 疑問符を浮かべる私に、ロザリアが返すのは自嘲(、、)だ。自分と同じ顔立ちだからこそ、それは一種の皮肉にも見える。

 ……それとも、私が知らないだけで、彼女がそう思う理由があるのか。私への殺意に繋がる理由が、『ロザリア』であることなのか。


(できれば、話し合いをしたいところなんだけど)


 再び目線を送ると、レンは鋭い目付きのまま小さく首を横に振る。

 周りを取り囲んでいたらしい奴らは、今の顔あわせの間に移動をほぼ終えたようだ。もはや、いつ襲ってきてもおかしくない。

 木々の音ではないざわめきが、ゆっくりと屋敷を包んでいく。


「……貴女も、そのつもりで来たのでしょう?」


 くすり、と聞くだけなら可愛らしい笑い声がこぼれる。

 それは、貴族令嬢らしい上品な仕草。しかし、この殺気立つ戦場(、、)においては、場違いも(はなはだ)だしい。


「できれば穏便に済ませたかったわ。私は貴女と話をしたかっただけだもの」


「そう? でも、ごめんなさいお姉様。私には話すことなんてないの。だって、どうせ平行線なんだもの。私たちの事情は、片割れには決して理解できないわ」


「……それは、どういうこと?」


 また眉をひそめた私に、ロザリアはゆるく否定の動作を返す。

 彼女の方が優位であるはずなのに、その顔はまだ自嘲の色を浮かべている。


「わかりあえないのよ。だから――」



 おもむろに、彼女の左手が顔の位置まで上がった。


「ッ!!」


≪防壁展開ッ!!≫


 それが“合図”だと認識する前に、唇が発動の呪文を叫んだ。

 賞金稼ぎの勘が成した“条件反射”だが、その判断は正解だった。

 直後に目の前で爆ぜた攻撃魔術は、防げなければいきなり重傷を負わされるような火力だったのだから。


「あっつ……!!」


 自然の火では到底ありえない速さで、魔術の炎が燃え盛る。

 防壁魔術の高さをゆうに越えて、その勢いは空へと届かんばかりだ。


「ルキア、下がれ!」


 呪文と同時に抜いたのだろう。風を斬る音と共に、レンが私を背にかばって立つ。

 片手ではとても構えられない巨大な刃が、赤い炎をかき消すように振るわれるが――


「レン駄目、まだよ!!」


 直後に走った悪寒と共に、私は手をレンの前に突き出す。

 詠唱は間に合わない。ならばと“仕込んだそれ”で、魔術の壁をもう一枚重ねる。


「――ぐうッ!!」


 消費したリスク(、、、)と共に、火花が頬かすめる。

 徐々に弱まっていく炎の背後から、石粒を大量に含んだ突風が防壁魔術に叩きつけられたのだ。

 まるで爆弾が破裂したような衝撃。熱と異物は容赦なく一枚目の防壁を破壊し、とっさに張った二枚目にすら、勢いよく亀裂を広げていく。


「二段構え……!?」


 ギリギリだったが、レンにも被害はなく防げたらしい。

 しかし、彼がもらす声は明らかな驚愕。ロザリアが向けた殺意は、戦闘が本職の彼を驚かせるほどに本気だった。


(仕込みがなければ、今の二撃目でやられてた……)


 まさか、“最悪の想定”として仕込んできた手段を、こんなに早く消費することになるとは思わなかった。

 これまでに会った赤髑髏(あかどくろ)の連中は、魔術には関わりのない者ばかりだった。

 なのにここに来て、いきなり殺す気の攻撃魔術を続けざまに撃ってくるとは、予想外なんて話じゃない。


(『魔術師くずれ』なんて舐めてたらまずいわね。私も本気でやらないと)


 ――やらないと、本当に殺される。

 背中を冷たいものが走るのを感じながら、ぐっと拳を握りしめる。

 まさかの話じゃない。想定の話じゃない。今まさに殺されかけた――これは、“現実”だ。



「……ルキア」


 残響とともに砂煙が舞う中、レンが前を向いたまま尋ねる。

 徐々に晴れていく灰色の世界には、ロザリアをかばうように立つ男たちの影。

 パッと見でも凶悪な意匠の武器を構える彼らは、赤髑髏の残党――いや、幹部たちだろう。賊らしい装いに反して、その立ち姿は妙に様になっている。


「問題ないわ。そっちは」


「無論」


 頷くが早いか、再び大剣を構えたレンは静かに腰を落とす。

 パリパリと音を立てて壊れていく防壁は、もう何秒ももたずに消えてしまうだろう。

 これが完全に消えた時が、反撃の合図だ。


(……いた)


 賊たちの背後、ロザリアの背にくっつくように影が二つ見える。体の線が見えない、布の多いローブらしき服装。おそらくあの二人が、赤髑髏の魔術師だ。


「魔術師は私がやるわ。他をお願いしてもいい?」


「ああ」


 パリン、と。最後の欠片が砕けて消える。


「ふっ」


 攻撃と防御が相殺(そうさい)し終わったその瞬間、体躯(たいく)からは想像できない(はや)さで、レンが駆け出した。

 さすが聖騎士団の騎士。私が見惚れる余裕もなく、重い剣戟の音が響き渡る。


「……ッ!?」


 この速さは想定外だったのか。やや慌てた様子でローブの男が動くが、


「貴方たちの相手は私よ」


「なっ!?」


 私だってね、ダテに賞金稼ぎで食いつないでいた訳ではないのだ。

 もはや使い慣れた身体強化の魔術を唱えて、前衛の賊を避けてロザリアまで一気に距離をつめる。


「……ふふっ」


 魔術で駆け寄る私を捉えて、ロザリアの青眼がゆったりと歪む。

 私によく似たその顔は、(あざけ)りとわずかな寂しさをたたえて微笑んだ。


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