【幕間】影の結束【第四章◆完結】
――影と女神の蜂蜜紅茶
「なあ。お前は女神さんのこと、どう思う?」
「……どうとは何だ。これといって思い入れは無い」
Jの唐突な質問を、にべも無く切り捨てるK。
現在、影の女は"ティータイム中のお嬢様を適切な距離から見守る"という、当人にとってはこの上なく重大な任務に就いていた。
時間外にも関わらずこの場に現れた男に、Kは視線すら寄越さずに、話しかけられるまでその存在さえも無視していた。
Kのその様な対応自体には慣れ切っているJだったが、今回ばかりは真面目に聞いてもらわねばならないと、少々意気込んでいるようだった。
「アシュ坊になんかあったら、お嬢だって悲しむだろ?ちったあ真剣に考えてくれよ」
「……っ」
男の思惑通りに、その一言で女の纏う空気は一変する。
途端に胸ぐらを掴まれても、Jにとっては些細な問題でしかなかった。
「詳しく話せ」
「……ハッ、望むところだよ」
斯くしてJは、疑惑の種についての詳細をKへと共有したのであった。
◇ ◇ ◇
横目でアリシアを見つめながらも、その後Kは真剣にJの話を聞いた。
ダリルが"日本語"を読める者であったこと、時折り瞳から漏れる微弱な魔力、災害級の能力を持つ血縁者の存在。
あらゆる懸念事項を聞き終えたKは、自身の考えを淡々と告げた。
『花の君は、意図的に坊ちゃんを害する人間では無い。それだけは確かだろう。お前がいま警戒すべきなのは、あくまでも魅了の娘だけだ』
『危険を取り違えず心して坊ちゃんを守れ』
相棒の言葉を思い返しながら、Jは人知れず溜め息をこぼしていた。
(……まったく。どれだけ狂ったように見えても、アイツの"見る目"ってやつだけは変わんねぇんだな)
「……頼り甲斐があるってもんだ」
皮肉げな口調で独りごちると、Jは一度アシェルの様子を窺ってから秘密の筆談相手の元へ向かうべく、軽やかに地面を蹴った。
すっかりと結界の揺らぎに敏感になった少年は、Jがその姿を現す前から辺りを見回す仕草をして、口を開く。
「Jくん? わざわざ図書室まで来るなんて珍しいね……。どうしたの?」
この"アシェル"という特殊な事情を持つ少年は。
何をどうしたらそうなるというのか、最近では隠匿を解かなくとも大凡の居場所に見当がつくらしく。
ほぼ正解に近い角度の目線を受けて、Jは舌を巻いた。
「……《解除》。なあ、アシュ坊には何が見えてんの? 隠れてんのに場所が分かるとかさぁ、そんなん影の商売上がったりなんだけど……」
「ええ……? 何が見える、って…………な、なんとなく?」
いつかのように、片側だけ半目になった歪な顔で笑うJに、困惑した様子のアシェルは素直に答えた。
言うに事欠いて"なんとなく"とは、Jにしてみれば笑えない冗談である。
「……も、いいや。アシュ坊に普通を求めんのが間違えてるって、知ってた。俺が悪かった。まあ……元気そうなら問題ねえし、もう行くわ」
「えっ……J? もう行っちゃうの!? ほんと何しに来たの……!?」
驚きのまま叫ぶアシェルを尻目に、Jはそのまま踵を返して再び闇の中へと溶けていった。
後に残された少年は、一頻り呆然と立ち尽くしていたようだった。
◇ ◇ ◇
(見えねぇはずのモンが見えるとかさぁ……そんなとこまで似てんじゃねぇよ…………)
これもまた、アシェルが執心している精神世界の影響だろうか。
日に日に『規格外』へと近付いていく少年に、男が何を重ねていたのか……その心の最深部までは分からない。
「…………マジで、勘弁しろよ……」
吹けば崩れそうなか細い呟きは、結界が無くとも誰にも届くことはなかっただろう。
珍しく汗をかいた額を目元ごと腕で乱雑に拭ったJは、ほとんど最高速度で次の目的地へと走り抜けた。
ダリルが居るであろう研究棟まで、もう然程の距離はなかった。
学園の敷地内を駆けていた時――
「なんだこの形容し難い不定形極まりない揺らぎは! ファシーヌらしき物ともまた違った新種の波形ではないか!? ……何処だ! 何処にいるこの未知なる波形の発生源は!?」
突如として聞こえた大音声に、Jの心臓は縮み上がった。
焦りを抑えつけ、多少の無理を押してまで幾重にも結界を重ね掛けしたことで、何とか事なきを得た。
すんでのところで"第二の要警戒人物"から逃げ仰せたJは。
次に学園を訪れる際には、先に『殺傷力のない追尾型の催眠弾』を仕入れておく必要があると心に刻んだ。
現在JやKが使用している、呼び笛やクライミングロープに似た器具なども含めた"影の秘密道具"。
それらは、支給品とは別に、申請さえすれば使用可能な『各種の役立つ消耗品』なども取り揃えられていた。
手続きが面倒で普段は配布された道具のみを使用しているJだったが、背に腹は変えられない、といった所だろう。
(どいつもこいつも軽々しく隠匿見破ってんじゃねーぞ!)
内心での毒の純度を上げながら、外部に漏れないのを良い事に盛大な舌打ちを鳴らす憐れな影。
這々の体で研究棟の302号室に辿り着いたJは、安堵からか、あるいは蓄積した疲労からか――
窓枠に腰掛けようとして、つま先をコツンと壁にぶつけてしまった。
(…………嘘だろ!? 今日呪われてんのか……?)
普段ならあり得ないミス。
幸い音は微かなものだったが、静寂に包まれた室内では、そこにいた者の耳に届くには十分な大きさだった。
机に向かっていたダリルが、ふと顔を上げてそちらをを振り返る。
その顔には、戸惑いこそあれど恐怖の色などは滲んでいなかった。
「……いつもの、ひと?」
空間に向かって優しく問いかけられ、Jは息を潜めたまま立ち尽くす。
返事はない。姿も見えない。
それでもダリルは、常日頃アシェルに見せているような、柔らかい表情で微笑んだ。
「お疲れさま……なのかな。今日もおはなし、しますか?」
(……は? なんで話しかけてくんだよ……ビビれよそこは……)
Jが内心で毒づいている間に、ダリルは立ち上がり、手際よくティーカップを二つ用意し始めた。
コポコポと注がれる紅茶の香りが、殺伐としていたJの神経を解していく。
ダリルの小さな呟きと共に、湯気の立っていたそれから熱が引いていき、あっという間にアイスティーの出来上がりだ。
「よかったら、どうぞ。……姿は見せられないままでいいから」
そう言って、ダリルは机の端――Jがいる窓に近い場所――に、冷えたカップをそっと置いた。
Jは迷った。
影が任務中に(厳密には私用だが)、対象から茶を恵んでもらうなど言語道断だ。
だが、今のJは、Kに無視され、アシェルに見破られ、彼曰く"イカれた教師"に追われ……心身ともに限界だった。
(……一杯くらい、バチは当たんねえだろ)
Jは音もなく床に降りると、カップへと手を伸ばした。
指先が陶器の取っ手に触れた、その瞬間。
――フッ。
ダリルの目の前から、ティーカップが忽然と姿を消した。
Jの隠匿魔法が、手に触れた物体の光まで遮断したのだ。
「わ……! ふふっ、すごい……魔法みたいだね」
(魔法だよ!)
思わずツッコミの手が出してしまいそうになるのを堪えて、Jはよく冷えた紅茶を一口啜った。
程よい甘さのそれには、砂糖ではなく蜂蜜が入れられていた。
その優しさと心地好い冷たさが、Jの疲れ切った五臓六腑に染み渡った。
カサリ、と。
何もない空間から、一枚の紙片が机の上に現れる。
『 きょうハ つカレタ。
こうちャ アリガトナ。 』
たどたどしい文字で書かれた、飾り気のない本音。
それを見たダリルは、嬉しそうに目を細めてペンを取った。
『 おつかれさま。
アシェルくんのこと いつもありがとう。
ゆっくり やすんでね。 』
(……マジもんの女神かよ)
異様でありながらも穏やかな空気が流れる室内で、しばしの間、紙とペンを介した会話を続ける。
ダリルだけは、時折り言葉での返答をすることもあったが、それ以外はいつも通りの密談だった。
Jはもうダリルに疑いを向けた文面を見せることは無かった。
ただ、"アシェルを狙う脅威"があることを確認し合い、『変わらずに見守ってやってくれ』というような願いを託した。
「わたしも、出来る限り気を配ります。影さんも…………あまり無理はしないで……アシェルくんを守ってね」
『オウ』と一言だけ記した紙は、数秒ののち、それまでのやり取りと共に机の上から姿を消し去った。
Jは空になったカップを音もなくソーサーに戻すと、誰にも聞こえない声で礼を言う。
「……ごちそうさん」
目の前で消えたり現れたりするカップを見ては笑うダリルに、彼なりに最大限の感謝を込めて。
そうして影は、少しだけ軽くなった足取りで、夜の闇へと帰っていった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
これにて第四章も完結となり、次回の定期更新分からは
第五章◇中等部二年生編(後期)が始まります。
イデア攻略合宿から始まる新章。
恋も研究もどんどん進むといいのですが、果たして……。
パストデイが進化した新シリーズも挟まってきますので、一時休載になっていた『ダリルさん視点』の復活もお楽しみに♪
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【お知らせ】
第四章の完結祝い&エピローグとして、
本編の最新話にて
「画像なしの簡易版キャラ紹介(第四章版)」を投稿いたします。
・8月12日:定期外投稿(キャラ紹介)
・8月13日:定期更新【第五章◇一話】
今後も乙兄、そして着実にIQが下がり続けるアシェルくんを
どうぞよろしくお願いします(*^o^*)
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☆期間限定 夏休みイベント☆
週3回(火・木・土 20:00)更新中です!




