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夕方、喫茶店はちょうど客がおらず、ジャズの曲調が店内に雰囲気を醸し出す。
パルマーは、カウンターに相変わらず無愛想な表情でジッとしている。
ドアベルが鳴り、自然と視線を向けると、若干目が見開いた。
「どうも…」
来客者は最近よくここに訪れる若者ベンと、見るに耐えない格好した少女だった。
「…」
パルマーは、少女の姿に目が離せず固まってしまう。
目にはサングラス、汚れで暗い茶色に染まったワンピース。
この寒い時期に靴を履いておらず、泥が乾燥して足にこびりついている。
そして、何より2人とも鼻が曲がるほどの便所の匂いを発していた。
「悪いんだけど、シャワーを貸してくれない?」
ベンが顔色を伺いながら、ぎこちない笑みを浮かべる。
――従業員用のシャワールームに案内され、そこで2人は大腸菌まみれの体を洗い流し、パルマーが用意した服に着替えた。
ベンは、従業員用のワイシャツと黒ズボンに革ジャンを羽織り、ローラにはタートルネックにズボン、少し大きめのウールコートで店内に戻ってきた。
艾肯眼を晒せば、さすがに周りがパニックになるので、ローラには、道中買ったサングラスをかけてもらうよう事前に伝えている。
「悪いな、服まで用意してもらって…」
カウンターに立つパルマーに礼を言うが、彼は黙々と料理をトレイに盛り付け、テーブルに置く。
出されたものは、お子様ランチだった。
ベンは呆然と立ちすくみ、ローラもよだれを垂らしているうちに、続いてコーヒーとホットミルクも出された。
「冷めるぞ」
「 いや、でも…」
寡黙な彼が口を開き、ベンが躊躇っていると、ローラが早速と席に座ってフォークを手にした。
「いただきますッ」
彼女が夢中になって料理を頬張る様子に、パルマーは、一瞬目つきが優しくなった。
普段、強面な彼の意外な一面を垣間見たベンは、ローラの隣に座り、苦手なブラックコーヒーを口にする。
「オッサン、もしかして…」
「ローラだろ?」
浮上した疑惑を即答される。
「いつ気付いた?」
「店に入った時、この子を見て驚いたところから気になってはいたよ。
まあ、あんな姿をした子供を見たら、当然の反応なんだろうけど…。
服といい、お子様ランチといい、ひょっとして前にも会ったことがあるのかなって思ってさ。
確信はなかったけど…」
ベンが話している間、彼の視線は、ずっとローラに向いていた。
――2ヶ月ほど前。
リアムが連れてきて、よく飯を食わせたんだ。
よく食べる子でな。
俺が作った料理を美味しそうに食べるもんだから、つい嬉しくなっちまってな。
いつの間にか、毎日ローラが来るのを楽しみにしている自分がいたんだ。
だが、先月あたりからリアムがローラを連れて来なくなってな。
体調が悪くなったのかと心配していたら、お前が来た。
「――なるほどな。
だから初めて会った時…」
「なんだ?」
「いや、別に…」
初対面の印象が、あまりにも怖かったとは、さすがに言えなかったようだ。
「お前達が店に入ってきた時、一瞬、見間違いかと思ったが…、あのワンピースは、間違いようがなかった」
ローラが微笑みながら食べる様子をじっと見つめている。
「あのワンピースは、娘のお下がりだったんだ。
プレゼントした時なんて、すごく喜んでくれてな…。
なのに、あんなに元気だったローラが、どうしてこんなやつれた姿になって…」
パルマーは、一旦背を向け、再会した少女のあられもない姿に衝撃が強すぎてしまい、感情が高ぶって言葉が詰まる。
「おじちゃんッ」
ローラに声をかけられ、振り返るパルマー。
「美味しいッ」
無邪気な笑顔によって、パルマーの心は染み渡り、浄化されていった。
「ああ…、ああッ! デザートもあるからなッ」
これを機に、パルマーへの印象が一気に変わった。
ベンの目に映る彼は、人相の悪い店長でも、武器商人でもない、ただの娘思いの父親だった。
「――餞別だ、持ってけ」
パルマーから差し出されたのは、グロックとマガジン。
まるで、この後何が起こるのか想定しているかのようだった。
「いいのか?」
「ああ」
ベンは有り難く受け取り、上着の裏ポケットにしまう。
その間、パルマーは食事を終えた2人の食器を下げ、洗面台へと運んでいった。
「最後に、何であいつに直接聞かなかったんだ?
ローラのことを気にしてたんなら――」
「ここは“霧の都”、わかるだろ」
パルマーの返事に全てが詰まっていた。
「他人のプライベートに深入りは命取り、詮索しすぎれば身を滅ぼす。
この町で生きていくには、境界線を見極めなくちゃならない。
武器商人なら尚更だ。
武器を売れば、あとは客の自由。
使用用途まで商人が口を出すことはできない。
例え護身用であれ、狩りであってもな」
犯罪都市であるこの街では当たり前であり、日常茶飯事。
面倒事に少しでも関与すれば、自分の身も危い。
手を差し伸べれば巻き込まれるため、目の前に起こっている出来事を視界から消し、平然と日々を過ごさなくてはならない。
「そんな目で見るな」
パルマーに指摘され、ベンは軽く動揺する。
どうやら無意識で軽蔑の視線を送っていたようだ。
「悪い…」
ベンは謝り、パルマーは呆きれて溜息を吐く。
ベン自身もこのロンドンの暗黙のルールに従って生きてきたため、言われて当然である。
「…そろそろ行った方がいいんじゃないのか?
お互いのためにもな」
パルマーが店の外を見て言うと、いつの間にか辺りは暗く、街灯が光っていた。
このまま長居すれば、いずれリアムと鉢合わせになり、ベン達だけでなくパルマーも巻き込まれてしまう。
「そう、だな…、 それじゃ――」
気まずい空気から逃れるため、ベンが席を立つと、ローラも高い椅子からぴょんと身軽に降りた。
「ローラ」
「?」
ローラを呼び止め、パルマーがカウンターから出てきては、彼女の前に屈み込む。
「手を出せ」
言われた通りに両手を差し出すと、小さな飴玉を手渡された。
「駄賃だ」
「ありがとう、おじちゃんッ」
飴玉を握り、礼を言うローラ。
パルマーは、サングラス越しに見える艾肯眼には一切触れず、彼女に微笑む。
常に眉間にシを寄せていた鋭い目つきが柔らかくなり、 ふとローラの頭に右手を伸ばすが、寸前で思い留まる。
彼の中で葛藤が起こり、震える手をゆっくり下ろした。
「…行こうか」
ベンがドアベルを鳴らし、時間切れだと伝える。
ローラは彼に背を向け、ベンと共に夜の街へと消えていった。
気が緩んで鼻をすすり、息を震わせるパルマーを残して――。
店から離れ、人気の少ない夜道を歩く2人。
感傷に浸り、しばらく静寂の中をひたすら進む。
「良かったのか? これで…」
「うん、だって――」
ドスッ。
その時、ローラが立ち止まり、呆然と遠くを見つめ始めた。
「どうし――ッ!?」
それは、あまりにも突然の出来事だった。
一瞬、薄暗くて状況が把握できなかったが、よく見ると彼女の右胸部から1本の矢が突き出ていたのだ。
ローラは、ゆっくり胸の状態を確認すると、矢の周りが赤く染まって生地がにじんでいく。
次第に口から血が垂れて行き、膝が地についた。
「ローラッ!!」
ベンは慌ててローラに寄ると、背中に瞬速で何かが通過していった感覚があった。
暗闇から狙撃され、身の危険を悟ると疳之虫が反応し、失われし右腕から黒旗が顕現した。
黒生地が拡大され、盾を展開し、半身になって守る。
しかし、追撃の矢がそれを突き刺し、そのうちの1本が貫通して、ベンの鼻筋をかすっていった。
やがて矢の雨は止み、足音がこちらに近づいてきた。
「ご機嫌よう、ベン」
元凶が、彼らの前に姿を現したのだった。




