(二)
大陸北側に位置するユマリカ国。海岸線沿いのわずかな平地以外は、どこへ行っても山地が続く。小柄な少年が丸くした猫背の身体を揺らしながら、布の鞄を肩にかけ息をきらして坂を上っていく。小高い峠を一つ越すとふもとに集落が見えてくる。彼にとっては見慣れた景色だ。集落入口から少し入った家のドアをたたくと、中から恰幅のいい中年女性が顔をのぞかせる。
「あら、エズナくんじゃない」
女性は勢いよく扉を開け、彼の腕をつかんだ。
「お久しぶりです」
エズナは恥ずかしそうにうつむいたまま、小さく会釈をする。
「きょうロクサムさんは?」と言って、女性はあたりを見回す。
「先生は、亡くなりました」
彼はぼそっと答えた。
「そう……亡くなられたの……」
女性は驚きを隠すように手を口に当てた。
「いつのこと?」
「ことしの初め頃、旅先で倒れて……」
「そうだったの。それは大変だったわね。エズナくんは十五だったかしら?」
「いえ、十六になりました」
「じゃあいまはひとりで?」
「はい」と強く吐き出すように答えて、言葉を続ける。
「きょうも、大丈夫ですか?」
「ああ、『コト』ね。大丈夫よ、さあ入って」
女性はエズナを家の中へと招き入れた。
エズナは集コト師を職業としている。コトとは言ってみれば物語のことである。さまざまな地方で起こった出来事を聞いて回り、それをまとめてコト屋に持ち込む。コト屋はそれを冊子にまとめ、コト売り屋が地方を回りコト書を売り歩く。エズナもたまに引き合いのあるコト書を何冊か、鞄の奥のほうに押し入れ持ち歩いている。面白いコトがあれば、周辺の国々へも三月もしないうちに伝わっていく。コト師としての経験は浅いものの、エズナの書く文章はコト屋界隈から一定の評価を得ている。
エズナが生まれ育ったのは、ユマリカの中でもかなり山奥に入った小さな村だった。幼い頃に患ったはやり病が原因で、顔全体に赤いざらざらの残るエズナは、小さい頃からからかわれ、他人の輪に入ることができず、いつも背中を丸め一人絵を描いていた。弟からさえも敬遠されていたが、農業を営んでいる両親はいつもエズナのことを気にかけていた。
十四歳になった頃、将来を心配した両親は、時折村を訪れていた集コト師のロクサムにエズナを託すことに決めた。最初は預かることに対し困惑していたロクサムではあったが、エズナの境遇に同情し、弟子として自らの旅に同行させることを決めた。
ロクサムは主にユマリカ国内を旅しながらコトを収集していたが、何度か国境を越え隣国に行くこともあった。ロクサムは主に人と人の繋がりを感じさせるコトを集めており、人気の高い業に関するコトは決して書こうとはしなかった。
エズナが十六歳になった今年、ロクサムは旅先で突然倒れると、エズナに跡を継ぎ、旅を続けるよう言い残し、わずか二日後にこの世を去っていった。
そこからエズナは一人、各地に散らばるロクサムとつながりを持ったコト集めを手伝ってくれている村人のもとを回っていた。しかしエズナの内気な性格はいまだ変わることなく、一部村人からは距離を断られることもあった。
この日、国境近くの町でコト集めを終えたエズナは、かつてロクサムに連れられ一度訪れたことのあるエランド国へ向かっていた。エランドにある集コト屋が、ユマリカのコトを求めているという話を聞いたからだ。
国境での慣れない検問に時間を取られてしまい、夕暮れの山道をぬかるみに足を取られながら先を急いでいた。
「早く集落につかないとあいつらが出てきてしまう」
彼はつぶやき、まだ少年のあどけなさが残る顔に不安の表情を浮かべた。ロクサムも暗闇には必要以上に警戒を払い、日没後は決して外に出ようとはしなかった。それはエズナもきつく言い聞かせられていたことであった。
崖に沿って続く道が、緑の葉が生い茂る木々に覆い隠され始めると、辺りは真っ暗になる。遠くから音が聞こえた。徐々に近づいてくるのはおそらく馬車であろう。左右に激しく揺れる馬車の明かりが視界に入った。エズナは立ち止まり、馬車にぶつからないよう太い木の幹に背中をつける。
二頭の馬が必死の形相ででこぼこの道を蹴散らしている。エズナの眼にもその姿がはっきり見えた頃、深い轍に車輪をとられ斜めになった車体を引きずるようにエズナの方へ向かってきた。
「うわあ!」と叫び、とっさに木の裏に身を隠ししがみつく。
馬車はエズナの隠れた木に勢いよくぶつかり、葉に溜まった豪雨を降らせると、なんとか態勢を立て直した。衝撃に飛ばされたエズナは、崖から落ちまいと必死に飛び出た枝につかまった。枝は弓のようにしなるとあっけなく折れ、小さな身体は崖を転がり落ちていった。




