(一)
業と戦うもの、そこには悲劇しか存在しない。
あたりに夜がおとずれると、山あいの集落がすこし騒がしくなった。
「まだ帰ってこないのか?」
隙間風の吹き込む家屋の中で、中年の農夫が不安な様子で大きな声を上げた。
「夕方には帰ってくると言っていたんですけど・・・」
妻らしき女性は視線が定まらない様子で答える。
「ちょっと様子を見てくる。お前は家から出るな」
農夫はたいまつに火をつけると、暗闇へ飛び出した。
集落の間を続く細い土の道は、ところどころぬかるんでいる。
「イジカ!イジカ!」
叫びながら小走りで先を急ぐ農夫は、馬車のわだちに足を取られ倒れこんだ。
道沿いの家の板戸が開き明かりが漏れる。
「こんな時間にどうした?」
顔をのぞかせた女が声をかける。
「娘が、イジカがまだ帰ってこないんです」
「なんだって!? 業が来るよ。業が」
農夫はその言葉を聞き、慌てて立ち上がった。
集落の外れまで来ると、呼吸音以外は何も聞こえなかった。森の方向に火を向けると、かすかな叫び声が耳をかすめた。
「イジカ…?」
必死にたいまつを左右に振る。森の暗がりに淡い青色が揺れるのが見えた。
「イジカか?」
草をかき分け森に足を踏み入れると、たいまつの光が届くちょうど端のあたりで、若い女が白目をむき、口から泡を吹いている。
「イジカ!」
農夫は駆け寄り女の身体を抱き上げる。女はすでに意識はなく、ただ小さなうめき声をあげていた。強く抱きしめ続ける背後から二メートルほどの黒い影がゆらりと近づき、農夫の身体を侵していった。




