4話:アミスラ神殿
村長が地面に膝をつき頭を下げた。
「頭を上げてください。罰を与えるのは私達の仕事ではありません。帝国騎士団はもう去ったのですか?」
エミーリアが微笑みを浮かべ、地面に膝を付けると村長の肩に手を置いた。
その姿、その言葉は確かに聖女そのものだ。
見れば、村人達が広場に集まりつつあった。
「おお……流石は聖女様」
「慈悲深き御方……護衛の方すらも神々しく見えますわ」
「護衛の人、良く見れば凄い美人だぞ……拝んどこ」
村人達が口々にエミーリアとミネルヴァを褒めたたえており、ミネルヴァはなんだか気恥ずかしかった。
なんせ天界にいる時は、自分の周りには同じ立場である神々しかおらず、下界に降りるのは今回が初めてだ。こんな風に性的な目線だけでなく純粋に褒められる事に彼女は慣れていなかった。
「帝国騎士団の連中は、村の狩人を無理矢理連れてアミスラ神殿へと……」
「アミスラ神殿……最も古いアーミス教の神殿で……聖地指定されている場所のはずです」
「おそらく……破壊しに行ったのかと」
村長の声が震えていた。聖地指定とは、エミーリアが所属しているオルデン教会が定めた物だ。その土地は、宗教が力を持っていた時代から大切に保護されてきたものだ。
村長がうなだれたまま言葉を続けた。
「聖獣様が守っていらっしゃるはずですが……帝国騎士団は最新の兵器と、村の狩人を囮におそらく聖獣様すらも殺そうと……」
「……止めないと。アミスラ神殿は、神歴前期建築の結晶です。何よりあそこは……皆さんの心のよりどころだったはずです」
エミーリアの言葉に村長は縮こまった。
「それは……」
神の家たる神殿を人間自らが破壊するなど、ミネルヴァには考えられない出来事だった。如何に神々が下界を省みていなかったかが良く分かる。もし、見ていれば……こんな事にはならないはずだ。
「元々、我々はアーミス教の守り手で先祖代々この森と神殿を守ってきました……ですが、最近はアーミス様の加護も薄れ、次第に神殿から足は遠のいてしまいました。これはきっとそれを見ていたアーミス様からの罰なのです……祈らないのならもうお前達には必要ないだろうと……」
加護とは、神から祈りと信仰のたいかとして気紛れに人へと与えられる祝福だ。それぞれの神によって効果が違うが、アーミスの加護の場合は狩猟能力が向上したり、村周辺の自然が少し豊かになったりする。
村長の言葉にミネルヴァは一歩前に出て、否定した。
「それは違うぞ、村長よ。神は決して人を罰したりはしない。君達の信仰が薄れたのは加護が無くなったからだろ? それはつまり……神の怠惰ゆえの結果だ。だから、嘆く必要はない恐れる必要はない。これは、神でも何でも無くただただ人間同士の営みなだけだ。神が介在する余地はない」
「貴女様は……?」
ミネルヴァの言葉に老人が身体を震わせた。
「……ただの護衛だ」
ミネルヴァは短くそう答えると、エミーリアへと向き、手を差し出した。
「行こう、エミーリア。神殿を破壊される前に止めないと」
「ええ、行きましょうミネルヴァ。頼りにしています」
その手を取ったエミーリアの眼には、決意と覚悟が秘められているのがミネルヴァには良く分かった。
二人が森の中を進むと、前方に巨大な神殿が見えた。しかし、ここ最近は人の手が入っていないせいか神殿に植物が絡みつき、まるで森と一体化しているような姿だった。
「騎士達がいますね。どうも神殿の扉を開けるのに苦労しているようです」
「ああ。あそこに囚われているのは狩人か?」
茂みに隠れている二人の前方。神殿の手前には広場があり、騎士達が十数人、神殿の扉を開けようとアレコレ試しているが、扉はビクともしなかった。
広場の中央には、縛られたアミスラ村の狩人らしき姿の青年達が座っていた。
「貴様ら!! さっさと扉の開け方を吐け!!」
「だから、俺らは知らねえって! 中に入った事すらないんだよ!」
「嘘を付け! 入った事は無くても、開け方は知っているはずだ!」
尋問していた騎士は苛立ち、ついに一人一人を蹴り始めた。
「吐け! 吐け!」
その光景を見たエミーリアが飛びだそうとするのをミネルヴァが抑えた。
「助けないと!!」
「分かってる。だが流石にあの人数は私でもすぐに制圧は難しい……万が一狩人達を人質にされたら大変だ」
「……すみません、そこまで考えていませんでした」
しゅんとうなだれたエミーリアの頭をぽんぽんと優しく叩きながらミネルヴァは前方を注視する。
「あいつら……爆薬仕掛けているな」
「ななな、なんという罰当たりな……許してはおけぬ……こうなれば聖女のみに伝承されるというセイント神拳を使う時が……」
「ふむエミーリアは武術を嗜んでいるのか」
感心したかのように頷くミネルヴァを見て、エミーリアは苦笑いを浮かべた。
「あ、いえ……なんかすみません」
「ん? 何も謝る事はないぞ。だが、やはり戦力が2人に増えたところで、危険な事には変わらないな」
「いや、そういう事じゃなくて……あ、ミネルヴァ様見て下さい!」
一人の騎士によって爆薬が着火された。次の瞬間に爆発が起き、爆風が周りの木々を揺らす。
同時に、何かが崩れる音と――
「ギャオオオ!!」
咆吼が響き渡った。
「っ! ミネルヴァ様! これは!?」
「ん? この鳴き声は……」
爆薬によって崩れた神殿の扉から大きな影が飛び出してきた。
「なんだこいつは!! 迎撃しろ!!」
それを端的に表現すると巨大な熊だった。銀色の毛皮を纏い、その眼は殺意によって赤く染まっている。騎士達がボーガンを構え、一斉に放つが全て毛皮に弾かれた。
銀熊が森の木々の幹よりも太い腕を薙いだ。それだけでまるで紙くずのように騎士達が吹き飛ばされていく。
「なにあれ!! 可愛い!!」
「そうか……?」
どう見ても凶暴な獣だが……。と思ったミネルヴァだが、口には出さなかった。
「あれが聖獣なんですね!」
「ああ。聖獣というか……」
銀熊が大暴れしているうちに、騎士達はバラバラと森の中へと走り去っていく。
「あ、騎士達が逃げましたね」
「よし。では行こうか」
「え? あ、ミネルヴァ様、危険ですって!」
ミネルヴァがスタスタと茂みから出て、神殿へと向かう。その後ろをエミーリアは慌てて追いかけた。
ミネルヴァは広場の中央の狩人達へと声を掛けた。騎士達は銀熊にやられたが、彼ら狩人はなぜか無事だった。
「怪我はないか? いや蹴られていたか。災難だったな」
「あああ、あんた後ろに聖獣が!!」
「ミネルヴァ様!」
エミーリアの声でミネルヴァが振り返ると、目の前で銀熊が仁王立ちし両腕を振り上げていた。その目は殺意と怒りで濁っている。
「久しいなカリスト」
しかしミネルヴァの声で、銀熊の目が赤から青に変わり――
「ぎゃおん!!」
銀熊はごろんと背後に倒れるとお腹をミネルヴァへと晒した。
「馬鹿な!? あれは何百年もこの森と神殿を守る聖獣……それが……服従のポーズを取っただと!?」
「よしよし……デカくなったなカリスト。元気で良かった」
「ミネルヴァ様……?」
「ああ……こいつは」
ミネルヴァはこの銀熊の正体を知っていた。
あれは300年ほど前だろう。まだミネルヴァが天界にいた頃、アーミスがどこぞから子熊を拾ってきたのだ。アーミスはそれを大層可愛がったのだが、可愛がるほどに子熊はアーミスの神力を蓄え、どんどん身体が大きくなっていった。
大きいのは可愛くないと言ってアーミスはその熊を射殺そうとしたので、ミネルヴァがこっそり保護して下界へと避難させたのだ。
どうやら下界に降りた後もアーミスの匂いを感じてこの神殿に辿り着いたのだろう。いつか……アーミスが迎えに来ると信じて。
「カリストちゃん健気……なんかその話だけ聞くとアーミス様がすごい性格悪い女神に聞こえますね……」
エミーリアが目を細めて話を聞いていたが、ついそう口に出してしまった。
「ちょっと飽き性なだけだぞ!」
「はあ……まあミネルヴァ様がそう仰るなら」
「ぎゃおーん!」
ミネルヴァへと頬ずりするカリストが甘えたような声を出している。
「あの……貴女達は……?」
もはや何が何やらさっぱり分からない狩人達だった。
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