2話 越前国の妖
「徳姫様ー!」
そんな空気を一掃する様に、甲高くも耳障りの良い可愛らしい声が響いた。その声とともに妖に交じり抱き着いてきた華奢な少女を徳は抱き留める。
「鈴ちゃんっ!」
「徳姫様!お会いしたかったですっ!」
大輪の花の様な満面の笑みを浮かべる鈴はとても愛らしく、もはや後光でも差しているのかというほど眩しい。
「徳の友達!」
「とく!私もぎゅーして!」
「徳!俺もとくすき!」
「こら!お前ら!自分らの仕事はどうしたのだ!それに鈴!久しぶりだからと言って…!うらやましいぞっ!」
抱き合っている徳と鈴に抱き着くようにして妖が群がる。それをいさめようと、徳が口を開けたが、千代の悔しがるような声が響くほうが早かった。徳も後を追うように声をかける。
「ほら、みんな仕事に戻って…――。」
「私の方が徳すき!」
「僕の方が徳好き!」
しかし、妖たちは気にも留めず、しょうもない喧嘩を始めだした。徳のこめかみがぴくぴくと動く。
「こら、自分の持ち場はどうしたの…?」
「私の方がとくだいすき!」
「ぼくだって…」
「…もうっ!喧嘩は止めっ!!それに、自分の仕事はちゃんとするっ!」
「「「…はーい…。」」」
徳の声に反応し、妖たちは静かに返事をした。しょんぼりとした妖たちを見ると悪いことをしたような気持になってしまう。しかし、これ以上仕事をさぼらせるわけにもいかないし、信繁らに迷惑をかけたくない徳はいつものように妖たちへ注意をした。しかし徳はハッとする。目を見開いた信繁と目が合ったからだ。
「…。」
「…あ、あはは…。」
徳は先ほどとは違った意味で焦る。しかし、徳の心境とは裏腹に、信繁は面白いものを見たとでも言うように破顔した後、妖たちへ向き直った。
「送ってくれてありがとう。助かった。また会おう。」
「………とくの旦那も好きー!」
「徳の旦那優しいー!」
「とくはこわーい!!」
「徳怒ってるー!にげろー!」
(――ちょっ!…何ですってっ!?)
しょんぼりした様子から一転、笑顔で徳に対して失礼な言葉を残しながら帰っていく妖たちだった。
◇◇◇
「しかし、ずいぶん多くの妖が集まったな。いつもああなのか?」
「そ、それは本当にすいません…。なにせ妖たちは自身の感情に忠実なので…。」
敦賀城の客間へ3人を通すと、やはり先ほどの百鬼夜行もどきの話となった。徳は申し訳なさでいっぱいになる。
「いや、それは良い…。目立たないよう向かっていたが、むしろ姫の日常を垣間見れた気もするからな。」
「私も結構楽しかったですよ!目立っちゃってどうしようかとは思いましたけど。」
「ははっ!確かに、結構鈴楽しんでたよね。というか、順応が早かった。」
「はいっ!なんだか不思議な光景でしたが、ワクワクしました!」
「…それなら良かったのですけど…。…ってか、なんで信繁様達が来ることみんな知ってたの…?」
そう。城の人々は本日信繁らが来ることを知ってはいたが、城下の人々は知らなかったはずだ。徳は客間で一緒にくつろいでいる妖狐の弥彦へ尋ねた。信繁らが城へ着いたことを教えてくれたのは、小鳥の妖を連れたこの弥彦だった。
「――え?徳が城で話したこととかは城下のみんなが知ってるよ?」
「え?」
「え?だって、いろんな妖がこの城には居るだろう?その妖が城下の妖に伝えて、城下の妖が人間へ伝えるんだもん。徳の旦那がそろそろ越前国へ着くってみんな楽しみにしてたんだよ。」
「えぇぇええ!?嘘でしょっ!?…話したこと全部っ!?」
「普通のどうでもいい会話とか、絶対言っちゃダメな秘密の話ならみんな伝えないけど、あ、でも、徳が楽しみで最近そわそわしてるってことは国中の人が知ってたかも…。」
(…っ嘘でしょ嘘でしょ嘘だと言ってーっ!!私のプライバシーはどこ!?)
徳は恥ずかしすぎて跪いたまま勢いよく顔を畳へ伏した。
(嘘でしょっ!?だからこの前城下へ遊びに行った時、みんなが暖かいまなざしで見てきたのっ!?)
徳は恥ずかしさで目が回る。そして今のこの状況も恥ずかしく気まずい。
顔を挙げるタイミングが分からず、むしろ永久的に顔を挙げたくないと、非現実的な思考回路になっていた徳は、髪の毛に触れられる感触で顔を横に向ける。そこには、嬉しそうで、尚且つ色香が漂うような表情で徳を見つめる信繁の顔があった。
「何だ?楽しみにしてくれていたのか?」
「…っ!」
「あー、そういうの俺らの居ない所でやってくれます?」
「そうですぞ。というか、まだ婚姻の儀を終えていないのですから、まだ信繁殿は旦那様ではなく、婚約者様では?」
白けた目で見てくる猿飛兄妹と、笑顔で背後からゴゴゴと黒い何かを出している鈴に、徳は瞬時に信繁から離れた。
「あ…、す、鈴ちゃん…。」
「信繁様。婚姻の儀を終えていないのにも関わらず、徳姫様に近寄り過ぎです…。」
「鈴も姫に抱き着いていただろう。」
「私は女同士の友情です。それぐらい許せなくては、心優しい徳姫様の旦那様としては相応しくありませんよ。」
「…。」
「…。」
「す、鈴ちゃーん…。」
噴火の一件があって以来、鈴は信繁のことは吹っ切れたと徳へ何度も言ってきた。そして、日に日になぜか徳をめぐって信繁と取り合いをするようになったのだ。佐助を見ると掌を天井に向け、ため息をはいて首を左右に振っている。千代は鈴へ肩入れする様で「そうだそうだー!」と合いの手を入れていた。
「でもさぁ、吉継様もよく許したよね。吉継様がいない時期に俺らを招待するなんて。」
徳の取り合いという、徳にとっては気まずさしかない睨み合いをしている信繁と鈴を無視して、佐助がまっとうな会話を振ってきた。徳はそれに良かれと便乗する。
「そうなんです!父上様はまだ秀吉様の横からは離れられないとのことだったんですけど、父上様が暇をもらう時期を待っていたら信繁様の暇の時期が過ぎてしまいますし…。鈴ちゃんがご家族一緒に越前に来ることも考えたら今招待しても良いかなって…。」
「吉継すごい泣いてたよ。」
「だから、僕らが信繁のことちゃんと見てろよって言ってた。」
「「「…。」」」
「きゃっ」
「わっ」
弥彦の言葉に応じるように一つ目小僧の菊介が鈴の横に急に現れた。驚いた鈴が横に座っていた佐助にぶつかったが、それを瞬時に佐助は受け止める。流石忍。反射神経が良い。その忍の妹、向かい側に座っていた千代はいつものように指摘はせずとも菊介を睨みつけていた。菊介が冷や汗を流す。
「ご…、ごめんね。僕、一つ目小僧の菊介。」
「あ…、あぁ…。で、俺のことをちゃんと見てろって?」
「うん。徳に手を出したら許さんぞって言ってた。」
「…はぁ…、それか…。……俺のもとにも文が届いた…。」
信繁が両手を挙げ、ため息を吐きながら答えた。
「え?父上様から?」
「すんごい内容の呪いの矢文みたいなのが届いたよ。主様の部屋に刺さった矢文にもびっくりしたけど、その内容も凄かった…。ってか、あれ誰が射ったの?まじ、俺あんな気配無く矢を射られるの初めてすぎて自尊心が軽く傷つけられたんだけど…。」
(――ち…、父上様ー!?何してんのっ!?)
「…ご、…ごめんなさい…。」
徳は本日何度目かの謝罪を送った。
◇
「ほっ…、本当にいいのですか!?」
鈴が顔を赤らめながら、徳と千代へ尋ねる。
「え?…良いも何も…、鈴ちゃんが嫌なら別でもいいけど…。」
「そ、そういうことではなく…――、」
カポーーーン
「と…、徳姫様…っ、お美しいっ…!」
「へ?」
「そうなのですっ!徳姫様こそ、真の造形美!このお身体も芸術なのですっ!」
「恥ずかしいからやめてっ!」
現在、女子らは敦賀城自慢の風呂場に居た。いつもは妖らも共に風呂に入るのだが、本日はお客様がお見えだ。許可したのは渋滞にならないような小妖怪のみ。そして徳、千代、鈴の3人だ。
相変わらず風呂場の湯船には木筒からちょろちょろと流れる源泉かけ流しの温泉が湯気を上げながらひたひたに溜まっており。独特の香りが辺りを充満する。しかし、来客者である鈴はその自慢の温泉には目もくれない。
「徳姫様…、どうしてそうもお美しいのですか…?」
鈴は顔を赤らめ、温泉ではなく、恍惚とした表情で徳を見つめていた。
「…え…、何でって言われても…。」
「私は着物の上からでも分かっておりましたっ!徳姫様が豊満な御胸と、魅力的な御腰をお持ちだということは…っ!ですがっ!このように一糸纏わぬ姿がこうも美しいとは…っ!」
そう、徳はさすが悪役令嬢的と言われただけあって、男を惑わす悪女にでもなれそうなエロティックな身体をしているのだ。この世界にやってくる前から割とスタイルは良かったが、日に日にその身体は成熟度を増し、魅惑的な体型となっていた。そう言う鈴はザ・ヒロインと言うべき、大きすぎず、小さすぎず、清純な乙女を絵に描いたような体型だ。
「鈴もよい身体をしているではないか…。それなのに、それなのに…。」
千代は徳と一つしか歳は変わらないが、胸は鈴よりもない。真っ平とは言わないが、近いものがある。
「何をどうすれば乳が育つのか、さっぱり分からぬ…。」
「千代っ!落ち込まないでっ…。」
風呂の隅で「の」の字を書く千代と、その横で千代を真似る小妖怪。女性陣が入っている間、風呂場はだいぶ賑やかだった。
◇
「お風呂はどうでした?」
「…あぁ、最高だった…。あれに毎日入っていれば、蒸し風呂だけだと確かに物足りんだろうな。」
「信繁様が作ってくれた湯も、いつも気持ちよかったですよ?」
「ははっ…。懐かしいな。…まだ寝はしないか?少し話そう。」
女性陣の風呂の後は夕食を食べ、男性陣の風呂はその後だった。信繁と佐助は別が良いと言っていたが、今は佐助が入っているのだろうか。縁側で夜空を見つめる信繁は、髪が濡れ頬はやや火照っており、妙に色っぽい。満月の明るい光が信繁の髪の毛をキラキラと輝かせている。そういえば、初めて出会った日もとても明るい満月の夜だった。
徳は出会った日を思い出しながら、信繁に誘われるまま横に腰を下ろした。
「この城はだいぶ賑やかだな。」
「え…、いや、その、…そうですよね…。うるさいですか?」
「いや。笑い声や子どもの走り回るような音に悪い気はしないさ。」
日中にぎやかだった敦賀城も今はシーンと静まり返っている。妖たちも人間に倣って夜は静かに過ごしてくれるのだ。
ホトトギスの鳴き声が静かな夏夜に響き渡る。ザワザワと木々が葉を揺らし、風が心地よい。
「婚姻の儀を済ませれば、俺はここに住むんだな…。」
「…。」
そう改めて言われると徳は照れる。目の前の月夜に輝く美丈夫が自身の夫になると考えると、胸のドキドキが止まらない。徳は視線を足元に逸らす。すると、自身の手に、熱く火照った手が重なった。
「…姫が、俺らが来るのを楽しみにしていたと言っていたが…、それは俺だってそうだ。」
「の、信繁様…。」
「文を貰う度、俺がどれほど姫に会って触れたかったか…、あんたは分かるまい…。」
「…っ…――、」
信繁の手が徳の耳元に添えられる。お互いの視線が絡み合い、二人の距離が近づく。傾いた信繁の顔に、徳が瞳を閉じたその時、――信繁が不意に空を見上げた。
「…………姫、…あれはなんだ?」
「え…?」
(――げっ…!)
「……デイダラボッチ…。」
徳が名を呼ぶと、その山よりも大きな黒い塊はズズズと歩き始めた。
妖総奉行所が敦賀城に置かれてから、越前国には妖の転入が多く増えた。彼は最近引っ越してきた妖の中の一人で、好き好んで越前の夜の警備を行ってくれているのだ。そんな彼が徳と信繁を凝視していた。いつも止まることなく練り歩いている彼が。
「…はぁ…、手を出すなと言われたが、接吻さえもろくに出来んとはな。」
「なっ!?」
悪びれもなく言い放つ信繁に、先ほどの出来事を思い出して徳は顔を真っ赤にして言葉を失う。
「接吻もダメだよ。僕らは見えなくても徳の傍に居るから、すぐに吉継の耳に入っちゃうよ。」
「うわぁっ!」
注意散漫になっていた徳は、久しぶりに菊介の急な登場に驚いた。先ほどからドキドキと心臓がうるさいのは何が理由か。
「信繁の所にも文が届いたって言ってたのに…。」
「届いたが、それを了承したとは言っていない。」
「なっ…!…信繁…、悪い奴だ…。」
「悪い奴って…。まだ接吻以上のことはするつもりないぞ…。」
「ま、まだってっ…、信繁様…!?」
「…はぁ…、本当に姫の周りの妖は姫のことが大好きなんだな…。」
「そりゃそうだよ。徳は陽の妖の中でも群を抜いて妖力が高いんだから。」
「…え?…陽の妖?」
「陽の妖。」
「…何それ?」
「え…?…徳知らないの…?」
「え…?何が…?」
「…?」
三人の間に疑問符がいくつも沸き上がった。




