8話 不穏
鳥のさえずりと共に徳は目が覚めた。気づけば寝てしまっていたようだ。起きた時は障子窓の前の文机に、腕を枕にして突っ伏した状態だった。
誰かが障子窓を閉じ、徳の肩に夜着をかけてくれたようだ。部屋の中は暖かいし、寝冷えもしていない。
「あ…、おはようございます。志野さん。」
廊下へ出ると、志野が敷地内の掃除をしているところだった。
「おはようございます。徳姫様。昨夜はあまり眠れなかったようでしたが、大丈夫ですか?」
「え?」
「わたくし共は気づいてしまいますよ。夜分に伺うのもご無礼かと思い、昨夜は声をかけませんでしたが…。」
「そんな、ごめんなさい、心配かけちゃって…。ちょっと、考え事してて…。そうだ、どなたか夜着を掛けてくれたみたいで、ありがとうございます。」
「いいのですよ、それぐらい。今日は寝不足でしょうし、無理はなさらないでくださいね。」
志野と話をしていると、どこからともなく三毛猫が徳の足もとにすり寄ってきた。
にゃー
「あれ?猫…?」
トン
トン
徳が猫の存在に気づくと同時に、廊下の端から達磨坊主が例の如く、両足でジャンプをしながら徳のもとへやってきた。腹には文字が浮かんでいる。
『心配』
「ふふ。厘も達磨坊主も心配しているみたいですね。」
「え!?ごめんね、ありがとう…。えーっと、厘さんは…。」
「ああ、その猫ですよ。日中はほとんど猫の姿なのです。」
にゃー
志野に紹介された三毛猫が徳をジーっと見つめている。確かにボーッとしている感じが厘っぽい。っぽいというか本人なのだが――。蛇に猫に達磨。この屋敷の妖も結構個性的だ。
「あら、お早い。」
徳らが庭に集まっていると、志野が表門の方を眺め呟いた。
「…?」
「信繁様達がお見えの様です。出迎えて参りますね。」
信繁という名を聞いただけで徳は一瞬ドキッとしてしまう。小走りで去っていく志野を眺めていると、徳の手を達磨坊主が握り、三毛猫姿の厘が徳の足の周りをすりすりと回っている。
『大丈夫?』
「大丈夫。ありがとう。」
表情には何も出ていないはずだが、妖達には何か気づくものがあるのだろう。心配そうな顔の達磨坊主の頭を撫で、厘を抱きかかえる。徳は自分に活を入れ志野へ続いて表門へ移動した。
「おはようございます、信繁様、佐助さん。」
「おはよう姫さん。」
「おはよう、大谷の姫。昨夜は大事なかったか?」
「はい。ぐっすり眠れました。」
「…。」
「…?」
信繁に見つめられ思わず視線を下げた徳だが、信繁の手が徳の瞳の下に触れ、驚いて顔をあげた。
「わ!なんですか!?」
「…嘘だな。隈が出来ているぞ。何かあったか?」
「…っ。」
こういうことには鋭い信繁に徳は反応に困る。それに、ナチュラルに触れてくるのにもどうしたもんか。本人は無意識だろうが、こっちは嫌でも意識してしまう。
(…うん。心を鎮めて無になるしかない。)
「あのー…。」
その時、門の方から可愛らしい声がかかった。
「あ、おはよう鈴。」
佐助が一番に声を抱える。徳は焦って信繁から距離を取り、左右を見回す。志野も達磨坊主も気づけばいなくなっていた。いや、達磨坊主は居るにはいるが、半透明になっている。厘は未だ徳の腕の中だ。
『大丈夫』
『人間見えない』
達磨坊主の文字を見て一安心した徳は、なぜだか入ってこない鈴に声をかける。鈴はきょろきょろと周りを見渡して敷地内に入ってきた。
「おはようございます。徳姫様。」
「おはよう、鈴ちゃん。」
朝から花開いたようにまぶしい笑顔を見せる鈴に、徳も自然と笑顔になる。やはり、鈴は無邪気でかわいらしい。毒心なんて無縁の子だ。この子が徳や家族に害をなすとは考えられにくいが、相手は小説のヒロインで、自身は悪役令嬢的ポジションだ。何が起きるか分からないのが正直なところだ。
「徳姫様、昨夜は大丈夫でしたか?」
「ふふ。信繁様と同じようなこと言うんだね。大丈夫だよ。ありがとう。」
「えっ、いや、そんな…。」
照れた表情を見せる鈴に、徳は微笑む。
「あの、朝餉を持ってまいりました。お口に合うかは分かりませんが、召し上がっていただければと…。」
「ありがとう、鈴ちゃん。気を使わせちゃってごめんね。」
「いえ!私ができることと言えば限られてますので…。」
鈴は顔を朱に染めてあたふたする。その様子もかわいらしい。
「えーっと、あのー…、その、…信繁様達は、昨日この屋敷に泊まったのですか…?」
心配そうに尋ねてくる鈴に徳は焦った。
「ま!まさか!信繁様達も今来たばかりだよ!」
「あ、…そうなんですね。…でも、それでは徳姫様やはり、昨日はお一人でこの屋敷に…?」
鈴が一瞬ほっとした表情を見せたが、その後再び心配そうな目で徳を見つめた。
「いや、実はこのお屋敷を管理している人が、鈴ちゃん達が帰った後来てくれたの。昨晩はその人たちと過ごしたから、大丈夫だよ。」
「そうなんですね!良かった…、徳姫様がお一人にならなくて…。では、しばらくはその方々にお世話になるのですか?」
「うん、そのつもり。…鈴ちゃんはこの後お城?」
あまり志野たちのことを深堀されてはいけないと思い、徳は違う話題を出す。
「はい。暮れまでには帰れると思うのですが、あの…、帰りも寄ってよろしいですか?」
鈴が上目遣いで徳へ尋ねる。自然にこれができるのだからすごい。あざとさなど皆無なのだ。本当に、素でやってて様になっている。
「別に、私は大歓迎だけど…、それだと鈴ちゃんが帰り遅くなっちゃうよ?」
「いえ!私のことは気にしないでください!」
「いや、鈴も自分のことを心配しろ。お前も女子なのだから。」
話を静かに聞いていた信繁が、鈴の発言を聞いて口を出してきた。
「大丈夫ですよ。徳姫様ほど美しい容姿ではないので。」
「そういうことを言っているんじゃないんだ…。」
信繁に心配され、頬を赤らめながら鈴が反論する。言い合う二人を、徳は笑顔で眺めた。
(大丈夫。大丈夫。)
「そろそろ行かなきゃですよ。主様ー。」
「…あぁ。そんな時間か。」
「あ、私もそろそろ…。」
「はい。皆さま心配していただいてありがとうございます。わざわざすいませんでした…。――では、皆さま、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
目的地が同じ3人を、徳は門を出て見送った。表情を緩めて鈴と話をする信繁。やはりお似合いだ。
徳は気合を入れなおす。
(くよくよするんじゃない!家族が出来ただけで充分なんだから、自分のやるべきことをやらなきゃ…!)
「よしっ!!――」
徳が屋敷の中に戻ろうとしたとき、なにやらひそひそと話をする声が聞こえてきた。
「ほら、あの方よ。」
「まぁ、綺麗な容姿で、性根は汚いのねー。」
「町娘相手に道中で土下座させるなんて…。」
「自分が姫だからって、人を見下しているのかしら…。」
徳が声のする方を振り向くとそそくさと人影が消えていく。
「…え…?」
清々しい春の朝に、不穏な空気が漂った。




