第1話 再会のハグ
休日の昼に炒飯を二人分作っている高校生というのは、あまり青春っぽくない。
ついさっきまで洗濯物を干していて、その流れで昼も適当に作ることにした。冷蔵庫に残っていたご飯と卵、それから肉の代わりのチャーシュー。赤い缶に入った調味料と赤い蓋の瓶に入った白い粉を予定の倍ぶちこんで一気に炒める。香ばしい匂いが出てきたら、最後に刻んだ長ネギを入れ、フライパンを振って皿に盛る。
ちょうど二皿分。我ながらそこそこいい出来だ。飯は茶色ければ茶色いほど美味い。これが俺の青春の味。
湯気の立つ炒飯に紅ショウガを盛っていたところで、玄関の鍵が開く音がした。
「ただいまー」
騒がしい足音の後、母さんがバッグを肩にかけたままリビングへ入ってきた。黒い髪にパンツスーツ、お手本のような社会人女性。慌ててる様子を見るに、帰ってきたというより、一度寄った時の感じだ。
「おかえり」
「いい香り。今日は炒飯ね」
「卵スープも作ってあるけど、どうするの?」
「食べたいんだけど、すぐに仕事に行かないといけないから」
「じゃあ冷蔵庫に入れておくから夜たべてくれ」
母さんが忙しいのはいつものことだ。家によってすぐに出ていくことも今に始まったことじゃない。
だが、いつもの母さんなら「ごめんねっ!」と謝罪してすぐに家を出ていくところを、今日はなぜか2人分の炒飯を見て嬉しそうに笑っている。
「ちょうどよかった」
「何がだよ」
「伊吹って異世界もの好きだったよね?」
「なんだよいきなり」
「いいからいいから」
なにがいいのかもさっぱりわからん。
「漫画とかアニメとかの話し?」
「そうそう。そういう系」
「別に嫌いじゃないけど」
「剣と魔法とか魔物とか。そういうの理解ある方?」
「一通り知ってはいる」
「ふぅ~ん」
妙に納得したように頷かれる。
なんだこの質問? という疑問と同時に、嫌な予感が背筋に走る。何か企んでもない限り、いきなりこんな質問してこない。ましてや急いでる時にするなら尚更だ。
「明日香ちゃんって覚えてる?」
「今度はなんだよ」
「いいから。質問に答えて。早く!」
そんな急かされても。明日香、アスカ、あすか……。
「神谷明日香ちゃん。小さい頃、一緒に遊んでたでしょ?」
「昔遊んだ子か……」
言われるが、まったく顔が浮かんでこない。
「色の薄い髪の子よ。小さい頃に兄さんと海外に行っちゃった」
母さんの言う兄さんということは、叔父さんか?
「あぁ……。いた気が、する?」
「なんなの、その曖昧な返事。記憶力のない息子ね」
「んなこと言ったって子供の頃のの話しだろ? そんなしっかり覚えてないって」
「伊吹はまだ子供でしょうが。大人しくて控えめで人形みたいに可愛かった子よ。面倒見てくれてたじゃない」
「そんなこと言われてもな」
妙にしつこい母さんの言葉に――そこでようやく思い出した。
親戚の集まりで叔父さんの後ろに隠れていた小さな女の子。挨拶しても無視する癖に、俺の目をジーっと見てきた。目がクリクリで人形みたいだと、子供ながらに感じた記憶。
何回挨拶しても反応がなかったから、ムキになって声をかけまくった気がする。
たぶん。
「なんとなく思い出した」
「ならよかった」
「よかった?」
聞くと、母さんはなぜか少しだけ意味ありげに笑う。
「あと、もう一個確認だけど」
「まだあるのかよ」
「困ってる子がいたら助けるタイプよね? 伊吹は」
「そんなの時と場合によるだろ」
「先生によく言われてたもんね。気遣い屋さんだから色んな子に声をかけて回ってるって」
「記憶にないんだが」
と言いつつ、小学生の通知表に、そんなことが書いてあったなと思い出す。
「家事は得意だから問題ないとして。伊吹って女の子の扱い方って慣れてるの?」
「知らないよ。思春期の息子にそんなこと聞くな」
どう答えても恥ずかしいわ。
「それもそっか」
あっけらかんとした納得の仕方。
その感じに、嫌な予感がさらに強くなる。
「で、なんなんだよさっきから」
「会ったらわかる」
「会う? だれに」
聞くと、母さんは時計を一度見て、それから玄関の方へ視線を向けた。
「入ってきていいわよ、明日香ちゃん」
「はぁ?」
思わず間抜けな声が出た。
数秒遅れて、廊下の向こうから足音が聞こえてくる。
そしてリビングの入口に現れた姿を見て、俺は一瞬だけ言葉をなくした。
綺麗な子。最初に思ったのは、それだ。
腰元まで伸びた淡い銀髪。白い肌と整った顔立ちも相まって、日本人離れしている容姿は、それこそさっき母さんが言っていた異世界物のヒロインのような外見をしている。
かなり可愛い。というか、普通に見惚れるくらいには綺麗だった。
ただ、それ以上に目を引いたのは雰囲気だ。
姿勢がいい。立ち方に隙がない。知らない家に通された女子高生というより、初めて入る場所を静かに観察しているみたいな目をしている。
鋭い、警戒しているようなその目が、俺で止まる。
少しだけ大きく開かれたあと、彼女は確かめるように口を開いた。
「……西条、伊吹くん?」
「え、ああ。そうだけど」
次の瞬間だった。
明日香は目に見えてほっとした顔をして、そのまま俺の方へ歩み寄ってくる。
何だ? と思う間もなく、ふわりと柔らかい感触が胸に当たった。
「えっ?」
抱きつかれた。理解したのは、数秒遅れてからだ。
甘い匂いが近い。細い腕が背中に回っている。
呆気に取られている俺に対して、明日香の方は、安心しきったみたいに小さく息をついた。暖かい吐息が耳を擽り、思わず身が震える。
「……よかった。本当に伊吹くんなのね」
声が近い。鼓膜の震えが脳にまで響くように、思考を鈍らせる。
「いや、えっと」
情けない声しか出なかった。
すると明日香は、はっとしたみたいに体を離した。
「あっ」
そこでようやく、自分が何をしたのか気づいたらしい。
白い頬がじわっと赤くなる。
「ご、ごめんなさい」
さっきまでの落ち着いた雰囲気が少し崩れて、彼女は困ったように眉を寄せた。
「久しぶりに伊吹くん見たら、その、安心しちゃって。嫌だったわよね。ごめんなさい」
そう言って、明日香は照れるように視線を逸らした。
抱きついてきた時の勢いはどこへ行ったのか、今は見るからに恥ずかしそうだ。
照れている。だが、その反応を見て少しだけ頭が冷えた。
そして、彼女といた時の思い出が少しだけ蘇ってきた。
小さい頃、叔父さんと一緒に海外にいった従妹。
「が、外国の文化ってやつだな。挨拶がわりのハグだろ? そんな謝らなくても大丈夫だ」
彼女は帰国子女だ。ハグなんて挨拶のようなもの。
俺が口ごもりながらそう返すと、明日香はそっとこちらを見る。
「本当?」
「びっくりはしたけど知識はあるからな。映画で見たことがある。そういう文化だ」
「そう、よね。そう、ありがとう」
お礼を言われることでもないが、余計な事は言わないでおこう。なんで挨拶がわりのハグでそっちが照れてるんだ? なんて余計なことは絶対に言わない。
明日香は姿勢を整えて、改めて俺を見る。
「久しぶり、伊吹くん。神谷明日香よ。覚えてる?」
「ああ、薄っすらとだけど。だいぶ久し振りだよな?」
答えたが、記憶に薄っすらと残っている少女とは重ならない。
それもそのはず、俺の記憶にいる神谷明日香は叔父さんの膝ほどの身長で止まったままだ。
それに対して今の彼女は母さんよりも背が高く、すらりと伸びた手足は同年代の女子高生より大人びて見える。凛々しい顔立ち、落ち着いた眼つき、引き締まった腰回りと膨らんだ胸。
初めましてと言われたら、間違いなく初めましてと返事をする。
内心でそんな事を考える俺に対して、明日香は照れながら答えた。
「子供のころ振りね。けど、その反応は……。伊吹くんはあまり私の事、覚えてないみたいね」
どうやらバレてしまったらしい。
「覚えてないというか、見違え過ぎてて重ならないというか。逆に明日香は俺のこと覚えてるのか?」
「もちろんよ。小さい頃、何度も助けてもらってたから」
「そうだったか? そんなに何かした覚えないけど」
「そんなことない」
明日香はすぐに首を振った。
「私はちゃんと覚えてる。伊吹くんがいたから、私は生きてこられたんだから」
真っ直ぐ向けられた蒼い瞳。照れた直後なのに、ちゃんと目を見て言って来るのは本心からの言葉だからか。
ただ、だから余計にどう返していいかわからなくなる。
それに、その言葉は大袈裟な気がするけど。
「それは、よかった」
結局、そんな無難な返事しかできなかった。
母さんはというと、そんな俺たちのやり取りを見て満足そうに頷いている。
「うん、よかったよかった。やっぱり伊吹がいて正解だった」
「正解? どういうことだよ」
「明日香ちゃん、しばらくうちで預かるから」
「はぁ?」
「だから伊吹と明日香ちゃんが仲良くなれそうでよかったってこと」
「……はぁ?」
母さんの言葉に、俺は聞き直すことしか出来なかった。




