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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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私を壊さないで2

 エリクから番のことを教えられる数時間前、ウルリカが働いている調薬部門に意外な訪問者が来た。


「君ってオーグレーン先生の弟子だよね?」


 黒い髪をした人族の男だ。年齢はウルリカよりずっと上だろう。好奇心に満ちた瞳が歳を分からなくしている。服装に無頓着なのかシャツにはシワが寄っていた。身なりを整えれば、それなりに見える顔立ちをしているだけに、残念な人という印象が拭えない。


 このフレデリクという男は、良くも悪くも有名だった。一言で言えば好奇心旺盛な問題児。魔法薬の開発部門に所属しており、常識に囚われない発想で新商品を生み出している。だが常識を顧みないが故に、数々の問題行動を起こしていた。


 実験室を燃やすこと数回。自分に人体実験をして倒れることもある。他人と交流すれば、噛み合わない返答で相手を怒らせることがあった。それでもクビにならないのは、彼がもたらす利益が大きいからだろう。


 フレデリクが言うオーグレーンは、以前に勤めていた魔法薬店の店長のことだ。


「君が人事と面接してるのが聞こえたんだけどさ、テーレのオーグレーン魔法薬店にいたって言ってたでしょ」


 ウルリカが答える前に、フレデリクは勝手に続けていく。この状況を読まずに自分がやりたいように振る舞うところが、彼の特徴であり欠点だった。


「先生って昔はグランフルトの大学で教授やっててさ、俺もお世話になったんだ。知ってた? いきなり退職して故郷に帰ったんだけど、この店と新薬開発で提携してるんだよ」

「そ、そうですか」


 わざわざそれを言いに来たのだろうか。ウルリカは終わりそうにない一方的な会話に困惑していた。


 近くにいる調薬師たちも、突然現れて喋りだしたフレデリクの扱いに困っている様子だ。


 フレデリクは店にとって利益をもたらす存在であり、多少の問題行為には目をつぶってもらえるほど上層部が気に入っている。そんな彼が機嫌を損ねてしまったら、こちらが処分されてしまうのではないか。喋っているだけなら被害は少ないのだから、好きなようにさせておこう――そんな考えが透けて見える。


「あ。君を雇った方がいいって言ったの、俺ね。だって先生の店で働いてたなら、基本のことなんて分かりきってるはずだからさ。でもなんで先生の店を辞めたんだよ」


 それを説明するには、番のことに言及しないといけない。誰もが耳を傾けている状況で、出会ったばかりのフレデリクに個人的なことは話したくなかった。


「まあいいか。色々あるよね。分かるよ」


 幸いにも彼は退職の理由について、しつこく聞いてこなかった。本気で知りたい内容ではなかったのだろう。


「でも嬉しいな。他にも先生のこと知ってる人がいたなんて。今夜ヒマ? 酒でも飲みながら話そうよ」

「暇じゃないのでお断りします」

「いいじゃん、ちょっとぐらい」


 良いわけがない。今日はエリクが森から帰ってくる日だ。久しぶりに彼との穏やかな夜が待っているのに、なぜ人の話を聞こうとしないフレデリクに時間を割かなければならないのか。


 どうすれば諦めてくれるのか考えていると、慌ただしく走ってくる足音が聞こえた。


「フレデリク! お前、自分の仕事はどうした?」


 今度は厳格そうな見た目の男性が来た。室内をさっと見回してフレデリクを見つけると、真っ直ぐ歩いてくる。名札にはダンという名前が書いてあった。所属は開発部門。フレデリクの同僚か上司なのかもしれない。


「共同開発の成果報告、今日までだと何度も言っただろう」

「え? あれならとっくに書いたけど。俺の机の上に置いてなかった?」

「書いたなら提出しろ。書くだけが仕事じゃない。それからテーレの魔法薬店への返答は済ませたのか?」

「あ。忘れてた。先生の名前を見て思い出したことがあってさ。この子、先生の弟子だよ」


 ダンはそこでウルリカに気がついたようだ。同情を滲ませた顔でウルリカに話しかけてきた。


「大丈夫か? この男に嫌なことをされなかったか?」


 こちらは常識を兼ね備えた人物だった。フレデリクの抑止力になってくれそうな予感がする。


「失礼な。話が弾んだから、飲みに行こうと誘ったところなんだぞ」

「先ほども言いましたが、お断りします」

「なんでさ。どうせ暇でしょ?」


 決めつけてくる言い方に腹が立つ。


「婚約者以外の男性とお酒を飲みに行く気はありません」

「婚約者……」


 フレデリクは驚いた顔で固まった。言われたことが予想外だったのか、口が半開きになっている。

 長いため息をついたダンは、ウルリカに頭を下げた。


「……本当に申し訳ない。二度と誘うことがないよう言い聞かせておく。もしまた変なことを言いだしたら教えてくれ。ほら、帰るぞ」


 ダンがフレデリクの胸ぐらを掴んで、廊下へ連れ出した。途中で我に帰ったフレデリクの声が聞こえてくる。


「ちょっと、まだ話が……」

「いい加減にしてくれ。よその部屋に迷惑をかけるんじゃない。彼女はお前なんか眼中にないんだよ」

「えっ。でもあれって断るための嘘でしょ?」

「そうだったとしても二度と関わるな」


 次第に二人の声が遠ざかってゆく。嵐が去った後の室内には、うんざりした空気が流れていた。


「災難だったわね」


 近くにいた女性の調薬師が同情してくれた。


「噂通り、嵐のような人でしたね」

「あのフレデリクって人、興味を持ったものは全力で関わろうとするらしいわ。今は番の本能に目をつけたって聞いていたんだけど……」

「番の本能ですか?」


 やはりグランフルトに来た理由を言わなくて正解だった。口にしてしまったら、納得するまで付き纏ってきそうだ。


「生まれも育ちもグランフルトだから、番に関する情報が少なくて知識欲が満たされないんですって。しかも人族で番の本能が薄いせいで、自分を実験台にできないのよ。彼が獣人だったなら、自分の番を探しに世界中を旅してたんじゃないかしら」


 彼が獣人だったなら、行く先々で迷惑をかけたに違いない。研究所内で済んでいる今のほうが良いのではないだろうか。


「ダンも大変よね。同期ってだけの理由で問題児のお守りをさせられているのよ。彼も抱えている研究があるんだけど、フレデリクの尻拭いをしなきゃいけないせいで進んでないらしいわ」

「詳しいですね」

「だって私も同期ですもの。調薬部門に逃げられて良かったわ」


 彼女はウルリカがいる方へ体を傾け、小声で続けた。


「で、あなたの婚約者ってどんな人? そろそろ教えてくれてもいいじゃない。仕事が終わったら、いそいそと帰るぐらい素敵なんでしょ?」

「隠しているわけじゃないんですけど……」


 個人的なことはあまり喋らないだけだ。ウルリカは相手の質問攻めに負けて、当たり障りのない範囲で答えておいた。


 勤務時間が終わると、いつも通り手早く荷物をまとめて職場を出た。外は仕事を終えて帰宅する住民で混み始めている。


 エリクはもう家にいるだろうか。まだ帰っていないなら、彼が好きな煮込み料理を作っておきたい。


 市場の近くまで来たとき、ウルリカは誰かに腕を掴まれた。


「あなた、私の番の匂いがする」


 淡いオレンジ色の髪をした、狐族の女性だ。可愛らしい顔立ちが悲しみに染まっている。ウルリカに縋ってくる姿は、助けてあげたくなるような魅力があった。


「でも薄いわ。あなたの家族じゃない……? ねえ、今日はどんな人に触れたの? その中に男の人はいた? たぶん狐族」

「ご、ごめんなさい。今日はたくさんの人と会ったし、人混みの中を歩いてきたから分からないのよ」

「……そう。気のせいかな。でも一瞬だけ、感じた気がしたのよ」

「私じゃ力になれそうにないわ。それに、この町で番を積極的に探すのは禁止されているから」


 そう答えると、狐族の女性は耳を垂れさせた。


「……ええ。町に入るときに聞いたわ。でも私は番を探さなきゃいけないの。引き止めてごめんね。できれば私のこと、誰にも言わないで」


 弱々しく微笑んだ彼女は職場の方へと歩いて行った。


 グランフルトで暮らしていると、番に関する話題はほとんど聞かない。彼女が現れたことで、テーレで経験した記憶が鮮やかに甦ってきた。番に関して感じていた自分の無力さや、どうしようもない力に振り回される理不尽さは、もう二度と感じなくても良いと思っていたのに。


 ウルリカは急ぎ足で家に帰った。きっとひとときの感情で終わるはずだ。すぐに日常が戻ってくる。せっかく幸せになったのだから、暗い顔なんてしなくてもいい。


 不安を払拭したくて帰ってきたウルリカだったが、淡い期待を裏切られることになった。


 欲張らずに、身の丈に合った幸せを求めていたのに、最後は番が幸せを壊してしまう。

 一度ならず二度までも。許せるわけがなかった。

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― 新着の感想 ―
ここにきて新メンバー続々ですね。 最後までエリクと一緒にいるのか、違う人と結ばれるのか、楽しみです。 先日はお気を遣わせたうえに温かいフォローまでいただき恐縮です。佐倉さまのご返信はいつも軽妙で不快…
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