決めるのは私3
エリクが看病をしてくれていたおかげで、翌日には熱が下がって動けるようになっていた。
目を覚ましたウルリカは、離れたところで座っているエリクを見つけた。眠っているのか、岩壁に背中を預けてうつむいている。二本ある剣のうち一本は彼の腕の中だ。ウルリカが毛布代わりにしていたマントを畳んでいると、エリクの耳が小さく揺れた。頭を上げたエリクは、おはようと言って柔らかく微笑む。
「気分はどう?」
「いつもの調子に戻ったわ」
「病み上がりだから無理はしないようにね。疲れたら報告すること」
ウルリカが寝床を片付けている間に、エリクはスープを作ってくれた。湯の中に肉団子のような塊を入れてかき混ぜると、短時間で溶けて美味しそうな匂いがしてくる。どうやって作っているのか尋ねたところ、スープの具材と調味料を一食分ずつ混ぜて固めたものだそうだ。
「旅の携行食だよ。料理に時間をかけるより、体力を温存したり移動に時間をかけたいから、出発前に作っておくんだ」
朝食には薄焼きのパンもあった。エリクが昨日のうちに焼いておいたものを焚き火で炙って、スープに浸しながら食べる。スープの塩気と相性が良く、腹持ちも良さそうだった。
「外で普通の料理を食べられるなんて思わなかったわ」
「冷たいものばかり食べていると、体が冷えて良くないからね。体温を上げるために体力を使ってしまうんだ。スープだけじゃなくて、野鳥を捕まえて焼くこともあるよ」
「あなたのことだから、肉に合う調味料も用意してるんじゃない?」
「よく分かったね。道中で美味しい種類の鳥を仕留めたら、ご馳走しようか」
「期待してるわ」
食後に薬を飲んでから、グランフルトへ向かって出発した。一日ぶりに太陽の下に出たウルリカは、晴れやかな気持ちでエリクの後ろをついていく。目的地が明確になったことで、気持ちに変化が現れたのかもしれない。
獣道を利用し、時には道と呼べない場所を進んだ。太陽の位置で判断すると、南西へ向かっているようだった。エリクは時折、ウルリカに留まるよう言って、荷物を置いて先行していく。どうやら進行方向に魔獣がいるらしく、追い払うか始末している様子だった。
身軽に移動するエリクは、ほとんど物音をたてない。姿が見えなくなると、彼がどこで何をしているのか、ウルリカには分からなかった。
誰にも会わないまま数日が過ぎ、すっかり山や森の歩き方が身についたころ、細い街道に出た。
「この先にある町に泊まろう。旅商人がよく通る宿場町だから、手頃な宿が多いよ」
「人前に出ても大丈夫なの?」
「主要な街道沿いにある町は色々な種族が集まってくるんだ。普通に歩いていれば目立ちにくいよ。それにこの辺りは竜人族の支配地域だよ。番を探す者には厳しい対応が待ってるだろうね」
エリクは幻術で髪の色を濃い茶色に変えた。顔の良さは変わらないが、人混みに紛れてしまったら簡単に見つからないほど地味になっている。なるべく人の記憶に残らないようにしようという配慮だ。ウルリカも獣人に見えるよう幻術をかけてもらったが、頭を触っても変化はなく、自分では確かめようがなかった。
剣は一本だけ腰に下げ、もう一本は荷物の中に隠している。ウルリカも護身用としてナイフを借りたが、上手く扱える自信がない。
「ウルリカがナイフを使わなくても済むようにするから。心配しないで」
そう言ってくれるエリクには胸がときめいたが、外見が違うせいか浮気をしてしまったような複雑な心境になった。人口が多い茶色の髪は親しみやすさがある。だがやはり彼は銀髪じゃないと似合わない。
大きな街道に合流すると、行き交う人や馬車を多く見かけた。エリクが言う通り、多種多様な種族が通っている。誰もウルリカたちに関心がなく、ぶつからないように見ることはあっても、話しかけてこない。
町へ入ってすぐ、エリクは宿の一つに入って宿泊を伝えた。通された部屋はベッドが二つ並んでいるだけの質素なものだ。
「お湯はどうします?」
案内をしてくれた従業員が尋ねてくる。何のことかと思っていると、エリクが答えた。
「要るよ。風呂はいくら?」
「うちは燃料費も込みで――」
何往復かやり取りをしたあと、エリクは金を払った。受け取った従業員が鍵を持ってくると、荷物を持ってウルリカを誘ってくる。
「風呂と洗濯。したいと思う人」
「はーい」
道中は濡らした布巾で体を拭くことしかできなかった。風呂どころか水浴びすらできない環境なので仕方ない。そう考えて諦めていただけに、ようやく入浴できる機会が訪れたのは嬉しかった。
風呂がある小屋は宿の裏庭にあった。自分で井戸水を汲んで湯を沸かし、大きなたらいに移して入るらしい。エリクが渡した金は、水の使用料と薪の代金だった。もし従業員に全て準備してもらうなら、さらに料金が必要になる。
町から町への移動だけでなく、宿の決まり事も、旅人でなければ知らないことばかりだ。
***
初めて宿に泊まった翌日は、乗合馬車でグランフルトまで目指すことになった。順調にいけば一日で到着する距離だ。
何度か休憩を挟みながら、馬車は夕方ごろグランフルトに到着した。広大な森に面したグランフルトは、大都市らしく大きな壁と門に守られている。乗合馬車の客たちは門の前で降ろされ、警備兵の点検を受けることになった。
「ウルリカはグランフルトに来た理由を正直に話せば大丈夫。番の名前を言う必要はないけど、種族までなら伝えてもいいと思うよ」
貴族の番は狙われやすいとベルトルドが言っていたことを思い出した。面倒なことを避けるために、詳細は言わないのが無難だろう。
ウルリカたちの順番が来たとき、番から逃げてきたことを伝えると、一人だけ門の近くにある別室へ通された。そこで役人らしき竜人族から、次々と質問が飛んできた。質問にはウルリカの個人的なことだけでなく、一緒に来たエリクとの関係も含まれている。前もって正直に話せと教えられた通り、偽りなく答えていくと、役人の表情が穏やかになってきた。
「嘘はついていないようですね。定住を希望しますか?」
「はい」
「労働と納税の義務が課せられますが、よろしいですね?」
「はい」
テーレにも納税の義務があったので、特に不満はなかった。役人に税率を聞くと、テーレよりも少し低い。
「仕事を探したいなら、斡旋所へ行きなさい。調薬師は人手不足ですから、自分に合う条件の職場が見つかるでしょう」
役人はその場で斡旋所への紹介状を書いてくれた。
「調薬師には資格が必要です。虚偽の申請で働こうとする人もいますから。あなたが本当に魔法薬を作っていたなら、合格するはずです。そのあたりのことも斡旋所で聞いてください」
「分かりました。良かった……」
仕事はなんとかなりそうだ。
道中はずっとエリクに頼りっぱなしだった。何も持たずに逃げてきたせいで、お金も持っていない。早く仕事を見つけて、彼の負担を軽くしたかった。
他にも細々とした規則を教わって、ようやく解放してもらった。太陽はとうに沈んで辺りは暗くなっている。門のところへ戻ると、先に終わったらしいエリクが待っていた。もう姿を偽る必要がないので、髪の色が銀に戻っている。
「どうだった?」
「斡旋所を教えてもらったわ。調薬師は人手不足なんですって」
「そうらしいね。ダンジョンの調査で魔法薬の需要が増えたらしいよ」
「よく知ってるわね」
「ウルリカを待ってる間に、情報収集してきた。僕がテーレでどんな仕事をしていたのか忘れた?」
情報屋だ。
ただ待っているのは時間の無駄だと感じたエリクは、休憩中の警備兵を中心にグランフルトに関することを聞いてきたそうだ。
「まずダンジョンに関する研究というのが世界各地で行われていて、グランフルトにも専門の研究所があるんだって。つい最近、停滞していた研究が発展するような発見があったらしいよ」
警備兵はその発見について噂程度しか知らなかったらしい。
「まだ仮説の域を出ないから、裏付けのためにダンジョンを調査しているとか言ってたな。頻繁にダンジョンへ潜る必要があるから、魔法薬の出番が多くなるんだろうね」
魔法薬は怪我だけでなく、魔獣への攻撃や足止めに使うものなど多種多様ある。
材料はダンジョンへ行けば採取できるが、薬にするには手間をかけないと完成しない。薬草や鉱石を正しく扱い、規定の分量を調薬の手順に沿って混ぜてようやく完成する。
「明日から早速仕事を探す?」
「そうね。あまり時間を置くと腕が鈍りそうだわ」
「焦らなくてもいいからね。報酬に釣られて仕事を決めたら、起きている間中ずっと働かされた、とかよくある話だよ。甘い言葉で人を集めて、犯罪行為をさせる経営者もいるから気をつけて」
斡旋所にはエリクにも来てもらおうかしら――ウルリカは自分で詐欺を見抜く自信がなかった。
そんな心配をよそに、安全でまともな仕事はあっさりと見つかった。研究所に魔法薬を卸している店で、需要の増加を見込んで調薬師を募集していたそうだ。働くために必要な資格試験も、テーレの魔法薬店にいれば覚えられることばかりで、拍子抜けしたほどだった。
「ウルリカなら簡単に合格すると思ってたよ。だってウルリカが働いてた店は、薬の品質が高かったから。あの店長も厳しかったでしょ?」
資格試験は最低限の知識と腕前を保証するためのものだとエリクは言った。だから厳格な基準の店で問題なく働いた経験があれば、合格点は楽に越えられる。ウルリカは改めて店長に感謝した。
店長には新天地で生活を始めたことや、お礼の気持ちを手紙にして伝えたいところだが、やめておいたほうがいいだろう。ただの引っ越しでグランフルトに来たのではなく、番から逃げてきたのだ。居場所を知られそうなことはできない。
ウルリカが資格試験や就職で動いている間に、エリクも仕事を見つけていた。ダンジョンの調査員を護衛するらしい。毎月の固定給に加えて、ダンジョンに入るときには危険手当も支給されると聞いた。希望者は多くいたそうだが、そこは持ち前の交渉力で勝ち取ったのだろう。
グランフルトに到着してから数ヶ月が過ぎ、慌しかった日々が少しずつ落ち着いてきた。治安が良い地区に思いきって家を買い、ようやく普通の暮らしが手に入る。
そう思っていた矢先のことだった。
ある日、家に帰ってきたウルリカは玄関の近くに置いてあったエリクのカバンに気がついた。いつも置きっぱなしにせず片付ける彼らしくない。
「エリク? 帰ってきたの?」
夕方の薄暗い家の中は静かなままだ。キッチンやリビングには誰もいない。洗面所は少し濡れている。嫌な予感が大きくなっていく。
寝室の扉を開けると、エリクが枕を抱きしめて横になっていた。
「エリク……?」
名前を呼ばれたエリクがこちらへ視線を向ける。何かを怖がっているのか、瞳に光はなく陰がさしていた。
「ウルリカ」
小さな消えてしまいそうな声でエリクが言った。
「僕の番が町にいた」
一番恐れていたことが来てしまったようだ。




