39 夕暮れに、輝く黄金色
夕暮れにきらめく黄金色が、3人の距離を少しだけ変えます。
優しい香りが、思わぬすれ違いを生む回です。
「……まったく、とんだ手合わせだったな」
クロード様は呆れたように苦笑しながら、泥だらけの稽古着をはたいた。
その顔にはまだ泥がこびりついているけれど、怒っている様子はない。むしろ、少し楽しそうだ。
「フェル、お前も早く洗ってこい。屋敷の湯殿を使っていいぞ」
「い、いえ! 俺みたいなのが騎士様の湯殿なんて! 井戸水で十分ですんで!」
俺は慌てて手を振ると、逃げるようにその場を離れた。
当然だ。クロード様の前で泥を落とせば、面識がないとはいえ、誰かに似ていると思われるだろう。危険は冒したくなかった。
「……欲のない奴だな」
クロード様は不思議そうに首を傾げ、そのまま屋敷の湯殿へと向かっていった。
俺は、ほっと胸をなでおろした。
よかった、バレなかった。
「ココ、あとで傷薬を持ってきてくれないか。クロードが擦り傷を作ったみたいだ」
「は、はい! すぐにお持ちします!」
ディーンがココを呼び留めて何か話していた。俺も慌てて屋敷の裏へと回る。
その時、あいつが俺の方を見ている事には気が付かなかった。
♢ ♢ ♢
屋敷の裏手にある古井戸。
今は使われていない石造りの水場は、夕暮れの影に沈んでいた。
「……あぶねえ、あぶねえ」
俺は冷たい井戸水を桶に汲み上げると、頭から豪快にかぶった。
バシャッ!
冷たさに身震いしながら、こびりついた泥を必死に洗い流す。
クロードに見られなくてよかった。あいつは勘が鋭い。兄上の親友なだけあって、俺の剣の癖も見抜かれそうになった。
「……次はもっとうまく誤魔化せるかな」
独り言を呟きながら、髪に残った泥を丁寧に落とす。
茶色い泥水が足元に流れ落ち、本来の色が戻ってくる。
そろそろ潮時かもしれない。母上もしびれを切らしている事だろう。 濡れた髪をかき上げた、その時だった。
夕日が、濡れた髪を射抜いた。
泥色だった髪は、光を吸い込んで鮮烈な黄金色へと変わる。
辺境の平民にはありえない、王冠のような輝き。
「……ふぅ」
俺がタオルで頭を拭こうとした、その瞬間。
「――綺麗な色だ」
背後から、静かな声がした。
「ッ!!」
俺は弾かれたように振り返った。
心臓が止まるかと思った。
そこに立っていたのは、銀色の髪を風になびかせた少年――ディーンだった。
いつの間に近づいたのか、全く気配がなかった。
(ゆ、油断した、聞かれた!?)
俺は反射的にタオルで頭を隠そうとした。ココは知らないが金髪は珍しい。隣国の王家の色なのだ。
ディーンの瞳は、すでにその黄金色を捉えて離さなかった。
終わった。
隣国の王子が、身分を隠して潜伏していたことがバレれば、ただでは済まない。
俺が身構え、言い訳を口にしようとした時だ。
「……不思議だな」
ディーンの声には、敵意も、警戒もなかった。
あるのは、深い――底なしの海のような、静けさだけ。
彼はゆっくりと一歩近づき、俺の濡れた髪を見つめた。
「この辺境にはない色だ。……太陽を溶かしたような、眩しい金」
ディーンは、自分の銀色の髪を一房すくい上げ、自嘲気味に笑った。
「俺は銀色のはずなのに。……なぜだろう。君のその髪を見ると、ひどく懐かしい気がするんだ」
「……は?」
俺は拍子抜けしたような声を出した。
てっきり「どこの密偵だ」と詰め寄られると思っていたからだ。
「胸の奥が、ざわつく。……まるで、ずっと昔に失くしてしまった自分の半身を、ようやく見つけたような」
ディーンの空色の瞳が、夕陽を受けて揺れている。
その瞳は、目の前の俺を見ているようで、ここではないどこか遠く――百年も千年も前の過去を見ているようだった。
こいつは、何を言っているんだ?
俺たちは初対面のはずだ。国だって違う。
なのに、なぜ。
この銀髪の王子の言葉が、こんなにも切なく響くのか。
「……買いかぶりすぎですよ、旦那様」
俺はあえて軽い口調で、タオルを頭から被った。
心臓の鼓動を悟られないように。
「ただの地毛です。親からもらった、ね」
「……そうか。大切にするといい」
ディーンは穏やかに微笑むと、それ以上追及することなく踵を返した。
「風邪を引くなよ。……ココが心配する」
去っていく銀色の背中を見送りながら、俺はその場にへたり込んだ。
「……勘弁してくれよ」
濡れた金髪をタオルで乱暴に拭きながら、大きく息を吐いた。
あの目。
全てを見透かすような、けれど迷子のように寂しげな目。
(……やっぱり、ただの辺境公爵じゃねえな)
風に乗って、微かに甘い香りが漂ってくる。
日だまりのような、優しい匂い。
「……ココ……」
俺は濡れた髪をそのままに、匂いのする方へと歩き出した。
♢ ♢ ♢
私は、両手に抱えたバスケットを落としそうになった。
「……フェル?」
廊下の曲がり角から現れたその人は、さっきまでの「泥人形」とは似ても似つかない姿だったからだ。
水気を滴らせた髪は、夕闇の中でもはっとするほど鮮やかな黄金色。
整った顔立ちと、濡れて張り付いたシャツから覗く引き締まった体躯。
どこかの国の王子様と言われても信じてしまいそうな美青年が、そこに立っていた。
(……すごい。泥を落とすと、こんなにキラキラしてるんだ)
私はまじまじと見つめてしまった。
泥だらけの時との差が激しすぎて、なんだか胸がどきりとする。フェルがいつも帽子を深くかぶっていたせいか、金髪にも全く気が付かなかった。私自身、普段から人の顔をあまり気にしていなかったからかもしれない。
フェルは気まずそうに、濡れたタオルでガシガシと頭を拭いた。
「……なんだよ。人の顔見て固まって」
「ううん、綺麗だなって。泥だらけの時とのギャップが凄すぎて」
「けっ。どうせ俺は泥の方がお似合いだよ」
フェルはふいっと視線を逸らしたけれど、その耳が少し赤くなっている気がする。
彼は鼻をくん、と鳴らして、私のバスケットを覗き込んだ。
「で? その大量の荷物はなんだ。夜逃げか?」
「違うわよ。これはクロード様の傷薬。あんなに泥をぶつけちゃったから、かぶれるといけないし」
「……あー、あいつか。ま、自業自得だろ」
フェルは悪びれもせずに笑った。 そして、もう一つの小袋を指差した。
「そっちは? 甘ったるい、眠くなるような匂いがするけど」
「これはディーン様に。……最近、よく眠れていないみたいだから」
私は小袋を大事に抱え直した。
ディーン様の目の下には、薄くクマがあった。きっと、王都での疲れや、難しい夢を見ているせいだ。 だから、特製の「安眠ポプリ」を作ったのだ。これがあれば、どんな悪夢も跳ね除けて、朝まで泥のように眠れるはず。
「……へえ」
フェルは何かを考えるように、青い瞳を細めた。
さっき井戸端で、ディーン様と何かあったのかしら?
二人が話しているのが遠目からでも分かった。フェルはあまり人と関わらないから、珍しいなと思っていたのだ。
「ああ、あいつ、何かを探してる目をしてたからな。……でも、今はぐっすり寝た方がいいかもな」
フェルは意味深なことを呟くと、ポンと私の頭に手を置いた。
その手は大きくて、少しだけ温かかった。
フェルはひらひらと手を振って、自分の部屋へと歩いて行ってしまった。
その背中は、黄金色の髪が揺れて、やっぱりいつもより少しだけ高貴に見えた。
♢ ♢ ♢
その夜。
ディーンの寝室には、ココが届けたポプリの香りが満ちていた。
「……いい香りだ」
ベッドに入ったディーンは、ポプリ袋を枕元に置いて、深く息を吸い込んだ。
不思議な安らぎが、体の芯まで染み渡っていく。
(今夜は……久しぶりにあの子の夢が見られるだろうか。懐かしくも、物悲しい想い……)
夕暮れ時に見た、フェルの黄金の髪。
何か大切な事を忘れているような……。何だろうか……。
目を閉じれば、まどろみは一瞬で訪れ、意識は深く、暗い闇の底へと沈んでいく。
夢を見る隙間もないほどの、完全なる熟睡。
皮肉なことに、彼が最も求めていた「光」は、彼を最も案じる少女の手によって、今夜はお預けとなったのだった。
ココの作った「特製ポプリ」の威力は、絶大だった。
いつも読んで頂きありがとうございます。次回は水曜日に投稿します。「かぼちゃのパンツはもういらない~弱みを握ればこっちのもの!」連載を再開しました。そちらも覗いてみてくださいね。




