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聖女という名の魔女達  作者: 星降る夜
第3章 真実のかけら

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38 泥んこ作戦


 練兵場に現れたのは、まさかの“あの姿”でした。

 張りつめた空気が、一瞬でどこかへ飛んでいきます。



 午後。約束の時間、屋敷の裏手にある練兵場には、張り詰めた空気が漂っていた。


 クロード様は騎士団の正式な稽古着に身を包み、手には木剣を携えている。その立ち姿は、絵画のように美しい。


 傍らで見守るディーン様も、銀髪を風になびかせながら、静かにその時を待っていた。


 「……遅いな」


 クロード様が呟く。  私は、冷や汗を拭うこともできずに縮こまっていた。


 (ど、どうしよう……やりすぎちゃったかしら)


 午前中の「大捕物」を思い出して、胃が痛くなる。あそこまで追い詰めなくてもよかったかもしれない。


 「来たぞ」


 ディーン様の声に、私はビクリと肩を震わせた。  茂みをかき分けて現れたのは、一人の青年――いや。


 「……え?」


 クロード様の目が点になった。  そこにいたのは、頭のてっぺんから爪先まで、見事なまでに茶色い泥でコーティングされた、泥人形、ゴーレム?


 「いやあ、お待たせしやした! 堆肥作りで足を滑らせて、派手に転んじまいまして!」


 白い歯だけをニカッと光らせて、泥人形が笑った。


 ……フェルだ。どう見ても、沼の底から這い上がってきたようにしか見えないけれど。


 「……その格好でやるのか?」


 さすがのクロード様も、少し引き気味だ。  けれどフェルは、悪びれもせずに胸を張った。


 「へい。俺みたいな下っ端は、地べた這いつくばるのがお似合いなんで。……さあ、泥んこ遊びと行きやしょう!」


 フェルの軽い挑発に、練兵場の空気が一瞬、張りつめた。


 クロード様は小さく息を吐き、木剣を構え直す。


 「……念のため聞くが。手加減は必要か?」


 その問いに、フェルは肩をすくめた。


 「いえ。お構いなく」

 「では、始める」


 クロード様の声が落ちた瞬間、二人の距離が一気に詰まる。


 ――早い。


 クロード様の踏み込みは、さすが騎士団長。無駄がなく、鋭い。木剣が風を切り、フェルの肩口を狙う。


 (あ……!)


 思わず目を閉じかけた、その瞬間。


 フェルの身体が、ふっと沈んだ。


 まるで足元の土に溶け込むように、重心を落とし、最小限の動きで剣筋をやり過ごす。


 木剣は、空を切った。


 「……?」


 クロード様の眉が、わずかに動く。


 フェルは反撃しない。ただ、避ける。

 一歩、半歩、また半歩。


 無様なほど低い姿勢。

 けれど、その動きは――不思議なほど合理的だった。


 「ずいぶん、変わった身のこなしだな」


 クロード様が呟く。


 「へい。畑仕事仕込みでして」


 軽口を叩きながらも、フェルの視線は一瞬たりともクロード様から逸れない。


 私は、はっとした。


 (……目が、違う)


 いつもの、少しとぼけた庭師の目じゃない。

 獲物の動きを測る、冷静で、研ぎ澄まされた目。


 その様子を、ディーン様は一言も発さず、ただ静かに見つめていた。


 ――けれど。


 その空色の瞳が、ほんの一瞬だけ、細められたのを、私は見逃さなかった。


 格上であるクロード様は派手な打ち込みはしない。フェルもなかなか打ち込んではこなかった。


 まさか……互角?


 ……ううん、そんなはずがない。クロード様は騎士団長だもの。


 それでもクロード様が決められないのは様子を見ているからだと思われた。


 じりじりと時間だけが過ぎていった。


 その均衡を破ったのは、クロード様だった。


 「……妙だな」


 クロード様が、剣先をわずかに下げた。


 その瞳が、探るようにフェルの泥だらけの顔を凝視する。


 「防戦一方に見えて、私の剣筋を完全に読んでいる。……その足捌き、どこで習った?」


 「いやあ、だから畑仕事だって言ってるじゃありませんか。鍬(くわ)を振るうのも、腰を入れなきゃ続きやせんので」


 フェルはヘラヘラと笑ってみせたけれど、私は見てしまった。そのこめかみを、冷や汗が伝い落ちて泥の跡を作っているのを。


 (まずい……クロード様が怪しんでる!)


 「畑仕事、か。……ならば」


 クロード様の雰囲気が変わった。  空気が凍りつくような、鋭い殺気。


 「農夫が騎士の剣を受けられるか、試させてもらおう」


 トン、と地面を蹴る音と共に、クロード様の姿が掻き消えた。  速い。さっきまでとは桁違いの踏み込みだ。


 狙いは――顔!?


 木剣が、フェルの顔を覆う泥を剥がそうとするかのように、鼻先へと突き出される。


 (バレる!!)


 私が息を呑んだ、その時だった。


 「おっとぉ!」


 フェルが奇声を上げ、わざとらしく足を滑らせた。  体勢を崩し、背中からぬかるんだ地面に倒れ込む。


 ――バシャッ!!


 盛大な水音が響き、茶色い泥の飛沫(しぶき)が高く舞い上がった。  それはまるで計算された散弾のように、迫りくるクロード様の顔面を直撃した。


 「……っ!」


 視界を奪われたクロード様が、とっさに動きを止める。  その隙を見逃さず、フェルは地面を転がって距離を取ると、大の字になって両手を上げた。


 「こりゃあ敵わねえ! 降参! 降参だ!」


 練兵場に、静寂が落ちた。


 そこには、泥まみれで転がるフェルと、美しい顔にべっとりと泥を浴びて固まっているクロード様の姿があった。


 あ……。  やってしまった。王都の騎士様に、あんな泥をぶつけるなんて。


 私は血の気が引く思いだったけれど、沈黙を破ったのは、意外な人物の笑い声だった。


 「くくっ……はははは!」


 ディーン様が、お腹を抱えて笑っている。  いつも物静かな彼が、こんなふうに声を上げて笑うなんて。


 「……勝負あり、だな」


 ディーン様は涙を拭うと、泥だらけのクロード様とフェルを交互に見て、楽しげに言った。


 「一本取られたな、クロード。まさか最後に『大地』を味方につけるとは」


 「……殿下」


 クロード様は泥を拭いながら、呆れたようにため息をついたけれど、その表情にはもう殺気はなかった。


 「参りました。……確かに、畑仕事で鍛えた足腰には敵いませんな」


 フェルは地面に寝転がったまま、泥の下で安堵の息を吐いたのがわかった。


 (よかった……!)


 私はへなへなとその場に座り込んだ。  心臓がいくつあっても足りないわ。



 


 読んでくださりありがとうございます。

 今回は練兵場の空気が少しだけ揺れる回でした。次回は土曜日に投稿予定です。

 ゆるく見守っていただけたら嬉しいです。


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