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机に置いた薬袋を手に取り、トルテは興味深そうに見ている。
「これが疲労回復の薬?」
「はい」
トルテは薬を一旦机の上に戻し尋ねた。
「溶かして飲む……訳じゃないよね?」
「はい。このままお水で飲んでください」
「うん」
一つ頷いてトルテは席を立ち、また水を手にして戻ってくる。
「飲んでもいい?」
「はい。でも、本当にいいんですか? この薬に領内へ入るお金分の価値がありますか?」
伊織には薬の相場はわからない。だからもの凄く不安に感じた。
それに体調面も気になる。隊長というだけあり、この領内では貴重な存在だろう。そんな人が自分の薬を飲んで、もし反対に体調が悪くなったら大事になる。
「君はわかってないかもしれないけど、薬は貴重なものなんだ。何しろ魔法使いか薬師しか薬は作れないからね。一般市民がまず病気に罹ったら、家で休む。薬を買えない家庭は案外多いんだ」
薬は高い。限られた人しか、作ることができないから。
別に資格がいる必要はないようだ。それに少しばかり伊織は安心した。
「少し疲れていたからちょうどいい。領内へ入る手数料に比べれば、安いものだよ」
「……はい」
トルテがそれでいいというのなら伊織は別に構わない。薬がそれほど貴重なものだとは思っていないからだと思う。何しろ材料は自分の家の庭で採れたものだ。材料費は一切かかっていない。だから薬代は伊織の手間賃みたいなものだ。
トルテは何の躊躇もなく伊織の薬を飲む。
飲んだ瞬間、トルテの顔色が変わった。
「ん? ……ちょ、いや待て」
自分の手を開いたり閉じたりして、何かを確認している。
「これ、本当に君が作ったのか?」
「……はい」
やはり効かなかったのだろうか? 伊織は自分で試したものの、そう一日の労力量も多くはない。だからなのか、さほど身体も疲れない。その身体で試したので、そう効果はなかった。
それはさほど疲れていないからだと思っていたが、違ったのかもしれない。
「あ、あの……効きませんでしたか? すぐには効果はないかもしれません」
「いや、効き過ぎだ。この頃、何かと疲れて寝ても倦怠感が取れなかったんだ。それが今はすっきりしている」
「え……?」
効き過ぎたてしまったのかと、伊織は少々焦る。それほど効果は出ないように作った気でいたのだ。あまり効果が大きいと騒ぎになると思ったから。だけど、どうやらもの凄く効果があったらしい。
(や、やばい……)
再び伊織は箒に手を伸ばそうとしたが、がしりとトルテに肩を押さえられた。
「ひっ!」
「あ、悪い。驚かせたね」
にこりと笑むトルテが怖い。
「薬……全部欲しいんだけど」
「え……?」
一瞬何を言われたのかわからず、きょとんとしてしまう伊織。
「こんなに効き目がいい薬は初めてだ。君の作る薬と俺の身体の相性がいいのかもしれない」
またも口説くような事を言われて、一瞬頬を染める。
「隊長、独身なんだからいっそ求婚したら? もう見てられませんよ」
「はあ?」
目の前で瞳を瞬かせるトルテを見て、これは天然ちゃんだと伊織は思った。本人に自覚はない。
だから先程の彼が『いつか女に刺される』と発言したのだろう。
門番はさぞ苛酷な任務なのだろう。気が休まる暇もないほどに。
他の一般市民よりは、領主に雇われているので高給取りなのだろう。身体を張って稼いだ金を、薬に費やせるほどには給金をもらっているらしい。
「あの……、全部ですか?」
「うん、疲労回復の薬だけでもいいよ」
疲労回復の薬は結構用意している。そのすべてとなるとかなり高額になるのではないかと、伊織は思った。
「あの、五十袋あるんですけど……」
「……そこまでは、買えないな」
薬の相場がわからないので、値段の決めようがない。街に入ったら店など訪ねて値段を決める気でいたのだ。
「相場がわかりません。いくらだったら買っていただけますか?」
「……君は損な性格をしているね。そんなこと客に聞いたら買い叩かれるよ」
苦笑しながらトルテに忠告された。
確かにそうだ。でもこの人なら信用できると思ったのだ。領主に雇われているし、公正な判断をするだろうという目論見もあった。
「そうだな……。一つ千ギルでどうだい?」
「………………」
提案されて気付いた。お金の単位がわかっていないと。
知らないでは通らないだろう。これはトルテに身を委ねるしかない。
「はい、それで大丈夫です」
「……かなり安く提案したけど、本当にいいの?」
「え……?」
安く見積もられてしまったらしい。でももう既に了承したので、仕方がない。
「はい。大丈夫です」
「じゃあ、十袋くれる?」
「はい。あの先程の手数料も、引いてください」
「いや、あれはいいよ」
「でも」
まだ言い募る伊織に、トルテは優しく微笑みながら首を振った。
その様子から、千ギルより領内へ入る手数料は高いのだとわかった。
「ギルドに行けば身分証を発行してくれるよ。その身分証を持っていれば、次回から領内へ入るお金は必要ないからね」
「はい、ご親切にどうも」
トルテは何かを書いた別の紙と、一枚の紙幣を差し出した。
「これが薬代ね。あと、これをギルドに見せたら身分証を発行してくれるから。手数料は1万ギルだよ」
ちょうど薬を買ってくれた金額と同じことに気付いた。だから十袋薬を買ってくれたのだ。その親切心に伊織は感謝した。
「あ、ありがとうございます」
「いや、本当はもう少し買ってあげたんだけど……。ごめんね」
伊織はぶんぶんと首を横に振った。
トルテ自ら街の入口へと案内してくれた。門の前は大きな通りになっている。
「この道をまっすぐに行けば右側にギルドがあるから」
「はい。何から何までご親切にありがとうございました」
「いや。ここに住む気はないっていってたけど、また来てね」
「はい」
伊織は手を振ってくれるトルテに頭を下げて、大通りを歩き始めた。