23話 交差する想いと刺客
相生さんのマンションから出ると、外はもう既に暗くなっていた。
スマホで確認する時刻は19時を少しばかり回ったところだ。
今から家に帰れば、冬香との数学の勉強も問題なくできる。
そう。何も問題なく……。
「………………」
視線を下に、とぼとぼと一人で夜道を歩く。
街灯も少ない住宅街の道を一人、とぼとぼと。
その間、ずっとさっきまでのことが頭の中を覆いつくしていた。
『ハル君、やっと会えた。私、ずっとハル君のこと、好きだった』
――相生……秋奈子……。
彼女は確かに俺にそう言った。
けど、最初は信じられなかったんだ。
見た目が違うのは何度も言ったが、名字も元々は相生なんてものではなかった。
――久木秋
軽く自分の名前を言い合った時、俺は確かにそう聞いたのだ。
今思い返せば、ぼそぼそと小さい声で彼女は俺に名前を言ってくれたから、下の名前を間違って覚えていたというのは反省点ではある。
だが、名字も見た目も違えば、気付けという方に無理がある。
『久木は前のお父さんの名字。お母さんが再婚して、それで相生に変わったんだ』
それでなんでまた俺たちは会ってしまったんだ。
神の気まぐれにも程があるだろ。……いや、もしかしたら相生さん自身が俺と再会するために仕組んだ、ということも考えられるのか。
「……くそっ……」
苛立ち、ちょうど足元に見えた小石を蹴とばす。
めちゃくちゃな状況を作り出してしまった自分、そして、あの一緒にノロノロケをしていた秋と再会し、彼女から面と向かって好きだと言われ喜んでいる自分に苛立ちを覚えた。
あれだけ好きだと想い続けていた冬香を、こうしてあれよあれよと諦め、それで終えてしまう。
果たしてそれでいいのか。
俺たちの積み上げてきたものは?
思い出は?
嫌われた理由すら聞かず、冬香以外の女の子に好意を寄せられてそっちに乗り換える。
そんなことがあっていいはずがない。
いいはずがないんだ。
「っ……!」
思い立ち、俺はその場から走り出した。
〇~冬香Side~
シュンの気を引くため、嫉妬させて好きだと言わせるため、私は現実にありもしないナツタロウいう偽装彼氏を作り出し、その自慢を露骨に行った。
今考えれば、そんな最低なことをして、自分の身に何か悪いことが降りかかってこないって方がおかしかったんだなと心の底から思う。
シュンに彼女ができたのだ。
そのことを告げられた時、頭が真っ白になった。
どうせ嘘でしょって真っ先に思った。
シュンは全然モテないし、他の女子と一緒にいるところだって見たことがなかったから。
……でも、一つだけ、そんな思いを壊す昔の出来事が記憶としてよみがえってくる。
小学5年生の秋、シュンは久木さんっていう女の子とよくゲームで遊んでいた。
私がまだギャルゲーとか、乙女ゲーに手を出す前の話だ。
私にとっては全然わからないようなシュンのゲーム話も久木さんは簡単についていき、それに同意することで楽しみを共有してるのだ。
寂しかった。
それまで、シュンの楽しいって思いを共有できるのは私だけだと思ってたから、それを簡単に奪われたみたいで、すごく寂しかった。
結果として、久木さんは少しして引っ越していったんだけど、もう二度とそんな思いをしたくなかった私は、シュンの趣味についていくようにして、ゲームを始めた。
強制でやるゲームなんてつまらない。
そう思われるかもしれないけど、そんなことはない。
ゲームはゲームで楽しかったし、私はシュンとのその一件を境に、趣味がゲームだと言えるようになった。
シュンの楽しいことは私の楽しいこと。
だって、私はシュンのことが好きだから。
……だから。だからだよ。
シュンに彼女がいるのか、本当に確かめなきゃって思った。
変な駆け引きとか、バカなことしてる場合じゃない。
思い切って聞くべきなんだ。
……けど、そう思い立った矢先のことだった。
「瀬名川さん。僕、瀬名川さんのことが好きだ」
場所は家の近くの公園。
昔シュンとよく遊ぶ時に使っていた、そんな公園だ。
そこで、私は目の前に立つ男子に告白された。
しかも、名前は――
「高岸夏太郎。僕の名前。高校一年の時から瀬名川さんのことが好きだったんだ。いきなり付き合ってくれとは言わない。よかったら、友達からお願いしたい」
――ナツタロウ。
いるはずのないナツタロウから、私は告白されてしまったのだ。
「……ごめんなさい。私、もう好きな人がいるから」
「……付き合ってくれとは言わないんだけど……。友達になる。これもダメ?」
「……友達……」
「うん。たまに声を掛けるくらいの権利、これだけでも欲しい」
ダメに決まってる。
私が彼氏だって言ってるのは、二次元の中のナツタロウだ。三次元の夏太郎、高岸君じゃない。
もしもこの人と一緒にいるところをシュンに見せたら、それだけで今後の希望はなくなる。
だから、私は首を横に振った。
告白してくれて、単純に仲良くなろうとしてくれている人を拒否するのは心苦しかったけど、それでも首を横に振った。
「……ごめんなさい」
「ダメ……ってこと?」
「……はい」
「なら、こう言ったら? 青山春也の彼女の秘密、それを教える」
「……へ?」
「瀬名川さんの好きな人ってさ、文系クラスの青山君でしょ?」
「え、そ、それ、なんで……!?」
「ははっ、ビンゴ。まあ、風の噂ってやつだよ。安心していいのは、別に不特定多数の誰かが噂してたってわけじゃないところかな。僕はとある奴二人が話してるのを聞いて、それを知ったんだ」
「だ、誰ですかそれ……!?」
「うーん、それはちょっと教えられない。聞いてる感じ、その二人も秘密にしとこうって雰囲気だったし」
高岸君は自分が優位に立ったのを悟ったのか、自信ありげに目を閉じて、顎に手をやった。
私の焦りは募るばかりだ。
「まあ、なんかさ、僕はとりあえずそういう類の情報を持ってる。友達になってよ。友達になってくれたら、話してくれる権利をくれたら、それも徐々にだけど教えてあげられる」
「……話すくらいなら別に友達にならなくたって……」
「いーや、それがあるんだ。気分的なもの。人間関係で打算的なだけのものって、僕好きじゃないんだよね。仲良くなりたいから話す。その大義名分がないと会話は途端につまらなくなる」
「……でも……」
「まあ、別に無理はしなくてもいいよ? 僕とどうしても距離を置きたいのなら、それはそれでいい。情報はシークレットなままなだけだ」
「……っ」
そこからだった。
私が三次元のナツタロウとちょくちょく会話をするようになったのは。
そうして日々はつらつらと過ぎていき、シュンにもその事実を隠しながら情報を得るために彼と接近した。
彼はなかなか私に情報を渡してくれなかったのだが、中間テストが一週間前と迫った時だ。
突如、高岸君から夜の七時頃に例の公園に呼び出された。
『大事な話がある。青山君のこと、しっかり話すよ。頃合いだ』
そうやって言われたから、仕方なくお母さんにコンビニに行ってくると嘘をつき、家を出たのだった。
〇~Cross Side~
今度こそ、今度こそしっかりと冬香に面と向かって聞くんだ。
ナツタロウのことを、本当に付き合ってるのかということを。
息が上がり、苦しくなっても俺は走る足を止めはしなかった。
一秒でも早く冬香に聞きたい。聞かなければいけない。
じゃないと……、俺は……。
そう思い、必死に、ただ必死に前へ前へと進んだ。
そして、ちょうど家の付近まで辿り着き、公園のところまで行った時だ。
いつもならこの暗くなった時間帯、人なんているはずがないのだが、人の影が見えた。
男子と女子の二人がいるし、カップルか何かか?
少しだけ視線をやり、すぐに目を離した時だ。
見たシルエットと脳内に刻まれている人間のシルエットが重なり、俺は息を止めるようにして足を止めた。
「……ふ、冬香……?」
口から声が漏れ、その人影を凝視した。
間違いない。冬香だ。
心臓が大きく跳ねる。呼吸するのが苦しい。
――と、そんなタイミングでだった。
「……え……?」
二人は互いの了承を得たかのように、ゆっくりと抱き合った。




