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八十七話目~モスマンの旅行者さん~

 さて、記者会見から数日後。俺は再び業務に戻っていたのだが……いかんせん、いつもとは勝手が違うものとなっていた。会うたびに体のことを聞かれるし、正直言って気が休まる時がない。

 俺が考えていたよりも人外化というのはリスクが大きいらしい。フランケンシュタインモンスターのような人造人外もいるにはいるのだが、当のメディアさんは両親が人外であったため、人間から直で人外になったわけではない。

 聞いたところによると、マスコミが注目していたのはそういうこともあってらしい。まぁ、適当に流してしまったが。

 しかし幸いだったのは、別の生物や人間の細胞や組織を使っているわけではないということだ。もしそうなっていればつぎはぎだらけで肌の色や体の大きさも違っていたはずだろう。

 今の俺の体は、体中に機械を埋め込んだような状態である。だから、外見的には変化はないし、パッと見は人間にしか見えない。だが、だからこそ怖いらしいのだ。問題が表面化しない分だけ、他者が気付きにくい。メディアさんもこまめな連絡をくれているし、なんだかとっても申し訳なくなってしまった。

「はぁ……」

 意図せずため息が漏れる。この体になったおかげで疲れを感じるということはそこまでなくなったのだが、心労というのはいつになってもつきまとってくる。俺はため息交じりに近くの公園のベンチへと座り込んだ。

 そろそろ寒さのピークも過ぎてきたおかげでだいぶ過ごしやすくなってきている。いや、サイボーグ化している俺にはもう関係ないかもしれない。寒暖差にも容易に適応できる体になってしまったのだから。

「ま、いいか」

 しかし、後悔はない。このような体になったことはもう仕方のないことだ。それに、人外化して半永久的な寿命を得たことは大きな収穫だ。これで俺の家族たちと、もっともっと長く過ごすことができるのだから。

「にしても、最近は静かだな」

 たぶん、例の人外もどきの件があったからだろう。急に日常へと戻ったら、その退屈とも言える平和に欠伸が出た。いや、むろんこちらの方が断然いいのだが、しばらくあちらに身を置いていたせいで感覚がマヒしているのだ。

「すぐに治るといいがなあ」

 俺は静かに目を閉じ、そっと息を吐いた。ふと空に目を向けてみると、そこにはぷかぷかと白い雲と――何やら、黒い物体が浮いていた。

「あ?」

 俺はグイッと前傾姿勢を取って、そちらを見やる。すると、その姿が徐々に鮮明に見えてきた。これは、サイボーグになった特典である。遠くにあるものでも、容易に見れるようになったのだから。

 よくよく見てみるとそれは……黒い、蛾のような生物だった。そいつはクルクルと旋回していたかと思うと、こちらに気づいたのか高度を下げてくる。俺は咄嗟に胸元に手を突っ込んで、ハッとする。

 これまではリボルバーを携帯していたが、今日は――いや、あの事件以降本部に引き渡していたのだった。俺は舌打ちし、サッと身構える。そうしている間にも、その生物は俺の眼前に着陸した。

 もうもうと上がる土煙から顔を庇いつつ、そちらを見やる。すると、ギラリと赤い目玉が光り、俺の方を見据えてきた。その有様に、俺はごくりと息を呑む。

 まさか、もどきか!?

「あ~ちょっと待って。警戒しないでちょうだい。争う気はないから」

 聞こえてきたのは、穏やかな口調の女性の声だった。その声の主は、トコトコとこちらへと歩み寄ってくる。その姿を見て、俺は眉根を寄せた。

 そこにいたのは、黒い体を持ち、蛾のような翼を持つ女性だった。その目は赤く光っており、頭には一対の触角が生えている。彼女が来ているのはこれまた黒いドレス。どれほど黒が好きなのだろうか?

「はじめまして。私は『モスマン』族のイオラム。あなたは?」

「四宮、夏樹だ」

「あっそ。ねぇ、そう身構えないでくれる? 私としてはただ観光に来ていただけなのだけれど」

「へぇ。どこから?」

「アメリカよ。あ、もちろんパスポートと人外用の渡航許可証は持っているわよ?」

 イオラムはそう言って肩を竦めてみせる。どうも、嘘をついているようには見えない。だが、彼女にはある不可解な点がある。

「なぁ、イオラム……って言ったよな? 君、その肌の色は何だ?」

「あぁ、これね」

 俺の発現は、別に人種――いや、人外差別的なものではない。

 なぜなら、彼女の肌の色は漆黒。モスマン族は、言ってしまえば蛾の系列に当たる。ここまで純粋な黒というのは、なかなかお目にかかれるレベルじゃない。レア度で言えば、ウチにいるグリと同じくらいだ。

「私はね、ちょっと特殊なの。突然変異って言った方が正しいかしら? 生まれた時から体の色がこんなだったのよね。おかげで、気味悪がられて嫌になるわ」

「……なるほど。ちなみに聞くけど、観光の目的は?」

「ん? 下見よ、下見。私、近々こっちに越してくるの」

 マジか……ずいぶん日本語は達者なようだけれど、大丈夫だろうか?

「何? 何か問題が?」

「いや、その……モスマン族を見たら、呪われるんじゃ?」

 その言葉を聞いて、イオラムは盛大にため息をついて頭を振った。

「それは迷信よ。私たちがそんな力を持っているわけないじゃない」

「しかし……」

「あのね。いいこと教えてあげる。もし私たちを見た人が死ぬなら、そもそも伝承なんて残らないでしょう?」

「それは……確かに」

 俺が頷くと、イオラムは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「ふふん。そんな偏見があるのもまだ問題ね。あなた、勉強不足なんじゃなくて?」

 彼女が見ているのは、俺の胸元だ。彼女は俺がコーディネーターであることをわかっているらしい。俺はそんな彼女に向かって、静かに語りかけた。

「いや、待ってくれ。モスマン族はかなり希少で、人前に出ないだろう? 情報が圧倒的に足りていないんだよ」

「……それには同意するわ。実のところ、私がこっちに来たのもそのことを知らせるためだしね」

「え?」

「あ、言ってなかった? 私、民俗学の教授をやっているの。で、今度ここの近くの大学に赴任するのだけれど、その前に来ておきたかったのよ。観光のついでだけど」

 人外は民俗学を専攻する奴が多いな。ピティもそうだったか?

 たぶん、自分のルーツというものに人間よりも興味があるのだろう。それはいいことだ。

 俺はポリポリと頭を掻いた後で、ぺこりと頭を下げた。

「なるほど。それは、すいませんでした。俺はてっきり、不法入国者かと」

「失礼な。こう見えてちゃんと手続きは踏んでるのよ」

「いや、ちょっと近頃は訳ありだったもので」

 俺の言葉に、イオラムはつまらなそうに唇を尖らせた。かと思うと、俺に向かってニッコリと笑みを浮かべてみせる。

「ああ、にしてもあなたに会えてよかったわ。初めて会った人間だもの」

「……いや、俺は人間ではないんだが」

「え!? でも、人間の匂いがするわよ!? とても美味しそうな……」

「やっぱり、警察に連絡しようか?」

 と、俺が携帯を取り出したのとほぼ同時だった。イオラムは顔を真っ青にしてひたすら俺に頭を下げてきたのは。

「ご、ごめんなさい! わかるでしょ!? 人外の観光客ってかなり立場が弱いのよ! 一発強制送還よ!」

「いや、そこまで必死にされると困るんだが……とにかく、俺は今はサイボーグだ。元、人間だったけどな」

「へぇ。訳ありみたいね。そこには踏み込まないけど、いいわ。とりあえず、お友達になりましょう?」

「それなら、喜んで。あぁ、そうだ。今度そっちの大学に俺の娘が行くんだ。よろしく頼むよ」

「む、娘!? 一体何歳なの!?」

 これがアメリカ生まれの素質か。

 俺はオーバーリアクションばかりを繰り返す彼女に呆れながらも、事の次第を事細かに話していくのだった。


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