八十七作目~セルケトの歌手さん~
季節はそろそろ春を迎えつつある。温かな日差しが葉の隙間から差し込み、穏やかな風が頬を撫でる。メンテを繰り返すことで人間的温度感覚を取り戻しつつあるせいか、春の陽気はとても気持ちがいいものだった。
俺はふとメモ帳に目をやり、今日の予定を確認する。これから行くのは、とある映画館だ。そこに勤めている人外と会う約束をしているのだが、いかんせん早く着きすぎてしまった。
俺は眼前に見えるアウトレットモールを見やって、小さくため息をつく。予定よりも早く来てしまったのは完全にこちらの不手際だ。たぶん、まだ向こうも準備ができていないだろう。とりあえず、どこかで時間を潰すとしよう。それが一番いいはずだ。
「さて、と」
とりあえずモール内へと足を踏み入れる。こうして見ると、すでに街は平穏を取り戻しており、モール内はかなりの人で溢れていた。当然のごとく、そこには人外たちの姿も見て取れる。誰もが幸せそうに笑っているのを見て、俺はそっと胸を撫で下ろした。
少なくとも、例の事件はすでに忘れられている。いや、彼女たちにはばれないように調査をしていたのだ。だから、これは俺の予想通りというべきか。いや、みんなの功績というべきものだろう。なんにせよ、この平穏が保たれているのならばいいことだ。
そんなことを思いながら、中庭にある椅子に腰かけた。そこには、とあるステージが取り付けられている。よくよく見てみれば、そこには今日来るであろうアーティストの姿があった。その姿を見て、俺はハッとする。
「人外も参加しているのか?」
ポスターには、人外らしきシルエットが描かれている。たぶん、これはハッタリではないだろう。おそらく、ちゃんとパフォーマンスを行うはずだ。
「時間は……っと。そろそろか」
ちょうど始まるところだったらしい。見れば、スタッフらしき人物たちが準備を行っていた。
まぁ、手持無沙汰で見ているのも忍びない。俺はそっと立ち上がり、自販機の方に歩み寄る。そこで炭酸を買ってから、再び椅子に腰かけた。その頃には、すでに機材も整っており、壇上に一人の女性――下半身がサソリの女性が立っていた。
その様相に、人々は物珍しそうに目を輝かせている。だが、中には不快感をあらわにしている人もいた。蟲系の人外は、これがあるのだ。外見で判断されてしまうことがあるのは辛いところである。
しかし、彼女は毅然とした調子で律儀に頭を下げた。彼女の右手にはマイクが握られている。
「はじめまして。『セルケト』族のゼリアと申します。皆さん、私の体を見てどう思いますか? たぶん、不快に思う人もいると思います」
彼女は、サラリと告げる。慣れているのだろう。しかし、それにしても穏やかな口調だ。彼女は妖艶な笑みを浮かべながら続ける。
「私がこうやって舞台に立つのは、その偏見をなくすためです。このような偏見や、差別のようなものはなかなか消えるものではありません。ですが、私の舞台を見て、少しでも人外に対する印象がよくなれば、と思っております」
その答えは……俺の理想と全く同じだった。
ともすれば、馬鹿な夢とも捉えられかねないだろう。しかし、彼女は胸を張って言ったのだ。言ってのけたのだ。その姿に、俺は敬意を抱く。
こんな人が百人もいれば、きっと人外と人間は共生できるようになるだろう。
「さて、前置きはそれくらいにして。それでは、よろしくお願いします」
彼女はぺこりと頭を下げ、尻尾を使って三味線の様な弦楽器を取った。馬頭琴、と呼ばれるものだと思う。彼女は手慣れた仕草でそれを構えた。
数拍おいて、奏でられるのは彼女の故郷のものと思われる流麗な音楽だ。民族音楽特有の緩やかでどこか懐かしい雰囲気を漂わせながら、彼女は歌を添える。それも、耳にするりと入り込んでくるような心地のよいものだ。
正直言って、彼女の国の言葉はわからない。しかし、音楽というのは心に届いてくるものだ。その綺麗なメロディはこちらの心を洗い流してくれるようなものだ。これまでの疲れがすべて吹き飛ぶようである。
……どれくらいの時間が経ったことだろう。数分だったような気もするし、数十分だったような気がする。久々に時間を忘れる、という経験をした。やがて演奏を終えたゼリアさんはぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました。もしよろしければ、私たち人外のことについてもっと知ってみてください。そして、よければ実際に会って話してみてください。私たちはこのような姿をしていますが、決して怪物ではありません。心を持ち、言葉を持っています。では、長々と失礼しました」
彼女が壇上を下りた直後、巻き起こるのは歓声だ。彼女の姿を見て、もう不快そうな顔をしている奴らはいない。誰もが、彼女に惜しみない拍手を送っていた。
気づけば、俺は彼女の方へと歩み寄っていた。おそらく、マネージャーと思わしき人物は俺を見て眉根を寄せる。しかし、俺はすぐに自らの名刺を取り出した。
「突然すいません。私は、このようなものです」
「まぁ、コーディネーターの。ですがあなたは……人外ですね」
ゼリアさんの言葉に、俺は小さく首を振った。
「いえ、元人間です。今は人外化手術によって体が変わっていますが」
「まぁ! やはり、噂のあの方だったのですね!?」
「……え? もしかして、噂になっているんですか?」
「いやですね。この前、記者会見を受けていたじゃありませんか」
「あぁ……そういえば」
あんな物言いをしたのだから、てっきりお蔵入りになったと思っていたが、キッチリ放送されていたのか。それはそれで複雑である。
「あのインタビューには感動しましたよ。大変でしたね」
「いえ、それほどでも。それより、先ほどの演奏すごかったです。有り体な言い方で恐縮なんですけど」
「いえいえ、そう言っていただけただけで嬉しいですよ。お互い仕事は違いますけれど、これからも一緒に頑張っていきましょうね。人外と人間が仲良く暮らせるように」
「もちろんです!」
そう答えたところで、マネージャーがゼリアさんにこっそりと耳打ちをした。彼女はそれを受け、苦笑を浮かべる。
「すいません。時間になってしまったようです。次の講演に行かねばなりませんので、ここは失礼します。またご連絡しますね」
ゼリアさんは俺の名刺をプラプラさせながら去っていった。俺もその後ろ姿を見送った後で、今日の用事を済ませに向かう。
なぜだろうか?
ほんの数分前より、ずっと気持ちが軽くなっているような気がした。




