十六話目~のっぺらぼうの運転手さん~
「にしても、今日は疲れたわね」
帰り際、ピティがそんなことを呟く。あれからしばらく探索を続け、解散したのはすっかり日が暮れてからだった。ピティはすでに疲労がたまっているらしく、足元がおぼつかない。あまり夜型の生活には慣れていないそうだ。それに、時差ボケもあるだろう。いささか急なスケジュールだと、いまさらながらに思った。
ピティは住宅街へとつながる道を歩きながら、周囲に視線を巡らせる。夜の街はネオンで照らされ、喧騒に包まれている。会社帰りのサラリーマンたちがゲラゲラと楽しそうに笑っていた。
「騒がしいわね……まぁ、いい所だけど」
「ピティのところは違うのか?」
俺の問いに、彼女はコクリと頷きを返す。
「まぁね。静かすぎるくらいよ。こことは違って」
彼女はそこでいったん大きな欠伸をしてみせる。もうずいぶん眠そうだ。やはり、無理をしていたのかもしれない。
俺はひとまず彼女をビルの影まで連れていく。ピティはもう夢現の状態だ。瞼は閉じかけているし、むにゃむにゃと寝言のようなものを呟いてもいる。体も揺れていて、落ち着かない。どこか休めるところは……残念ながら、なさそうだ。
「ちょっとごめんな」
俺は一旦彼女に断りを入れ、その体を抱きかかえる。驚くほどに軽い。身長は俺とほぼ変わらないくらいなのに……これは彼女が人外だからか?
などと思う俺をよそに、ピティはすやすやと安らかな寝息を立てていた。俺は彼女を起こさない様にそっと足を進めていく。すると、しばらくして大通りに出た。そこでは、かなりの数の車が行き来している。ここでタクシーを拾って帰るのが、最善策だろう。
俺は彼女を抱えたまま器用に右腕だけを上げる。すると、一台の黒いタクシーが俺たちの前で止まった。俺はすぐさま彼女を抱きかかえたまま中へと入る。
「こんばんは」
「あ、どうも……」
声をかけてきたのは中年の男性運転手だった。が、バックミラー越しに見える彼の顔が偶然にも視界に入り、俺はギョッと目を剥いた。
というのも、彼は――顔がなかったのだ。目も鼻も口もない、いわゆる『のっぺらぼう』だ。
唖然とする俺をよそに、彼は告げる。
「行先は?」
「え? あ……とりあえず、走っちゃってください。俺が指示しますから」
「はいよ」
彼はそのままタクシーを走らせていく。目がないのに運転できるのかと思ったが、中々に上手い。それこそ、俺よりも上手いくらいだ。伊達にこの仕事に就いているわけじゃないらしい。
しばらく俺がナビゲートをし、後は一本道を行くだけとなった。車はゆっくりと先へと進んでいく。
「ところで、お客さん。驚いたでしょ? 私がこんなで」
ふと、彼が語りかけてくる。俺は慌てて、頷いた。
「え、えぇ、まぁ。でも、私は一応コーディネーターをやっているので」
「へぇ……あんたもかい。なるほどねぇ……その子が、あんたのパートナーかい?」
その子、とはピティのことだろう。俺は黙って首を振る。
「いいや、この子は留学生ですよ。俺のパートナーは別にいます。と言っても、この仕事に就いてるわけじゃないですけど」
「そうかい。にしても、あんたも大変だろう? 俺たちみたいなのを相手にしてさ」
「とんでもない!」
思わず、俺は声を荒げてしまった。運転手さんは驚いてその場で飛び上がってしまう。
ハッとして横を見れば、ピティも不快そうに眉根を寄せていた。俺は少しばかり声のトーンを落として続ける。
「そんなことはありませんよ。俺は好きでこの仕事をやっているんです」
「物好きだねぇ……怖くないのかい? 俺の顔とかさ。お客さんの中には泣き出す奴もいるくらいだってのに」
彼は肩を竦めてみせる。顔がないので表情は読み取れないが、言葉の感じからするに少しばかり辛そうだ。彼も色々と苦労しているのだろう。人外が人間の社会で生きていくのはそう簡単なことではないのだ。
特に、男性の人外は苦労することが多いとも聞く。女性の人外は姿で惑わせるタイプも多いため、体も人間よりだ。が、男は違う。その種族本来の姿をとっている場合が多いのだ。
だからこそ、そういった人たちをサポートするために俺たちがいるのである。
「怖くはないですよ。というか、驚かせるのがあなたのお仕事でしょう?」
「そりゃあ……なっと」
彼はハンドルを左に切り、道路の端に車を寄せた。どうやら、すでに家についていたらしい。俺はすぐさま財布を取りだそうとしたが、彼はそこで、メーターをちょこっと弄ってみせ、わざとらしく両手を掲げてみせた。
「おっと、悪いな、お客さん。メーターが壊れちまった。これじゃ、お代が計算できねえや」
この人、嘘がつけない人だな。せっかくのポーカーフェイスなのに、もったいない。
俺はそんなことを思いながらも彼に一枚の名刺を渡し、ピティを連れて外へ出る。
「じゃあな、兄ちゃん。色々ありがとよ」
「こちらこそ。また、お会いしましょう。お仕事頑張ってください」
「そっちもな! あばよ!」
タクシーはすさまじい勢いで去っていった。俺はその後ろ姿を見送った後で、玄関へと向かう。すでに、中からは美味しそうなカレーの匂いが漂っていた。




