第一話 下山
ラニは魔女であった。彼女もまた、人里を離れて暮らしてはいたが、聖職者にはならずに生きている。聖職者を選ばなかった理由は明白で、彼女の周りに教会がなく、彼女の生まれた場所が頃合いの良い山小屋であったからだ。だから彼女は、その場所で自分の母親を看取った後も、山菜をとって暮らした。
ラニは人間の容姿で言えば、二十代の若々しく艶のある肌と髪を持っていた。しかし、彼女も他の魔女と同様に外見から考えられる年齢の五倍は生きている。しかし、正確には何歳かわからなかった。生まれて間もない頃は年齢を数えることをしていたが、母を看取ってからその後はその数を数えることに意味を見出せずに一二八を最後に辞めた。彼女にとって、年齢などは百歳まで生きることができない人間のためのものであり、永遠を生きるような心地のする魔女にとって一年前の今日と、十年後の今日の違いは、天候と気分くらいのものであった。
山で仙人のような暮らしをしているラニも、山を降りることがある。ラニは決まって年に2度、春一番の吹いた日とアケビの実が割れた日に、半日かけて山を降りる。寝食には困らない生活を送る彼女であっても、人里に降りなければ地図を書き換えてもらえないし、近隣諸国の情勢はわからないし、気に入っている作家の本も手に入らない。
その日は、綺麗に割れたアケビの実を二つ土産に山を降りた。山はすっかり秋色に変わり、野鼠が忙しなくかけずりまわり冬支度を済ませている。ラニは手に持っていたアケビを渡そうかと思ったが、これはポンさんへのお土産として摘んだものでありそれを適当に野鼠に渡されたりしたら、アケビも憤慨であろうし、何より彼らには少しばかり大きな実であった。
太陽の昇る頃に小屋を出て、人里を覗き見ることができたのは太陽が山の淵を撫でる頃であった。すっかり赤く染まった山を見て、紅葉のせいなのか夕焼けのせいなのかとラニは考えた。
麓の人里は、ネムロ村と呼ばれる。村という呼称はきっとこの村のためにあるのだろう、と彼女は村に着くたびにそののどかさに思わされる。ラニの降りてきた山に抱えられるようにあるネムロ村は、近隣の国の発行する地図の最西端に位置し「山菜の豊富な村」と書かれている。つまり、山の麓にある以上の魅力のない小さな村であった。
もし、ラニが魔女であることをその国で公言したならば、きっとその村は「魔女山の麓の村」と書き換えられてしまうだろう。
ラニが今日山を降りてきたのは、地図のためでも本のためでも情報のためでもなかった。そういう時はきまってポンという、歳の分だけ見た目も老いた爺さんというには若くて、でも村の中では年長者に入るくらいの、壮年の男の元を訪れる。
彼の店は村を縦断する通りから脇にそれたところにあり、大きな欅を目指して歩けば方向音痴のラニにも簡単に辿り着く。山に住む彼女は、山で迷うことはないけれどどうも人里の道というものが彼女の体なのか頭なのかには合わない。




