202 同じことを言うはずです
……忘れるわけがない。
女神に授けられた《時間跳躍》で跳んだ未来で、彼のことを知ったあの日のことを。
(デュカス……!)
そこにいたのは、オルタンシアの父であるヴェリテ公爵を執拗に殺めようとする蛇のように執念深い男――デュカスだったのだ。
「ベルナデット……ベルナデット!」
まるで熱に浮かされたように、デュカスはベルナデットの名を呼びながら一歩一歩こちらへ近づいてくる。
デュカスは危険極まりない男だ。
頭では逃げるべきだとわかっていても、その場に根が生えたように体が動かない。
彼が口にする「ベルナデット」とは、間違いなくオルタンシアの母のことだろう。
(まさか……私のことをママと間違えてるの!?)
確かに今日のオルタンシアは、いつにもまして大人びた雰囲気の装いをしている。
鏡で今日の自分を見た時も、「案外自分は母に似ているかもしれない」と思ったのだ。
だがまさか、こんなところでデュカスと遭遇し、母と間違えられてしまうなんて……。
(逃げ、なきゃ)
目の前の男は卑劣な手を使って母を手に入れようとし、それを阻止した父のことを恨み続けどんな手を使っても殺そうとするような人物なのだ。
どう考えても、オルタンシア一人で対処できる相手ではない。
オルタンシアは震える足を叱咤して、一歩後ずさった。
だがそれがデュカスを刺激してしまったのか、彼は一気に距離を詰めてきたのだ。
「待てベルナデット!」
「っ……!」
オルタンシアを逃がすまいとするように、デュカスの腕が伸びてくる。
とっさに目を瞑ったが、彼の手がオルタンシアに触れることはなかった。
「なっ……なんだ貴様は!」
デュカスの狼狽する声が聞こえ、オルタンシアはおずおずと目を開く。
オルタンシアに触れようとした彼の腕は、横から伸びてきた別の腕にがしりと掴まれ動きを止められていた。
「お兄様……」
思わず、オルタンシアは縋るように呼んでしまう。
デュカスから己を庇ってくれた義兄――ジェラールを。
「汚い手で触るな」
ぞっとするほど冷たい声で、ジェラールはデュカスに向かってそう吐き捨てる。
デュカスは一瞬怯んだように息をのんだが、すぐに顔を真っ赤にして怒鳴り返してきた。
よく見れば、彼の顔は赤く近づいただけで酒臭さが伝わってくる。
相当泥酔しているのだろう。
オルタンシアをずっと前に亡くなったベルナデットと誤認し、名門公爵家の跡取りであるジェラールに気づかないほどには。
「ふざけるな! ベルナデットは私のものだ! 貴様こそ何者だ! よくも無礼な真似を――」
「ヴェリテ公爵家の者だが」
ジェラールがそう告げた途端、デュカスはひゅっと息をのんだ。
オルタンシアはヴェリテ公爵家の名を聞いて退いてくれることを期待したが、現実はその逆だった。
「ヴェリテだと!? また邪魔をするつもりか!」
ジェラールの言葉を聞いて、デュカスは激高してしまった。
きっと、ジェラールには彼が何を言っているのか意味が分からないことだろう。
だが、オルタンシアにはわかってしまった。
過去にデュカスは卑劣な手段でオルタンシアの母であるベルナデットを手に入れようとし、それをヴェリテ公爵に邪魔されている。
二十年ほど経った今でも執拗にオルタンシアの父であるヴェリテ公爵を殺そうとするほどに、深く恨んでいるのだ。
「いつもいつも貴様は邪魔ばかり……! 貴様さえいなければ、ベルナデットが死ぬこともなかったというのに! この人殺しが!!」
「違います!」
オルタンシアは思わず声を上げていた。
デュカスの視線がこちらに向けられ、ぞくりと背筋に悪寒が走る。
だがオルタンシアは震える足を叱咤して、一歩前へ出た。
「下がっていろ」
すぐにジェラールがそう言って制したが、オルタンシアは退かなかった。
「いいえ、下がれません」
これだけ「家族」を侮辱され、黙っていることなどできやしないのだ。
「ベルナデット! お前はその男に騙されているんだ!」
怒気を滲ませた更にデュカスがにじり寄ってくる。
一瞬後ずさりしそうになったが、それでもオルタンシアはその場に踏みとどまる。
そして、まっすぐにデュカスを見つめ、口を開く。
「……私はベルナデットではありません。その娘です」
……おそらく目の前の男は、泥酔の影響か現在と二十年近く前の出来事が頭の中で混在してしまっているのだ。
彼の間違いを正すように、オルタンシアははっきりと告げた。
「ヴェリテ公爵……私のお父様を侮辱することは許しません。もちろん、彼を傷つけるようなことも。お母様がこの場にいたら同じことを言うはずです」
「娘、だと……?」
デュカスの視線がオルタンシアの頭のてっぺんからつま先までを這うように移動する。
ジェラールが舌打ちして、再びオルタンシアを自身の背後に隠すように引っ張った。
デュカスは信じられないような表情で、オルタンシアとオルタンシアを庇うジェラールを凝視している。
かと思えば、彼はいきなり狂ったように笑いだした。




