V22・招待
「母さん、ともちゃんに逢いたいわ」
それは突然だった。
そう、それは水曜日だった。
水曜日の夕食の時間に母親が言葉を発したのだ。
その夕食は、金目鯛の煮付けに南瓜の煮物、ほうれん草のお浸しと胡瓜と蟹の酢の物、味噌汁と御飯にお漬物という日本料理の中でも定番を絵に描いたようなメニューだった。
その夕食のメニューの金目鯛に、私が手を付けようと箸を伸ばした時だった。
母親は金目鯛を口に頬張りながら、平然とそう告げたのだ。
私は金目鯛から遠く離れたところで箸の動きを止め、母親の顔を見た。
母親は何食わぬ顔で、ご飯を頬張り味噌汁を啜っていた。
「な、な、なんだよ、いきなり!」
私は金目鯛に箸を伸ばしたまま、母親を睨んだ。
「いいじゃない、思ったことを言っただけよ」
母親は動揺もしないでパクパクと料理を口に運んでいる。
「ふーーん」
私は母親の言葉をスルーして、ようやく金目鯛を口に入れた。絶妙な甘味が口の中に広がった。
「美味いね」
私が感想を漏らすと、母親はすかさず言った。
「ともちゃんの料理と、どっちが美味しい?」
それは私の肺腑を「ぐぐぐぐっ」とえぐる質問だった。
だが、むせることもなく、何とかやり過ごせたのは幸いだった。
私のその様子を、母親は食事を摂りながらチラチラと見ていた。
私は母親の挙動を完全に無視して、とっとと夕食を平らげた。
「ご馳走様でした」
私がそう言って席を立とうとした時に、また母親の口が開いた。
「ねぇ、さっきの話、お願いね」
懇願する母親。
「ともちゃんを家に連れて来て」
そう言って、この場を去ろうとする私を引き止める母親。
「考えておいてよ。ねぇ、それくらいはいいでしょ?」
尚もすがるように懇願する母親。
「あぁ、分かったってば」
ぞんざいにそれだけを口にして、母親に背を向ける私。
「きっとよ!」
母親は私に念を押したが、私は無視してダイニングから出ていった。
しかし、私は母親の言葉などスッカリと忘れていた。
それも週末、私が知子のところに行こうとするその時まで。
「淳くん、あのこと、お願いね」
母親が珍しく、私が出掛ける時に声を掛けてきたのだ。
「あのこと?」
私は本当に分からなくて首を傾げた。
「ともちゃんを家に呼ぶって話」
珍しく母親は上機嫌に私に語り掛けてきたのだ。
「あ?……あぁ」
私は軽く受け流して、それ以上は応えずに玄関を出た。
「会ってどうするんだ?」
私は独り言ちながら知子の部屋へと急いだ。
私の腕を枕に横たわる知子。
裸体をシーツで包んで私にすがるようにして眠っている。
陽がかなり傾いて、窓枠の影がベッドにオレンジ色の菱形を映し出していた。
「起きてたの?」
知子は見上げて、眩しい夕陽を睨んでいる私に声を掛けてきた。
「あぁ」
気のない返答を知子に返す私。
「どうしたの?」
いつもと違う私の反応に知子は気取ったのだろう。珍しく突っ込んだ質問をしてきた知子だった。
「ちょっと、ね」
曖昧な返事をする私。それ自体が私らしくないのだが。
「何かあったのね」
相槌のようでそうでもない知子の言葉に、また曖昧に返す私。
「まぁね」
「うふふ。私に『教えて』って言って欲しい訳?」
知子はちょっと意地悪な顔をして私を見つめていた。
「ヒトが悪いよ」
私は知子を睨んだ。
「あははは。ごめんなさい。だって貴方がそう言って欲しそうな顔をしてるんだもん」
知子は無邪気に笑った。
無邪気に笑っている知子に私は近づいた。私から逃げようとする知子。けれども、私は知子の後から強引に抱き付いた。
そして耳元で囁いた。
「母さんが知子に会いたいって」
その瞬間、はしゃいでいた知子の動きが止まった。
長い沈黙のように思われたが、それはほんの一瞬だった気もする。
時が止まったような沈黙の後、ゆっくりと知子が私の方へ向きを変えた。
「お母様が……会いたいって?」
知子の顔に笑みは無かった。
私は何も言わなかった。
「そうなのね……会いたい訳ね……」
そう言って、知子は俯いた。
「会いたくなければそれでいいから。母さんにはそう言うから」
私は取り繕うように言葉を吐いていた。
「まだ会わなくてもいいと思うんだ、うん」
私はそう云う結論へと導こうとしていた。
だが、知子はそうではなかった。
何かを決意したように、キリッとした目を私に向けて言い放った。
「分かったわ」
知子の表情には決意のようなモノが感じられた。鬼気迫る迫力が知子から滲み出ていた。
「え? ホントに? いいのかい?」
私の方が気後れしていたくらいだ。
「えぇ、いいわよ」
引き締まった顔の知子を見るのは初めてだった。
「いつでもいいわ」
不敵な笑みさえこぼした知子だった。
「さぁ、夕飯の支度を始めるわよ。お母様より美味しいご飯を作らなきゃね、ふふふふ……」
知子は大胆に笑って寝室を出ていった。
次の月曜日の母親の朝食は、珍しく日本食だった。
白いご飯に白味噌の味噌汁で、具はワカメと麩。卵焼きに大根おろしに生卵に納豆。そしてメインはアジの開きだった。
私が食卓に着いた時、優しい声で母親は私に切り出してきた。
「おはよう、淳くん。あのね……」
私は卵掛けご飯を掻っ込んでいる最中だった。
「『招待』の件?」
私の言葉を聞いて、母親は味噌汁の碗を持ったまま身を乗り出してきた。
「そうそう! それで、どうなの?」
私はアジをつまみながら答える。
「いいってさ」
「え? あ? あ、そう。そうなの?」
私のあっさりした返答に母親は拍子抜けしたような感じだった。まるで「それはおかしい、変だ」とでも言いたげな母親の雰囲気であった。
「ところでさ」
私は母親に切り返した。
「母さんの言っている『ともちゃん』って、以前に話してくれた共同経営者である『真部由貴子』さんの娘さんのことなんだよね?」
私の質問に母親が答える。
「えぇ、そうよ」
母親の答えを受けて、私は更に突っ込む。
「だったら、その娘さんの名前ってのは『真部知子』って言うんじゃないの?」
私の質問に再び母親が答える。
「えぇ、そうなるわね」
私は、そう答える母親の顔を見てニヤリとした。
「そうなら、母さんのヒト違い、勘違いだよ」
私の言葉に母親の眉間にシワが寄った。
「えぇ? なんで? どうして?」
私は意地悪く、だけど自慢げに言った。
「だって、付き合ってるのは『有川知子』っていう名前だからさ!」
私が知子のフルネームを言った途端、母親は飛び上がるように立ち上がり、口をパクパクとさせ始めた。
「あ、あ、あり、あり、ありかわ、有川……有川ですってっ!」
そう言って母親は、その場に倒れて気絶したのだった。
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