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断罪イベントですか? ちょうど辞表を出そうと思っていたので助かります  作者: 秋月 もみじ


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3/10

第3話 それは猛毒ですよ、ドーヴィル様


フォルデン村に着いたのは翌日の昼前だった。


峠を越えると空が広くなった。王都では建物に切り取られていた空が、ここでは端まで全部見えた。ラヴェンドラ草の紫と、乾いた土の茶色と、冬の手前の草の枯れた色。


宿屋は一軒だけあった。年季の入った板張りの建物で、扉を開けると干し魚の匂いがした。主人に部屋を取り、荷物を置いた。


翌朝、薬草園を持つ農家を探した。


村の外れに、ベアトリスという老婆が住んでいた。前歯が一本欠けていて、笑うと顔中に皺が集まった。広い薬草園を管理しながら一人で暮らしていた。


「見学させてもらえますか」とわたしが聞くと、「ちょっと待ちな」と言って、軒下から大きな犬を追い払ってから「どうぞ」と言った。


◇◇◇


薬草園を歩いていると、カイルが「手伝います」と言った。


言葉が短くて意図が読みにくい人だったが、この場合の「手伝います」は、おそらく文字通りの意味だった。薬草を採ってくる、ということだろう。


「では、ラヴェンドラ草を。紫色の、これくらいの背丈の――」


「わかりました」


説明の途中で言われた。わかっていないかもしれないな、と思ったが、止める理由もなかった。


しばらくして、カイルが戻ってきた。


白い花の束を持っていた。


「……ドーヴィル様」


「採ってきました」


「それは猛毒ですよ」


間があった。


「……そうですか」


「銀葉草という草です。触れるだけなら問題ありませんが、煎じると神経毒になります。お怪我はないですか」


「ありません」


「それは良かったです」


カイルは白い花の束を地面に置いた。視線を少しだけ横に動かし、何かを確認するような様子だったが、何を確認したのかはわからなかった。固まっているということだけがわかった。


笑いたかったが、こらえた。


というより、なんというか、笑っていいのかどうかの判断がつかなかった。いや、判断の問題ではなく、笑うタイミングを見失っただけだ。


「覚えておくといい草の名前をお伝えしましょうか」


「……頼みます」


「ラヴェンドラ草、ミルトゥース、フォルカン草、それからこれが銀葉草です」


言いながら、棚に並べ始めた。気づいたら声に出していた。


「ずっとそれを言ってますね」


カイルが言った。


「え」


「薬草の名前を。さっきから、ずっと」


言われて初めて気づいた。声に出していたらしい。前世から続く習慣で、何かを整理するとき口が勝手に動く。データの整理も、在庫管理も、いつも声に出しながらやっていた。


「……癖です。気になりましたか」


「いえ」


短い答えだった。気になったから言った気もするが、気にならなかったから言っただけかもしれない。判断できなかった。


◇◇◇


その夜、初めてポーションの試作に成功した。


ラヴェンドラ草の解熱成分とミルトゥースの鎮痛成分を、低温で時間をかけて抽出し合わせる方法だ。前世の漢方の知識と、記憶の中にある薬草書の内容をかけ合わせると、理論上はうまくいくはずだった。


理論上と実際はよく違う。


それが今夜は一致した。


試薬瓶の中で、淡く青みがかった液体が安定した色に落ち着くのを見た。温度計の数字が目標値を保ち続けた。指で少量を取り、舌先でそっと確かめる。苦みと甘みのバランスが整っていた。


悪くない。いや、悪くない、どころではない。


胸の中で何かが動いたが、それを言葉にしようとすると形が消えた。


翌朝、試薬瓶を光にかざした。


確かめるように。もう一度だけ。


淡い青がそこにあった。揺れなかった。安定していた。


それだけのことだ、とわたしは思った。


◇◇◇


その日の夕方、商人の荷馬車が通りがかって、王都の話を置いていった。


文官たちが「薬価統一案の後継をどう進めるか」で紛糾しているらしい。引き継いだ資料の意味が分からず、誰が何を担当するかで混乱が続いているという話だった。


「お嬢さん、知り合いの話かい」


商人が笑いながら言った。


「いいえ」


わたしは首を横に振った。


嘘ではなかった。三年間いた場所だが、もうあそこに知り合いはいない。いたとしても、わたしの仕事ではない。


引き継ぎは終わっている。読んでもらえなかったとしても、それはわたしのせいではない。


カイルが宿の軒先に立って、夕日の方向を見ていた。何を見ているのかはわからなかった。ただ、その横顔は、別のことを考えているというより、何も考えていない、という顔だった。


「猛毒ではない草を、また採ってきましょうか」


振り返らずに言われた。


「……明日教えます。今夜は休んでください」


「承知しました」


カイルは宿の中に入っていった。


わたしは夕日を少しのあいだ眺めた。


フォルデン村の夕日は、王都より長く残る気がした。空が広いから、時間があるように見えるだけかもしれない。


いや、そうでもないか。ここでは時間そのものの流れ方が違う。王都の時間はいつも誰かに消費されていたが、ここの時間は今のところ、まだわたしのものだ。


明日も薬草を整理する。


それだけが、今夜の予定だった。

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