222 「隠してるのか?」
隣の看板娘酒場——
「返事はなかったの? 何か特別な表情でもしてた?」
柑々は汗をにじませ、エプロン姿でてんてこ舞いの厨房に立ちながら、雨間刻の報告を聞いていた。
「ありません。ただ日取りと場所を聞いただけです」
雨間刻は答えた。
「ちぇっ~やっぱり、あいつすぐに私の狙いを見抜いたわね。じゃあ……
『ちょっと! 八翼鶏は絞めないで、地下牢で飼っといて!』
ごめんごめん……で、羅刹教の戦力は探れた? 銀のK同盟が四つの城を取ってから、羅刹教みたいな大規模ギルドにはみんな敏感になってるの。六口が念を押してて……
『待って! その竜皇鯛は揚げないで、先に雪蜜に漬けて、あとで炙るの……って、雪蜜がどこにあるか知らないの!? あれ、私が五百竜貨でエルフの村から買ったやつなのよ……無駄にしたの!? あんた明日から来なくていいわ。十五竜貨の賃金はあとで払うから』
ごめんごめん……六口が言ってたのは……
『ちょっと、うるさい! 今忙しいんだから!』
六口が言ってたのは——」
柑々は一週間後の宴の準備で大わらわだった。熱気のこもる厨房に、雪より白い頬がほんのり紅潮し、化粧気のない顔立ちに自然な愛らしさを添えていた。
「六口弥生は、五十人以上のギルドは全部教皇城に呼べと言っていました。その間、極上の烈酒を振る舞って、全員を酔い潰せと。闘技大会に出なくても、攻城には参加できなくなります」
雨間刻は、柑々が言い切れなかった言葉を代わりにまとめた。
「えっ~覚えてたの~? 助かる! じゃあお願いね。えへへ……よし、ここからは私が腕を振るうわ! あんたたち、ゲームの外じゃ自炊もできないゼロなの!?」
柑々はぱっと顔を輝かせ、雨間刻にあっさり笑いかけた。
PVPはあまり強くない柑々だが、料理の腕はかなりのものらしい。慌ただしい厨房の中心で一人きりで指示を飛ばし、まったく乱れを見せなかった。
どくん、どくん。
雨間刻の胸の内で、何かが激しくぶつかっていた。
「う……」
柑々の背中を見つめたまま、彼はへらりと笑ってしまう。
柑々は突然バッグを提げて駆け戻り、黒松の鎧を一着、そっと取り出した。
「従者から、刻の鎧が壊れたって聞いたの。レア装備って修理費も素材も高いでしょう? だから競売所で新品を盗ってきてあげた。目立たないようにね~」
柑々は雨間刻の耳元に身を寄せてささやき、えくぼの浮かぶ微笑みを向けた。
「……あ、ありがとう」
その笑顔は雨間刻の鎧をすべて貫き、胸の奥まで甘く染みこんだ。
「うん! じゃ、また忙しいから。じゃあね」
柑々が振り向いて戻ろうとした瞬間、雨間刻は片手で引き止めた。
「今夜……その……時間があったら、裏庭で少し……軽く何か食べながら、話さないか?」
雨間刻はどもりながら尋ねた。
「今夜……あっ! 荒道一狼に狩りに誘われてた気がする~ごめん、もう戻るね!」
柑々は無邪気に笑い、彼の手をほどいて厨房へ戻っていった。
雨間刻の手のひらは急に空っぽになり、彼は寂しげに食堂を後にした。
「勘違いさせちゃ駄目よね……」
柑々は角の陰からこっそり雨間刻を振り返り、ぶんぶんと首を振ると、自分の料理人たちへ向き直って叫んだ。
「みんな、気合い入れて! 早く新メニューを考えてよ~!」
「はい、柑々様!」
数十人が一斉に食材の準備を始め、厨房は活気に満ちあふれた。
だが、その片隅では二人の料理人がこそこそと話していた。
「毒の準備はできたか?」
ドーンが声を潜めて尋ねた。
「ああ、見た目は無害そうだが、鼻が曲がるほど臭い」
春野玄は白い調理服の内側から、小さな緑色の液体を取り出した。
「じゃあ……まずは烈酒で酔い潰して、あいつらの意識がなくなった頃に毒を盛るってわけか?」
春野玄はいやらしく笑った。
「うん、それなら荒道一狼はきっと……」
ドーンは得意げに言った。
「ちょっと、無駄話してないで! ちゃんと働きなさい!」
柑々が二人の背後を通りながら叱った。
二人は慌てて頭を下げ、柑々に気づかれないようにした。
…
教皇城———
ドン!
ドン!
ドン!
奥の広間から、重い衝撃音が何度も響き、床の砂粒まで震えていた。
雨間刻が分厚い鉄扉を押し開けると、熱風が顔に叩きつけられる。
赤い閃光が走る——ドン!!
荒道一狼は拳一発で、優に十メートルは超える、装甲値五千の訓練用装甲ゴーレムを粉々に打ち砕いた。
「よぉ……で、例の件はどうなった?」
荒道一狼は雨間刻を見ると過負荷を解除し、気さくに歩み寄った。
「羅刹教からは返答なしです」
雨間刻は冷静に答えた。
「ふん~頭は回るみたいだな。ご苦労さん、ザコ長~」
荒道一狼は笑って肩を叩き、振り返って新たなゴーレムを呼び出す。
「申し訳ありません。商隊襲撃に関する情報は得られませんでした」
雨間刻は続けて報告した。
「はは~そりゃそうだ。あれは俺がやらせたんだからな!」
荒道一狼は軽く笑い、再びゴーレムに拳を叩き込む。
ドン!
「……理解できません」
雨間刻は眉をひそめた。
ドン!
「羅刹の流儀じゃ、PVPで勝って敬意を奪わなきゃ話にならねぇ。名乗って訪ねても、あいつらは見下すだけだ」
荒道一狼はそう言い、深く息を吸い込んでからもう一撃を放つ。
ドン~!
ゴーレムは崩れ始めた。
「………なぜ事前に教えなかった」
雨間刻は冷たく問う。
「お前、嘘つけないだろ。いい子ちゃんだしな~」
荒道一狼は嘲るように笑った。
ドン~ザラザラ!
さらに一体が粉砕される。
「だろ? 雨間ザコ長、お前……何か隠してるんじゃねぇか?」
荒道一狼は布で拳を拭きながら、大口を開けて近づき、茶色の瞳で探るように見据えた。
雨間刻はわずかに顔を逸らし、その視線を避ける。
「隠してるのか?」
荒道一狼は軽くヘルメットを持ち上げ、笑っているのに目は笑っていない表情で問いかけた。
「…………」
雨間刻は答えず、ただ睨み返す。
「はは~な? 図星だろ! ま、いいや! ご苦労だった!」
荒道一狼は豪快に笑い、領主ホールの奥へ戻っていった。
「………………」
...
ロシアサーバーの魔王制御室——
「プロメテウス……見てるか……」
セランは呆然と、目の前の圧倒的な光景を見つめていた。
「勝手に制御室の名前変えないでよ……ちゃんとして!」
ニフェトは困ったように言う。
「へぇ~お前ら、この映画知らないのか!? 今めっちゃ『異世界に踏み込んだ』って感じでテンション上がってるんだけど!」
セランは珍しく熱を帯びていた。
誰も反論しなかった。
なぜなら彼らも同じものを見ていたからだ——龍血島。
煉瓦色の大地、上が細く下が膨らんだ樽型の低木、血のように赤いバナナの葉が、まるでプラスチックの玩具のごとく枝にへばりついている。龍血島は原始植物に覆われた火星のごとき異様な景観を呈しており、討竜隊の姿はさながら宇宙探査隊のようだった。
島の周囲の海は黒く染まり、穏やかな波が赤い海岸へと静かに打ち寄せている。
「ナスティア様……あれは、おそらく……」
副長は不安を隠せずに言った。
「うん……見えた……行くわよ」
ナスティアは小さく頭を振った。龍血島からの“歓迎”は、まったく気分のいいものではなかった。
右手の砂浜には、四隻の巨大戦艦が沈黙したまま停泊しており、波に打たれている。
一番目の艦は見た目こそ無傷だが、船底にはびっしりと苔が生えている。
続く二番目は傾き始め、甲板には海藻と甲殻が絡みついていた。
さらに三隻目は舷側が激しく破損し、無数の穴が空いている。上陸前から激しい攻撃を受けたのだろう。
最も遠い一隻は完全に横倒しになり、船体は何か所も断裂していた。本来は頑丈なはずの船材も、海水を吸って黒ずみ、ぶよぶよに膨れ上がっている。海藻や牡蠣殻、海虫に覆い尽くされたその姿は、すでに自然へと還りつつあった。
「エレナ、スタス、ヨザフ、ディコン……」
ナスティアは近い順に残骸を指差しながら、その名を口にした。
その四人は猟竜団の船長であり、これらの巨大戦艦は彼らの艦隊の遺物だった。
ナスティアは画面を開き、思考を巡らせる。
「ナスティア様、猟竜団を送り出してからまだ三週間ほどです。なぜここまで急速に崩壊しているのでしょう?」
副長のカルロフが疑問を口にする。
「カルロフ、外洋はインスタンス領域よ。時間の流れが違う」
「はぁ!?」
魔王制御室で情報を盗み聞きしていたプレイヤーたちが、一斉に驚きの声を上げた。
ニフェトはすぐに画面を開いて確認する。
するとサーバー時間の横に「時間加速領域」が追加されており、それがより速い速度で進んでいた。
「こちらに与えられた猶予は?」
ひげ面のカルロフが問う。刻まれた皺は、歴戦の兵を思わせた。
「三日か四日ってところね。どのみち一秒も無駄にできない。五分後に上陸。残骸を調べて使える物資を回収する。NPC水夫は浜辺に残って野営。狙撃手は全員旗艦に残して警戒。このエリアでは密信が使えない。連絡は翼騎兵で伝達」
ナスティアは即座に指示を飛ばし、役割を割り振る。全員が整然と動き出した。
「ナスティア様……翼騎兵は……海蛇との戦闘で……」
カルロフは沈んだ声で言う。
「……わかった。上陸する」
…
猟竜団はついに龍血島の赤い砂浜へと足を踏み入れ、残骸へ向かって進み出した。
「俺たちも動くぞ!」
セランは一切ためらわず先陣を切り、自分の水蛍蜂を率いて内陸へ飛び立つ。
「待って――」
ブラミィは相棒の無謀さに強い不満を覚えた。
「待つかよバカ! 新世界が俺たちを呼んでるんだ!」
セランは振り返りもせず飛び去った。
「アンドリア様、ご指示を」
ブラミィは真剣な声で問う。
「行きなさい。くれぐれも気をつけて」
アンドリアは言った。
二十匹の水蛍蜂、全機出撃。
魔王プレイヤーたちは視界を共有できる。
セランとブラミィの目を通して、全員がまるで自分で龍血島に上陸したかのように探索へ参加していた。
「ロシアサーバーのプレイヤーについていったほうが安全じゃない?」
ニフェトが尋ねる。
「まずは自力で探る。こちらは水蛍蜂の数も少ないし、条件が違う」
六口は画面を食い入るように見つめながら答えた。
…
荒道一狼、最近かっこよさ増してない? (〃▽〃)




