第10話『温厚篤実』
【星間連合帝国 クリオス星 アプリーゼ邸 地下室】
<PM15:13>
組んでいる脚のつま先に天窓から一筋の光が差している。窓から漏れる海陽の光の位置から察するに、もうすぐ夕暮れ時だろう。そんな事を思いながらエヴァ・アプリーゼは人の気配を察知して扉の方に視線を投げた。
彼女が視線を向けてから数秒後、内側から厳重に閉ざされている扉が開き、見慣れたフマーオス星人の女性が足を踏み入れてきた。
「フィル」
「どう? 調子は?」
入室してきた親友であり恋人でもあるフィルディクナ・ブルートゥは相変わらず整った容姿で微笑む。エヴァはゆっくり立ち上がると、二日ぶりに出会ったフィルディクナと抱き合って唇を重ねた。するとフィルディクナはエヴァと抱き合ったまま申し訳なさそうに潤んだ瞳を浮かべた。
「ごめんなさいね。本当は私ももっと通いたいのだけど……」
「貴女には色々お願いしているんだからそこまで頼れないわ。何より、こうして来てくれるからこの生活にも耐えられるのよ」
「監置から一年か……お義父様のご意見に逆らってからもう随分になるのね」
フィルディクナの言葉にエヴァは小さく微笑むと彼女をソファに誘導して二人で腰を下ろした。
「父上の事よ。まだ私の処置を解くつもりは無いでしょうね。何より、今この幽閉が解かれても私は意見を変えるつもりは無いわ。この軍事惑星であるクリオス星が内乱時にどちらかに付く……それは危険な事であるという事は私たちが子どもの頃から教わってきている事なのだから」
「そうね。あ、そうそう。少し待ってもらっていたのよ。ちょっとだけ貴女と二人の時間が欲しかったから、お一人だけど多少は協力してくださる方が見えたわ」
フィルディクナはそう言って立ち上がると歩き出し扉を三回ノックする。すると再び扉が開かれると、そこに目を見張る人物が現れた。
「お嬢様、お久しゅうございます」
「コウチさん……」
姿を現した壮年の男……それはこのクリオス星の副知事であり、エヴァの父であるミドガルド・アプリーゼの片腕と呼ばれるコウチ・ハルフだった。
コウチは相も変わらず普段着から鎧のような装いであり、彼はガチャガチャと音を立てながらエヴァに歩み寄ってきた。
「驚きましたぞ。フィルディクナ殿からお話を聞いた時は」
「私が情報収集をしているという事に?」
「そのような事ではありません。お嬢様に思い人がいらっしゃったことにです。それが同性であれば尚更ではありませぬか」
「旧い人種は嫌いと私は常日頃から貴方に言っていたはずよ」
同性愛を否定されたような言葉にエヴァは思わず眉を顰める。しかしコウチはまるで子供を諫めるように、そして彼女の心を見透かしたように小さく笑いながら首を振った。
「何を仰るやら……あの小さい頃から射撃と正義学にばかり偏っていたお嬢様が人並みに恋をしている事に驚いたのです。……お嬢様、あのような発言一つで同性愛否定と捉えるは浅はかですぞ?」
「……失礼したわ。貴方には色々教わったのに肝心な所を学べていないのが私の悪いところね」
謝罪と感謝の言葉を口にしながらエヴァは改めて冷静さを取り戻した。
目の前のコウチという男はこのような堅物そうな外見に反して話は通じる。エヴァはそう思いながら彼の後ろでニコニコしながら立っているフィルディクナに視線を投げた。フマーオス星人は他の種族に比べてB.I.S値が低い……それでも彼女の直観力には目を見張るものがあった。そんな彼女がここにこの男を連れてきたとなれば、何かしらの情報があるのだろう。
「コウチさん。私は今や捕らわれの身と変わらないのはご存じのとおりよ。でも今この帝国がどうなっているかというのは理解しているつもり」
「でしょうな。そちらのお嬢さんからお聞きしているでしょう」
「その上で、私は今起きている内戦を止めなきゃならないと思っているわ」
「しかし、クリオス星は軍事惑星。此度の内戦によっては帝国内でも大きな影響力を示すチャンスとなりましょう。我々の武力はそれくらいの意味があるのです」
コウチの言葉にエヴァは小さく首を振った。
「私はクリオス星に生まれたスコルヴィー星人として幼い頃からずっと考えてきたわ。貴方に教わった武術、この恵まれた身体、そしてクリオス星なら常識ともいえる戦術戦略の授業。小さい頃から男子であろうと私に敵う者はいなかった。だからこそ武力の扱い方というのは慎重にならなきゃいけないとずっと思っていたの。私たちにはそれを見極める義務と責任があるのよ」
エヴァの言葉をコウチは黙ったまま微笑み、時折小さく頷きながら聞いていた。
どれほどの時間が過ぎただろうか……やがてコウチは何か納得したように再び口を開いた。
「お嬢様、ご立派になられましたな。教育させていただいた身としては誇りに思わずにいられませぬ。それで? お嬢様は今何をすべきとお考えですか?」
「テロリストである戦皇団と宰相派に会談の場を作るわ。それが出来るのはこのクリオス星とアイゴティヤ星くらいでしょう。アルバトロス・ガンフォールに依頼できれば簡単だけれど、彼を動かすには私たちでは力が足りない。となれば一つ。私たちがダンジョウ=クロウ・ガウネリンと接触するしかない」
「粗削りですがごもっともですな。分かりました。一つお話ししましょう。現在、戦皇団はレオンドラ星、カルキノス星を掌握したという情報が入っております」
「あら、私の父はライオット・インダストリー社に勤めていますの。大丈夫かしら……」
コウチの言葉に反応したフィルディクナは少し不安げな表情を浮かべるが、コウチはニッコリと微笑んだ。
「戦皇団は侵略行為といった下劣な事は行っておりません。各星のアリータ=アネモネ・テンペスト知事、アンドリュー・レオパルド知事が協力しているとの情報があります。そのため惑星名が戦地になるようなことは殆ど起きておりません」
不要な解説を挟みながらもコウチは嫌な顔一つせずに話を続けた。
「それらの情報を基に宰相派で話し合った結果、戦皇団の次の目的地はフマーオス星ではないかという結論に至っております。これは宰相の御子息であるあのコウサ殿が導き出したとか」
「じゃあフマーオス星に行けば戦皇団に会える可能性が高いってことですね」
フィルディクナがまたしても口を挟む。その様子から先程まで高度な話には入れなかったことに少し疎外感を感じているのではないかとエヴァは思った。
顎に手を添えてからエヴァは小さく考える。目元には自身の指が見える。モデルのように長身痩躯な自身の姿が脳裏に過る。そんな当たり前の事を思い浮かぶときは得てして答えが決まっているときだった。
「フィル。船を用意しておいてもらえる?」
「分かったわ」
フィルディクナは勢いよくそう返答すると踵を返して部屋から飛び出してく。そんな彼女の後姿をエヴァと同じく見送っていたコウチはゆっくり振り返って来た。
「お嬢様、どうなさるおつもりで?」
「決まっているわ。ダンジョウ=クロウ・ガウネリンに会いに行く。そのためにここから脱出させていただくわ」
先にも述べたようにコウチ・ハルフは父ミドガルド・アプリーゼの片腕である。謂わば体制側の重鎮と言っても他ならないだろう。しかしエヴァは彼に隠し事をする必要は無いと感じ取っていた。
「そのような事を副知事である儂に話して良いと?」
「私は副知事ではなく、コウチおじ様とお話ししただけよ」
自分でも臭いと思いながらエヴァは小さく口角を上げるとコウチも同じく苦笑する。長い年月を共に過ごした子弟にはそれ以上の言葉は不要だった。