20-7 カマクラと鎌倉
いつもの第三資料室──ボドゲ部(仮)の仮の部室に戻ってきて、最初にやったことは隣を見上げることだった。
いつもみたいに角くんが隣にいて、ほっとする。
角くんもわたしを見て、目が合ったらほっとしたように微笑んだ。なんだか、すごく久し振りに会うような、変な気分だった。
「お疲れ様」
なんてことない角くんの言葉なのに、ずっとタブレット越しに会話してたものだから、なんだか急にどうして良いかわからなくなって、わたしは何も言えずにただ頷いた。そして俯いたまま長机の上を見る。
さっきまでは顔を見られたら良いのにって思っていたのに。自分でもなんでかわからなくて、落ち着かないまま広げられたゲームボードを眺めた。
わたしの思い出ボードには、『抹茶ソフト』と『あんみつ』の食べ歩きコインが並んでいる。その下には観光地コイン。
最初は『長谷駅』だった。江ノ電の写真を角くんに送ったっけ。それから『高徳院』で大仏様を見た。『長谷寺』は紫陽花が綺麗だった。
次の『北鎌倉駅』は角くんが『観光』して写真を送ってくれた。それから『明月院』の丸窓の写真も。『報国寺』は竹林、『若宮大路』は桜。
最後の『建長寺』で、角くんは座禅をしたって言ってたっけ。
眺めれば鎌倉の思い出が蘇るそれは、確かに思い出ボードって名前がぴったりだ。
「青の観光地が駄目ってなったときに、すぐに切り替えて考えられたのが良かったよね。あれで勝てたんだと思うよ」
角くんがそう言いながらメインボードの『報国寺』に指を置いた。
「でも、あの時は悔しくて……すごく悩んじゃったし」
「それでも、ちゃんと気を取り直して『若宮大路』に行けたよね。その次のことまで考えて動けていたし。あのプレイは、良かったと思うよ」
角くんの指が地図の線を辿って『若宮大路』に辿り着く。そこには赤い駒が置かれていた。
「あれは……角くんが」
「うん?」
角くんが首を傾けてわたしの顔を覗き込む。わたしはまた俯いて、角くんの指先を見た。
「角くんが、わたしが悔しいって言ったの、ちゃんと聞いてくれたから。だから考えられたんだと思う」
「まああれは、俺も悔しかったから。それに、変な言い方だけど一緒に悔しがることができたの、俺は嬉しかったよ」
角くんの言葉に視線をあげると、角くんはいつもみたいに穏やかに微笑んだ。
それでわたしは、今回はちゃんと二人で遊べたんだって思うことができた。わたしだけじゃなくて角くんも、二人ともプレイヤーで、二人でどうするか考えて、二人で悔しがって。
ずっと別行動だったけど、わたしたちは二人でプレイヤーだった。
「今回は俺の方がプレミしちゃったし」
「プレミってプレイミスってことだっけ。そんなこと何かあった?」
角くんの指先が、地図の左上の『北鎌倉駅』を指す。そこからすぐ隣の『円覚寺』に移った。
「最初の方で『円覚寺』に移動したけど、あれは余計だったなって。無理に移動する必要なかったのに」
「それはでも、あの時点だとそれが良いってわたしも思ったんだし」
そうだ、あの時はまだ『長谷コレクター』が達成できるかもわからなかったし、『奥鎌コレクター』を目指す可能性だってあったし。
後から思えば『観光』もせずに『北鎌倉駅』に戻っただけだけど、そんなのあの時にはわからなかった。それに、最終的にそうするって決めたのはわたしだ。
「でもさ、あれで手数二つ無駄にしたなって思っちゃって。ほんとごめん」
「結果的にはそうかもしれないけど。でも、勝てたのだって、角くんがいろいろ言ってくれたからだし」
「それを選んだのは瑠々ちゃんだよ。瑠々ちゃんが選んで、それで勝ったんだ」
その言い方に、わたしは角くんを睨みあげた。
「わたしは、角くんもプレイヤーだったと思ってるよ。角くんとわたしの二人で赤のプレイヤーで、一緒に遊べたって、そう思ってるから」
わたしの言葉に、角くんはぽかんとした顔をした。
「それは……でも」
「確かにわたしが操作してたけど、でも今回はずっと二人で相談して遊んでたよね?」
角くんがその大きな手で口元を覆って、わたしから目を逸らす。その耳元が赤く染まっているのが見えた。
「そうかも。ありがとう」
「わたしもありがとう。勝てて嬉しい」
「うん、俺も。楽しかったよ、すごく楽しかった」
角くんの「楽しかった」という言葉が、すごく嬉しかった。
ちゃんと楽しかったし、楽しいゲームだった。楽しく遊べた。わたしもそう思っているから。
「わたしも楽しかった」
わたしがそう言えば、角くんはまだ口元を覆ったまま、それでも視線だけわたしの方を向いて、それから嬉しそうに目を細めた。
二人で「ありがとうございました」と終わりの挨拶をして、散らばったコインや駒やボードを片付ける。
「楽しかったけど、心残りもいくつかあるな」
食べ歩きコインを集めていたわたしは『パンケーキ』のコインを摘み上げて、そう漏らした。
角くんがわたしの手元を見て、ふふっと笑う。
「そうだね。全部を『観光』できたわけじゃないし。猫寺も行けなかったし。瑠々ちゃんはやっぱり『パンケーキ』?」
「別に『パンケーキ』だけってわけじゃないけど」
わたしは唇をちょっと尖らせて『パンケーキ』のコインを小袋に入れる。それからまた口を開いた。
「でもそうだね。次に遊ぶなら『パンケーキ』は食べてみたいかな」
「あ、待って」
角くんの声に動きを止めて振り向いた。思いがけず、真剣な顔をした角くんがまっすぐにわたしを見ていた。
「あの、もう一度遊ぶのでも良いんだけど、でも、次に遊んでもきっと……別行動になっちゃうんじゃないかって思って」
角くんが突然何を言い出したのかと、わたしは瞬きをして首を傾けた。慌てたように角くんが言葉を続ける。
「あ、いや、その、ごめん。瑠々ちゃんが『また遊びたい』って思ったら、もう一度ボドゲの中に入っちゃう気がして。いや、えっと、もう一度遊ぶのが嫌ってわけじゃなくて、きっと楽しいとは思うんだけど。でも、そうじゃなくて」
一瞬だけ、ためらうように角くんの視線が揺れて、またすぐに戻ってきた。そのまままっすぐにわたしを見たまま、角くんがゆっくりと口を開く。
「せっかくなら、実際に鎌倉に行くのはどうかと思って」
「実際に?」
「そう。鎌倉なら日帰りで行けそうだから。全部は見て回れないとは思うけど、でも、パンケーキだって食べられるかもしれないし」
「それって……角くんとわたしで鎌倉に行くってこと?」
「その、そうしたら、ゲームと違って一緒に見て回れるって思って。瑠々ちゃんが、嫌でなければ、だけど」
「えっと……嫌、ではない、けど」
そう、嫌じゃない。今までだって、こんなふうに角くんと出かけることは何度かあった。
それに、ゲームの中の鎌倉で、角くんが一緒だったら良いのにって、何度も考えた。だから別に、嫌じゃない。
だというのに、わたしは何をためらってるんだろう。
「良かった。じゃあ、日程決めようか」
わたしの「嫌ではない」という言葉に、角くんがほっとしたように笑って、スマホを取り出した。
混乱したままのわたしは角くんの言葉にただ頷いて、そのうちに気付けば日程も待ち合わせ場所も何もかも決まっていた。
「ゲーム中ずっと、一緒に観光できたら楽しいだろうなって考えてた」
角くんはそう微笑むと、片付けを再開した。
わたしはまだ混乱中で、観光地コインを拾い集める角くんの手をぼんやりと眺めていた。
一緒だったらって何度も思った。角くんだって言ってた。でもそれって、つまり、一緒にいたいってことじゃないだろうか。
角くんがわたしを鎌倉に誘うのは、わたしと一緒にいたいから?
だったら、角くんと一緒だったら良かったって何度も思ったわたしも、角くんと一緒にいたいってこと?
鎌倉に一緒に行くってつまり、そういうことなんだろうか。
それ以上を考えるのは、怖くなってやめてしまった。でも、なんだかもう手遅れなのかもしれない、そんな気がしている。
どうしよう、どうしたら良いんだろう。角くんは、どう思っているんだろう。
ちらりと隣を見たけど、優しい手付きでカードをまとめて片付ける角くんの表情はもうすっかりいつもの通りで、何をどう思っているのかはわかりそうになかった。




