19-7 夏祭り
夏休みが終わって、点数計算が始まった。まずはみんなで宿題を見せ合う。
「わたし、間に合わなかった」
しょんぼりとそう言ったマイちゃんは、二十二ページでマイナス三十点になってしまった。
ナオくんはぎりぎり終わらせて二十五ページ。わたしは二十六ページで二点、八降くんは二十八ページで六点。
なんとユッコちゃんとケンくんは三十ページ終わらせていた。十点と【全てを予習せし者】の称号を手に入れていた。
それから、ハートの数を数えることになる。いきなりわたしの名前が出てきて、なんだか急に恥ずかしくなった。ただのゲームでただの点数だって、わかってるつもりなのに。
「ルルちゃんのハート、わたし七つ!」
ユッコちゃんがそう言ったあと、八降くんが手を挙げた。
「九つ」
そう宣言した八降くんは、妙に真面目な顔をしていた。何か覚悟でもしてるかのような。
「他にいなければ、俺が十点」
それ以上は、もう誰も何も言わなかったから、わたしのハートの十点は八降くんのものになってしまった。
八降くんと目が合ったけど、どうして良いかわからなくて、すぐに俯いてしまった。
ナオくんのハートは、ケンくんが七つで一番多かった。だから十点はケンくんに。
ユッコちゃんのハートは、ナオくんとマイちゃんが六つずつだった。一番多い人が二人以上いたら、その人たちに五点ずつになるらしい。だから、ナオくんとマイちゃんに五点ずつ。
マイちゃんのハートは、ユッコちゃんが七つで一番多かった。ケンくんのハートはナオくんが七つで一番。
そしてヤツフルくんのハートを比べる番、わたしはそっと声を出した。
「えっと、六つ」
八降くんにハートのシールを貼っていたことを言うのが、やけに恥ずかしい。だって、ハートの数で一番になるって、それってなんだか──なんて言うか──。
「俺、七つね」
ケンくんがそう言って、手を挙げた。それで、ケンくんに十点。
わたしはほっとして、体の力を抜いた。そっと隣を見ると、八降くんはちょっと眉を寄せてわたしの顔を覗き込んでくる。
「残念だったね、十点」
「えっと、そうだね」
「瑠々ちゃんは……」
何か言いかけてた八降くんは、そこで口を閉じるとふいと前を向いてしまった。
その八降くんの横顔は、なんでか悔しそうだった。
称号の点数と、宿題の点数、ハートの点数を全部足して、最終的な点数になる。
一番少なかったのはマイちゃんで、百四点だった。宿題のマイナス三十点がかなり響いている。宿題の点数はやっぱりかなり大きい。
次はナオくんとユッコちゃんが同点で、百三十二点。それから、ケンくんが百四十点。
そして、わたしと八降くんは──。
「俺はカレンダーが百九点、称号が四つで十六点、宿題が六点、ハートが十点」
「わたしはカレンダーが百十四点、称号が五つで二十五点、宿題が二点で、百四十一点」
「あ、俺も」
「え」
八降くんの声に隣を見る。
「俺も百四十一点、同点だ」
そう言って笑う八降くんに瞬きを返して、でも何を言って良いかわからなくて黙ったまま、気付いたらもう第三資料室だった。
開いた窓から風が吹き込んできて、白いカーテンが揺れた。
目の前の長机には、夏休みの予定が描かれたカードが散らばっている。それから、夏休みの予定で埋まった『カレンダーシート』。宿題の進み具合とハートが並んだ『ひみつシート』。
点数計算を思い出して、隣を見る。同じくらいの高さだった肩は、今はもう座っていても高さが違う。見上げないと目が合わない。
小学生の八降くんじゃなくて、いつもの角くんだ。
角くんが、わたしを見下ろして小さく呟くような声を出した。
「瑠々ちゃん」
名前を呼び合うのは、ゲームだから。角くんがそう言ったのに、角くんがゲームの中みたいにわたしの名前を呼ぶ。ゲームはもう終わったのに。
角くんは当たり前だけど声変わりしていて、だからわたしの名前も小学生の八降くんの声とは違う響きで聞こえた。
それでも、わたしは夏休みの思い出──それは全部ゲームの中のことだけど、八降くんと一緒に遊んだことや、わたしの手を引いて歩く八降くんの姿を思い出してしまう。
動揺して、わたしは返事をしそびれてしまった。ただ黙って、妙に真剣な表情の角くんを見上げていた。
しばらくそのままでいたけど、ふいと、角くんが視線を逸らした。
「ルール、確認しようか」
角くんは、さっきまでの沈黙をなかったことにするように、明るい声で、いつもみたいに穏やかに機嫌の良い顔で、そう言った。
「ルール?」
わたしはなんだかまだ動揺が残ったままで、角くんが何を言っているのか、すぐに理解できなかった。
「同点のときのルール」
角くんの手がルールブックを持ち上げて開く。広げて、視線を動かして、やがて「あった」とルールブックをこちらに向けた。
そこには「総得点が最も多かった人がゲームの勝者となります」と書かれていた。角くんの指が次の文章をなぞる。
「『該当者が複数いた場合は、勝利を分かちあってください』だって」
「つまり、どういうこと?」
「二人とも勝ちってこと」
「それで良いの?」
「そういうルールだからね」
なんだかまだ実感がなくてぼんやりと角くんを見上げれば、角くんはふふっと笑った。
「だから、今回は二人とも勝ち」
「二人とも……そういうのもあるんだね」
「ゲームによってはね」
「二人とも勝ち……そっか」
角くんに勝てたわけじゃないのか。勝てたのは嬉しいけど、でも──。
「もしかして、単独で勝ちたかった?」
角くんに言い当てられて、そんなにわかりやすい表情をしていたのかと恥ずかしくなる。照れ隠しに唇を尖らせた。
「せっかくなら、と思って」
角くんはわたしの『カレンダーシート』を指差した。カレンダーの下の、称号が並んでいる部分。
「称号を五つ集めたのはすごかったよね」
その指先が『ひみつシート』の宿題に移る。
「宿題のマイナスもないし。だから、あと点数を上げられた可能性で言えば」
角くんの指先が、『ひみつシート』のハートの欄、そこに書かれた「ヤツフルくん」の名前を指した。
「ハートの点数があれば、単独トップの可能性はあったよね」
「それは……そうだけど」
ゲームだと割り切ってしまえたら、きっともっとハートを増やせたと思う。でも、八降くんとの夏休みの思い出をゲームだと割り切るのは、わたしにとっては難しいことだった。
一緒に遊びに行ったこと、笑い合ったこと、手を引かれて歩いたこと。夏の日の思い出は全部ゲームの中のことで本当のことじゃないのに、なんだか小学生のときに本当にそんなことがあったような気さえしてくる。
こんなにはっきりと思い出とくっついているのに、どうやったらゲームだからって割り切ることができるんだろう。
困って俯いたわたしに、角くんの声が降ってくる。
「俺はもっと欲しかった、かも、ハート」
その声はとても小さかったし、角くんもそれ以上何も言わなかったから、どういう意味かなんてわからない。
二人で向かい合って「ありがとうございました」と言い合って、今度こそ本当にゲームが終わった。
サイコロをしまって、ルールブックをしまって、鉛筆やカードもまとめてしまう。
ゲーム結果の『カレンダーシート』と『ひみつシート』は、それぞれで持って帰ることになった。今日の夏休みの思い出に。
わたしは二枚のシートをノートに挟んでリュックにしまい込んだ。
そして戸締りしての帰り道。夏の夕暮れはまだ遠い。
いつもと同じで、角くんは歩幅の違うわたしを気遣って、ゆっくりと歩いてくれた。見上げないと表情がわからないのもいつもの通り。わたしたちはもう小学生じゃない。
ふと思い出したみたいに角くんが言う。
「来週の夏祭りって、もう予定あったりする?」
来週の、とカレンダーを思い出して、角くんの言っている夏祭りの存在を思い出して、首を振った。
「特に、今のところは何も」
「じゃあ」
まるで、言うことを決めていたみたいに、角くんはその言葉を口にした。
「一緒に行かない?」
「お祭りに?」
「そう、その……もし嫌じゃなければ」
「嫌ってわけじゃない、けど」
そう、嫌だってわけじゃない。でもそれって、一緒に行きたいってのと同じ意味だっけ。
ようやくそんなふうに考えられるようになったときには、わたしはもう、角くんと一緒に夏祭りに行くことになっていたし、待ち合わせの場所も時間も決まっていた。
「瑠々ちゃん、楽しみにしてるから」
それに角くんは、わたしのことを名前で呼ぶままだった。もうゲームが終わっているというのに。
何か言った方が良いのだろうか。でも、角くんがあまりに当たり前みたいに呼ぶものだから、言うタイミングを失ってしまった。なんて言えば良いかもわからない。
わたしは名前を呼ぶのをやめて欲しいんだっけ。名前を呼ばれるのが嫌なんだっけ。
そう考えてみたけど、困ったことに嫌ではない気がする。角くんの声で呼ばれる名前は、少し落ち着かない気持ちにさせられるけど、でも嫌じゃない。自分でも不思議なんだけど。
そう、角くんに名前で呼ばれるのは嫌じゃない。小学生の八降くんとの思い出だって、嫌じゃなかった。それに、それはふわふわしてなんだか落ち着かないけど、どこか心地良いような気もして。
でも今日の『カレンダーシート』や『ひみつシート』を見返しても、自分の中にあるその気持ちがなんなのかはわからないんじゃないかって、そう思っている。
一緒に夏祭りに行ったらわかったりするだろうか。それとももしかしたら、わたしはまだわかりたくないのかもしれない、けど。




