19-1 夏休み
ボドゲ部(仮)の仮の部室である第三資料室には冷房がない。だから暑い日には窓を開けて活動している。
窓を開けていても暑いのはあまり変わらないけど、風は白いカーテンを涼しげに揺らす。そうやって入り込んできた空気も暑いけど、肌が空気の動きを感じると、ほんの少しは涼しいような気がしてしまう。
その日は夏休み前の最後の活動日だった。角くんはいつものように機嫌の良さそうな顔で、「夏だからね」とか良いながら、大きなカホンバッグからボードゲームの箱を取り出した。そんなに大きくない箱だ。
ノートの切れ端に子供が書いたような文字で「なつめも」と書かれていた。その下には、八月のカレンダーの上に漫画調のイラストで子供たちが書かれている。
カレンダーに何か書き込んでいる子、水着の子、浴衣の子、虫取り網を持った子。スイカ、かき氷、花火に金魚にビーチボール。
どうやら夏だからという角くんの言葉の通りの、夏っぽいゲームらしい。
見上げれば、角くんは穏やかに微笑んだ。
「これは『なつめも』っていって、夏休みの思い出を作るゲームなんだ」
「思い出を作る?」
「そう。自分のカレンダーにイベントの予定を入れるんだ。例えば、海水浴とか、家族旅行とか。参加したイベントごとに点数がもらえて、それで点数を一番集めた人が、一番充実した夏休みを過ごした人ってことで勝ち」
「点数の高いイベントに参加したら良いってこと?」
「そうなんだけどね。点数にも条件があるんだよ。それだけじゃなくて、ほかのプレイヤーと同じイベントに参加するとその人と仲良くなれて、それも点数に関わってくるし。あ、それに、予定を入れすぎると宿題が間に合わなくなるんだ。宿題が終わらないとペナルティで点数が減らされちゃったりね」
角くんの説明を頭の中で整理しながら聞く。夏休みに遊ぶ予定を入れて、一緒に遊んだ人と仲良くなって、それから宿題もやるってことか。
「ずいぶん忙しいんだね、夏休み」
「それだけ充実してるってことだよ。開けても良い?」
角くんがわたしの顔を覗き込んで「怖いことはないから」と言うから、わたしは頷きを返す。
ほっとしたように目を細めて、角くんは箱を机に置いて、その蓋を持ち上げた。そして箱の中から出てきたのは、カードと、鉛筆。ノートのようなデザインのルールブック。それから、紙の束だ。
「えっと、紙ペンゲームって言うんだっけ」
紙に直接書き込んで遊ぶゲームをそう言うんだって、前に角くんが言っていた気がする。わたしの問いかけに、角くんは嬉しそうに頷いた。
「そう。そして、これが予定を埋める『カレンダーシート』」
角くんは紙の束から一枚切り離して、わたしの前に置いた。それは確かにカレンダーだった。月曜日から日曜日まで七日間のマス目、それが四週間分並んでいる。隣に点数を書く場所があるのが、ゲームだって感じがする。
カレンダーの下には「称号」と書かれていて、いろんな言葉が並んでいた。
「プレイヤーの紙はもう一枚あってね、こっちは『ひみつシート』って言って、宿題の進み具合とか、ほかのプレイヤーとの仲良し具合を管理するんだ」
「宿題の進み具合は秘密なの?」
「そうだよ。だから、本当のことを言わなくても良いんだ。本当は進んでるのに『全然やってない』とか言ったりできる」
「その嘘、意味あるの?」
「どの予定に誰が参加するのかって情報は案外大事だから、次の予定に参加するかしないかの判断材料にはなるんじゃないかな」
「そういうものなんだ」
その辺りはあまりぴんとこなくて、わたしは首を傾ける。角くんはふふっと笑って言葉を続けた。
「まあ、遊んでみたらわかると思うよ。で、これが遊びの予定の『イベントカード』」
そう言って、角くんがカードを広げて見せてくれる。
カードの文字は、ゲームのタイトルと同じで子供が書いたみたいな文字だった。「海水浴」とか「動物園」とか「秘密基地作り」とか書かれたカードが並んでいる。カードに登場するのは、どうやら小学生みたいだ。
そうか、小学生の夏休みなのか、とカードを眺めていたら、蝉の鳴き声が聞こえた。どこかで蝉が鳴いていると思っている間に、それは耳の奥で大きくなって、それがいつものゲームに入り込む前兆だと気付いたときにはもう、そのボードゲームの中だった。
たくさん重なった蝉の声。それに、びっくりするくらいの暑さ。容赦のない陽射し。真夏の空気。
どこかの公園みたいだ。木々が並ぶ地面と、区切られた花壇。背の高い時計。炎天下に晒されているブランコとジャングルジムは見るからに熱そう。
ゾウの形の滑り台は大きくて、その下のトンネルは子供が何人か入れそうなくらいに広い。あの中なら暑さは少しマシかもしれない。
隣を見上げて、目線が合わないことに気付いて、視線を降ろす。わたしと同じくらいの高さで、ようやく目が合う。
一瞬、誰だろうって思ってしまった。中学生にはなっていなさそうな、多分小学校高学年くらいの、男子。グレーのTシャツと黒いハーフパンツ。黒いボディバッグ。
黒い髪がかかる耳の形や目元には、確かに見覚えがある。でも、いつもよりもずっと華奢な首筋と肩幅と手足。
「角くん?」
わたしの呼びかけに、隣に立っていた小学生男子は、少し照れたように目を伏せた。その仕草は確かに角くんだ。
「中学入ってからだったから、背が伸びたの」
呟くようなその声も、いつもとは違って、高い。声変わり前の、少年の声。
それで、自分もいつもより視線が低くなっていることに気付いて、自分の体を見下ろした。淡い黄色いタンクトップと膝丈のショートパンツ。上から赤い半袖シャツを羽織っていた。それからピンク色のサコッシュ。
自分の体つきを見て、きっと今のわたしも小学生なんだろうな、と思う。もしそうなら、普段よりも十センチは背が低くなってるはず。
きっと、角くんはもっとだ。もしかしたら三十センチは低くなってるんじゃないだろうか。
「ともかく、日陰に行こう。インストするよ」
そう言って、角くんはわたしの顔を覗き込むように顔を近付けてきた。その距離の近さに思わず肩をすくめてしまう。角くんは慌てたように顔を逸らした。
「ごめん、いつもと身長が違うから、距離感がわからなくて」
角くんは口元を手で覆って、そのまま歩き出してしまった。今の仕草は確かに角くんだと思って、わたしは少し安心してしまった。
角くんとは中学校も小学校も一緒だったらしいけど──なんなら保育園も一緒でその頃は一緒に遊んだこともあったらしいけど、わたしはそれを覚えていない──だから、こうやって話すようになったのは高校に入ってからだ。
だというのになんだか、こうやって一緒に遊んだことがあったかのような気持ちになってしまう。わたしは小学校の頃の角くんを知らないはずなんだけど。
不思議な気持ちで、わたしはいつもより小さい角くんの背中を追いかけた。
いつもと違って歩幅がほとんど同じだと気付く。いつもはもっと歩幅が違うから、わたしに合わせて角くんは小さめにゆっくりと歩いてくれている。
今は足早に歩く角くんにすぐ追い付くことができる。それがなんだか変な気分だった。




