17-7 クチナシ:二人だけの秘密
角くんは『ピンクのヒエンソウ』の効果で『赤いチューリップ』をピンクの『シャクヤク』に取り替えてしまった。あれだけ悩んだのに、と悔しくなる。
「『フロックス』のハートで二点。『ピンクのヒエンソウ』は点数がなくて、ピンクの『バラ』はピンクの花が四つあるから四点。『シャクヤク』はハートの一点と『花束』が二つで二点」
角くんの数え上げる声を聴きながら、やっぱり角くんに『ピンクのヒエンソウ』を渡したのは失敗だったと思い返す。
「大須さんは?」
促されて、自分の点数を数え上げる。
「『ラン』を紫にするから『スミレ』は三点。『ワスレナグサ』のハートで一点。『ラン』のハートで一点。『赤いバラ』は、全部でハートが二つあるから二点。七点だから、ここまでの点数で合わせて二十三点。角くんは?」
「俺は」
角くんはちょっとためらってから、点数を口にした。
「今回が九点で、合計二十七点。俺の勝ち」
手にしていた『赤いバラ』と『ラン』の花束をぎゅっと抱える。甘いにおいに包まれる。
「大須さん?」
角くんが心配そうに顔を覗き込んでくる。それを見上げて、わたしは自分の気持ちを素直に口にした。
「途中で勝てないような気はしてたんだけど、でも、それでも、勝ちたかった。悔しい」
角くんは申し訳なさそうに眉を寄せたけど、その表情はどちらかと言えば嬉しそうに見えた。
「こういう言い方して良いかわからないけど、俺は楽しかったよ、大須さんが悔しがるようなゲームができて」
その表情を見て、瞬きをして──思い切って口を開いたけど、伝える前にゲームは終わってしまった。
瞬きの間に第三資料室に戻ってきてしまった。
長机のわたしの目の前には、『赤いバラ』と『ラン』、それから『ワスレナグサ』と『スミレ』の花タイルが並んでいる。
隣を見上げれば、角くんと目が合う。
「やっぱり、悔しい」
わたしがそう言えば、角くんはちょっと困ったように眉を寄せて笑った。
「まあ、今回はちょっと、俺の引きが良かったかも。巡り合わせというか」
そう言いながら、角くんは目の前に並んでいた『フロックス』のタイルを指先で撫でた。
「引きが良ければわたしでも勝てたと思う?」
わたしの問いかけに、角くんは手を止めてちょっと考えた。
「そうだね。その可能性はあったと思う。でも」
角くんがわたしの顔を覗き込んで笑う。
「それでも俺だって負けるつもりはないから」
そう言って角くんは背筋を伸ばした。わたしは咄嗟に、角くんの袖を掴んだ。
角くんがびっくりしたような顔でわたしを見下ろした。わたしは見上げたまま、さっきゲームの終わりに伝えられなかった言葉を口にする。
「あの、待って。その、もう一度」
「……もう一度?」
わたしのなかなか出てこない言葉に、角くんがきょとんとした顔をする。わたしは頷いて、今度はさっきよりも落ち着いて口を開く。
「もう一度、遊びたい」
角くんは目を見開いて、それから戸惑うように視線をうろうろと彷徨わせて、それからまたわたしの顔に視線を戻した。わたしは角くんの袖を掴んだまま、角くんを見上げたまま、またその言葉を口にする。
「もう一度、遊びたい。勝てなかったの悔しいし、それに」
どっちを選ぶか、その繰り返しだけのゲーム。
でも、選んだり、選ばせたり、選ばされたり、考えて悩んで『花束』を受け取ったときの甘いにおいを思い出す。『花束』を差し出しながら、角くんがどちらを選ぶのかとどきどきしていたことを思い出す。
「それに?」
「楽しかったし」
わたしがそう言えば、角くんは花束の甘いにおいみたいにふわりと笑った。
「じゃあ、遊ぼうか。一プレイが短いゲームだから繰り返し遊べるよ。まだ時間はあるし、大須さんの気が済むまで何度でも」
角くんの言葉に重なって、耳の奥にまたざわめきが蘇る。
また遊べるんだと思って角くんを見上げていたら、その周囲に色とりどりの花が見えた。黄色い『スイカズラ』、白い『クチナシ』、紫の『スミレ』、ピンクの『シャクヤク』、『赤いバラ』、それから、それからまだたくさん、どんどん溢れて角くんの周囲で花開いてゆく。
ボードゲームの世界に入るとき、いつもは耳の奥に何かの音が聞こえるだけだ。その後すぐにもう、気付けば世界の中に入っている。
こんなふうに、ゲームの世界に入る前に何か見えるのは初めてのことだった。
どうしてだろう。いつもと何も変わらないと思うのに。二回目のゲームだから? それとも、わたしのこの体質が何か変わってしまった?
この花は角くんには見えてないんだろうか。こんなに綺麗なのに。
そうやって次々溢れてくる花を眺めている間に、わたしは角くんを巻き込んで『タッジーマッジー』の世界の中にまた入り込んでしまった。
結局、そこから三回、繰り返して遊んだ。わたしが勝てたのはようやく三回目、最初の一回も数えたら四回目だったのだ。
角くんは嫌な顔もせずに付き合ってくれたし、なんならずっと楽しそうな顔をしていた。手加減もしてくれなかった。だから最後にわたしが勝ったときには、ちゃんと悔しそうな顔をして「やっぱりあそこであっちにしておけば」と自分の選択を思い返しているようだった。
勝ったのも嬉しかったけど、わたしは角くんのその表情の方がもっと嬉しかった。だって、角くんはわたしと本気で遊んでくれていたってことだと思うから。わたしもちゃんと角くんと遊べていた。
そうやって繰り返し遊んでいる間に夕方になってしまっていた。白いカーテン越しに差し込んでくる柔らかな赤い光の中、狭い第三資料室で顔を見合わせる。
どちらからともなく笑って、笑い合って、それから角くんは真面目な顔をして背筋を伸ばした。
わたしも姿勢をよくして、二人で頭を下げる。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
顔を上げたらまた目が合って、また笑い合って、それから片付けを始める。
このゲームに使うのは十八枚の花のタイルと点数のチップだけ。あっという間の片付けの時間が、なんだか惜しい気がした。角くんが「ずっとボードゲームを遊んでいたい」と言う気持ちが、少しわかる気がする。
わたしは自分の前に散らばっていた花タイルを重ねて角くんに渡す。角くんの大きな手がそれを受け取る。一番上は白い『クチナシ』の花。そのメッセージは「二人だけの秘密」だった。




